第10話 元アイドルからの差し入れ

 東京郊外のとあるハウススタジオでドラマ撮影がされていた。

大きな銀色のロケバスが雨に濡れた駐車場に停車している。

 スタッフが慌ただしく機材をスタジオに入れていた。


 青年がスタジオの入り口付近で青い傘に付いた雨雫を幾度も振り払っている。

二階に続くスタジオの白い階段から大きな女優の声が聞こえた。


 往年のアイドル二人が迫真の演技をカメラの前で披露している。

狂ったように早口で台詞を別の女優に浴びせかける助演女優がいた。

 

 女は包丁を手に浴びせかけた主演女優を目掛けて襲いかかる。


 スタッフの手が上がり、カチンコが鳴った。

「はいカット! お疲れ様でした」

撮影スタッフの大きな声がスタジオに響いた。


「皆さん、ちょっとだけ、お待ちください。主人から頂いた差し入れがあります」

元アイドルのひとりが言った。


 女優になった元アイドルは、自分のマネージャーを手招きして菓子折りを貰い撮影班の現場監督に手渡した。


 現場監督がドラマのアシスタントマネージャー(AD)に手渡しながら耳打ちをした。


「今、頂いた差し入れは、みんなでここで頂きましょう」

ADが大きな声で出演者に呼びかけた。


 女優は別の菓子折りをマネージャーから受け取り、撮影に参加している端役の出演者にも女優が自ら配り始めた。


「あの、エキストラですが・・・・・・ 」

「いいのよ。気にしないでーー 撮影はひとりじゃできないのよ」


「ありがとうございます。頂きます」

青年は満面の笑みで女優を見つめた。


 女優はエキストラに微笑んだあと、隣りにいた別のスタッフに手渡した。




 女優の主人もエキストラの間で大人気な役者だ。

温和な表情に優しく語りかける言葉は演技中の彼とは別人だった。


 撮影現場では頻繁に往年の大スターを見かけることがよくあった。

不思議と大スターには不思議なオーラが漂っている。

語らずも感じるオーラは生まれながらのもののようだ。


 青年は目の前にいる元アイドルのヒット曲をよく口ずさんでいた。

今、人妻になった憧れの元アイドルが手の届く距離にいる。


 同じ空間で同じ空気を吸っている自分を感じ微笑みが溢れ余韻に浸る青年だった。


 窓の外の梅雨のどんよりとした空も雨もどこかに飛び去り晴々とした気分が青年の心の中を支配している。


 雨に濡れたベランダの紫色の紫陽花の花びらが光っていた。


 青年は頂いた差し入れ菓子をティッシュに包み込みバッグの中に仕舞った。

周りの参加者は、その場で食べていたが、青年にとって差し入れではなくなっていた。


 恋人から頂いたプレゼントように青年は思った。

暗いハウススタジオの白い壁も青年には輝いて見える。




 迫真の演技をしていたもうひとりの元アイドル女優は、既に上がり現場から消えていた。

 雨が青年の心を逆撫でするように激しくなっている。


 女優が言った。

「今日は、途中まで皆さんと一緒のバスに乗らせて頂きますが、良いかしら・・・・・・ 」


 青年は元アイドル女優の声を背に浴びながらハウススタジオを出て行った。

目の前の景色が玄関のガラス越しに雨に煙り通りの信号が霞んで見えた。


「差し入れ、ありがとう・・・・・・ 」

 青年はひとり言を言いながら青いワンタッチ傘を開いた。

茶色のバッグを片手で押さえながら小走りに信号を渡った。


 元アイドル女優を乗せたバスが青年の前を通過した。

青年はバスに向けて手を振っていた。

 女優の横顔が雨のカーテンの中に消えて行った。

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三日月未来の短編集 三日月未来(みかづきみらい) @Hikari77

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