第32章 解散阻止の夜、そして次へ

 控え室のドアが閉まると同時に、熱気が押し寄せた。

 舞台から降りてきたばかりのメンバーたちは、頬を紅潮させ、肩で息をしながらも顔を見合わせる。その瞳の奥はまだステージの光を映していて、緊張と歓喜が入り混じっていた。


「やった……! 本当に……!」

 恋が涙をこぼしそうになりながら、勢いのまま颯の肩に飛びついた。震える声に解放感が溢れていて、抱きしめられた腕から熱が伝わってくる。


「ちょっと! 泣くのはまだ早いってば!」

 優子が慌てて笑いながら、恋の背中を軽く叩く。

「終わったのは今日だけ。次からが本番なんだから」

 そう言いながらも、差し出した手を勢いよく叩き合い、乾いたハイタッチの音が控え室に響いた。


「……でも、よかったね」

 恋が鼻をすすりながら笑うと、優子も「うん」と短く返して口角を上げる。その笑みは勝気なのに、どこか安心しきった子どものようでもあった。


 芽亜は椅子に腰を落とし、ペットボトルの水を一気に飲み干したあと、いつもの淡々とした調子で言った。

「配信の数字、ずっと安定してた。……これなら瑞稀さんも納得すると思う」


「ほんと? それ聞いて安心した!」

 優子が勢いよく声を上げ、恋がまた涙をこぼしかける。芽亜は肩をすくめ、「泣くの禁止」と冷静に釘を刺すが、その口元には小さく笑みが浮かんでいた。


 そんな中で――結だけは、笑顔を浮かべながらも少し違う色を宿していた。

「……みんな、ありがとう。ほんとに、すごかった」

 声は震えていない。けれど瞳の奥に、わずかな影が走るのを俺は見逃さなかった。

 喜びと同時に、まだ言葉にできない重さを抱えているように見えた。


「結? どうしたの。なんか考えてる?」

 恋が袖を引いて覗き込む。


「え、ううん。なんでもない。ただ……ちゃんと、センターとして役に立ててたかなって」

 結はそう言って笑顔を作る。けれどその笑みは、ほんの一瞬だけ揺らいだ。


「役に立つとかじゃなくて、一緒にやったから意味あるんでしょ!」

 優子がすぐに声を上げる。

「数字だって安定してたんだし、十分じゃん」

「……そうだね」

 結はうなずいたが、その目はほんの少しだけ伏せられていた。


 俺は輪の中で笑い声が弾むのを聞きながら、一歩だけ後ろに引いた。胸の奥がざらついていた。

 ――結の名前を呼んでしまった。あの瞬間、我慢できずに声を放った。彼女を支えたかったからこそだったが、それは踏み込むべきではない一線だったのかもしれない。


 歓声と笑いが充満する控え室の隅で、俺だけがその重さを抱え込んでいた。



 そのとき、控え室のドアが開いた。

 社長がゆっくりと入ってきて、後ろには瑞稀も続く。二人とも険しい表情を浮かべていたが、その目の奥に隠しきれない熱が灯っていた。


「お疲れ様。――そして、おめでとう」

 社長の声が響いた瞬間、部屋の空気が一気に弾ける。


「今回の配信は、大成功よ。条件はクリア。Open Haloは……継続だ」


 その一言に、恋が泣き崩れ、優子は椅子を蹴って立ち上がり、芽亜は初めて大きな笑みを見せた。

 小紅もまた、口元を押さえながら涙をこぼす。


 社長は続けた。

「次は“パラダイスオーシャン”でのステージ。外の光輪よ。準備はすぐに始まる。覚悟して」


 その場に拍手が起き、歓声が広がる。

 けれど俺の胸の奥はまだ重いままだった。成功の喜びよりも、自分の行為への後悔と迷いのほうが色濃かった。



「颯、ちょっと残って」

 解散の声がかかったとき、社長に呼び止められた。


 残りのメンバーは「お先に」と笑いながら控え室を出ていく。恋が最後に振り返り「早く来てね」と手を振った。小紅の視線も一瞬だけ交わる。何かを伝えたそうだったが、結局言葉にはならずに去っていった。


