緊張
*ルームシェアを始めてすぐの話です*
バイトから帰ってきた松原郁哉は、緊張を隠しきれないままマンションのドアを開けた。
「あ、お帰り」
ダイニングにいた蓮がノートパソコンから顔を上げる。パーカーにジーンズという普通の格好だが、やはり謎のオーラがある気がする。
最初はあざとすぎて嫌いだと思っていたけれど、今では彼に惹かれてしまっていると認めざるを得なかった。
ルームシェアを始めてまだ2日しか経っていないので、蓮の姿がいつも視界に入るというのはすごく緊張する。
「バイトどうだった?」
「……客に皿を投げつけられた」
父の良次郎も機嫌が悪い時に皿を投げることはあったが、父以外にも皿を投げる人間がいるというのは新しい発見だった。
「ひどいな。大丈夫?」
「まあ俺は小刀を投げつけられたことがあるからそれよりはましだな」
啓一郎や光星にテストの順位が負けて、父に儀式に使う小刀を投げつけられたのは最悪な思い出だ。
やはりあの島は暴力的でどうしようもない。東京の大学に行った啓一郎が正しかったのだろう。
「それはやばいな。警察行ったの?」
「行ってもだめなんだよな。あいつは無駄に権力があるから」
「郁哉の地元はなかなかすごいね」
蓮が声を上げて笑う。
むしろ笑ってくれる方が、あの時の恐怖を遠い思い出として、どうでもいい存在にできるからありがたい。
「そうそう、今からライブ配信やろうと思ってるんだけど郁哉も一緒に出ない?」
「えー……」
一応恋愛リアリティショーやオーディション番組には出たことがあるが、ライブ配信となるとまた違った緊張感が生まれそうだ。
「俺が出るとクオリティが下がると思うけどな……」
「別にクオリティの高い低いなんてないよ。大事なのは空気感」
空気感、と言われてもよく分からない。
「じゃあ始めるよ」
蓮は勝手に郁哉の出演を決めると、スマホをセットした。
(ライブ配信なんてどうすれば……)
正直逃げ出したいが、蓮の機嫌が悪くなりそうだったので仕方なくカメラを向いた。
「こんばんは!なんと、オーディション番組で一緒だった郁哉とルームシェアを始めました!」
『えー!同棲!?』
『なんで郁哉となの?律くんとのルームシェアが見たかった』
『郁哉、ちゃんと家賃払ってる?』
すぐにコメントが書きこまれ始めたが、なんだか冷たい言葉が多い気がする。
郁哉はすでに帰りたくなった。帰るところなんてないけど。
「あ、律とはルームシェアしません!律は音楽の才能がありすぎて一緒にいると俺が落ち込むからです!」
本心なのか冗談なのか分からないことを言うと、蓮は郁哉の肩を叩いた。
「郁哉にも当然家賃は払わせるよ!俺もそんなに稼いでないし。えっと、『家賃はいくらですか?』あー、それは内緒です」
実はこのマンションは家賃が結構高い。
郁哉一人ではどうしたって払えないくらいだ。
「じゃあ郁哉も一言どうぞ!」
「えっと、松原郁哉です」
『なんでフルネーム?』
『緊張しすぎ』
自分のことが書かれているらしきコメントを見ると更に緊張がひどくなった。
高校の時のスピーチ大会(郁哉たちが暮らす島の伝説について述べるというあまり意味がなさそうなもの)よりも緊張する。
「蓮とルームシェアを始めました」
『蓮くんがさっき言ってたやつw』
『同じことは言わなくていいよw』
「足を引っ張らないように頑張ります」
何を言っているのかもよく分からないまま、コメントを読まないように焦点を壁に当てる。
「趣味は書道で、苦手なことはリコーダーです。よろしくお願いします」
「いや、苦手なことリコーダーって何?苦手とか得意とか意識したことなかったけど」
蓮まで呆れたような顔になった。
「あ、下手すぎて居残りになったから……」
「それはすごいね。じゃあ次回は郁哉がリコーダーを演奏する回にします!みんな応援してね」
それは絶対嫌なので阻止しようと郁哉は思った。
「じゃあまたね!郁哉のこともよろしく!」
『蓮くん、郁哉に構ってあげてて優しい!』
『郁哉も蓮くんに甘えずに頑張ってね!』
そんなコメントで配信は終わった。
「お疲れ。また次回もよろしくね」
「……うん」
コメントの空気感が嫌なのでもうあまり参加はしたくないが、蓮がやりたいなら仕方がない。少しでも役に立たないと。
始まったばかりのルームシェアだが、すでに複雑な気持ちが郁哉の中には渦巻いていた。
郁哉と蓮の切なくてもどかしい日々 ぬまのまぬる @numanomanuru
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