 静まり返った室内。平山がパソコンを閉じ、社長が椅子に腰を下ろす。


「今回、君はよくやった。裏方としても、仲間としても。でもな――」

 社長の声が低くなる。

「君は学生でもあるんだろう? 学校のほう、単位はどうなんだ?」


 喉が詰まる。

「……まあ、その、なんとか……」


「なんとか、で済ませる問題じゃない。これからのOpen Haloを支えるっていうのは、そんな片手間でやれることじゃない。君は自分の進路をどうするつもりなんだ?」


 心臓が強く脈打つ。

 正解はわからない。ただ、確かに両方を背負っている現実だけが、重くのしかかっていた。


「どちらもやるなら、その覚悟を示せ。どちらかに絞るなら、なおさらだ。……いずれにせよ、答えを出す時は来る」


 社長の視線は厳しかった。

 頷くしかなかった。



  外に出ると、夜の空気が頬を刺した。

 昼間の熱気が抜けきった後の、ひんやりとした風がシャツの隙間に入り込む。思わず深呼吸をひとつして胸を落ち着けようとしたとき、街灯の下に立つ影に気づいた。


 小紅だった。

 制服の上に羽織ったカーディガンの裾を、両手でぎゅっとつまんでいる。街灯に照らされたその姿は、どこか落ち着かない雰囲気を漂わせながらも、こちらを待ち続けていたことをはっきりと物語っていた。


「……待ってたのか?」

 問いかけると、彼女は小さく頷いた。


「うん。……お疲れさまです」


 その声はかすかに掠れていて、長く立ち尽くしていたことが透けて見える。緊張と安堵が入り混じった響きに、俺の胸もわずかに締めつけられた。

 彼女は少し照れたように笑うと、すぐに視線を逸らし、頬にかかった髪を耳にかける。小さな仕草なのに、ステージの光の下で見せる顔とはまるで違っていて、ずっと素に近い姿を感じさせた。


「社長の話……長かったですか?」

「まあ、少しな」

「やっぱり……。みんなで『もう帰ろうか』って言ってたんですけど」


 そこで彼女は少し唇を噛み、言葉を探すように間を置いた。


「……なんとなく、待ってた方がいいかなって」


 その一言に、胸の奥がざわめく。

(……俺に、何か言いたかったんじゃないか?)

 一瞬そんな考えがよぎり、喉の奥まで出かけたが――彼女の横顔を見て、飲み込む。問いただすには、まだ早い。


「なんとなく、ね」


「うん。そういうの、理由をちゃんと考えるより……勘で動くタイプなんです」


 小さな告白のような響きに、思わず苦笑が漏れる。彼女自身も恥ずかしそうに肩をすくめた。


 ふっと、互いに小さな笑いがこぼれた。その一瞬で、さっきまで胸に残っていた重さが少しずつほどけていく。

 沈黙が落ちても気まずさはなく、夜風と、彼女の存在とで、自然に隙間が埋まっていった。



 そして、彼女がほんの少し息を吸って、視線をこちらに戻した。


「ねえ、颯さん。……ファミレス行きませんか?」


 その言葉は、思い切った告白のように不意を突いた。

 なんでもない誘いのはずなのに、その声は胸にすとんと落ちてきた。


「……ああ。」


 返事をした瞬間、彼女の目が一瞬だけ光を宿す。安心と期待が入り混じったような輝きに、俺は思わず息を呑んだ。


 夜の街を並んで歩き出す。街灯が二人の影を長く伸ばし、アスファルトの上で重なったり離れたりを繰り返す。遠くでコンビニの看板が淡く光り、静かなざわめきが夜の背景を彩っていた。

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