七つの大罪②【嫉/Envy】
神田或人
七つの大罪②【嫉/Envy】
第一章 発見
彼は、最近よくスマホを伏せて置くようになった。
通知が鳴るたび、画面を隠す。
「仕事の連絡だよ」と笑う声は上擦っていて、わたしは疑いを拭えなかった。
だから夜を待った。
寝息が整ったころ、六桁の数字を打ち込む。
アルバムに、新しいフォルダがあった。
Tohko。
タップすると、人形の写真が並んでいた。
陶器の肌、桜色のドレス。完璧に微笑む顔。
次に映ったのは、わたしだった。
同じ角度、同じ服、同じ光。
比べるように並べられた二つの顔は、残酷だった。
「好みの顔なんだ」――かつての言葉が蘇る。
灯子に似ていたから、わたしは選ばれただけ。
呼吸が乱れ、視界が白く濁る。
過呼吸。台所に駆け込み、薬の瓶を乱暴に開ける。
白い粒を山ほど掴み、水で押し込む。
苦味が胃に落ちていく。
怒りは彼ではなく、人形に向かった。
彼が一番長く見つめ、慈しみ、飾り立てた存在。
わたしと並べられても必ず勝つ顔。
――わたしは、彼よりも灯子を憎んだ。
第二章 禁じられた部屋
彼の家には、ひとつだけ“入ってはいけない部屋”があった。
カメラの機材や高価なレンズが置いてあるから、と彼は言った。
わたしは信じて、いちども破ったことがなかった。
でも今、確信した。
あそこに灯子がいる。
そっと扉を開ける。暗闇が肺に流れ込み、手探りでスイッチを探す。
カチリ。
とろけるような白熱灯が灯り、部屋をやさしく照らす。
視線を奪ったのは奥のガラスケース。
最上段に、行儀よく座っていた。
――わたし?
陶器の肌、長いまつげ。
わたしのクローゼットにあるものと同じ桜色のドレス。
微笑むその顔は、完璧で、わたしを見下ろしていた。
第三章 崩壊
胸の奥が煮え立つように熱く、視界が赤く霞む。
気づけばガラスケースの扉に手をかけていた。
鍵はかかっていない。
灯子を抱き上げる。軽い。驚くほど軽い。
その軽さが、わたしの存在の重さを否定するようで、余計に憎らしい。
床に叩きつけた。
陶器の砕ける音が響く。肩口が外れ、首がねじれた。
靴で踏みつける。
パキン、と甲高い音。頬が砕け、ガラスの瞳が転がる。
「消えてよ……消えて!」
何度も踏み砕く。ドレスは裂け、粉が散らばり、笑顔は粉々になった。
――そのとき。
「葵!」
背後でドアが開く音。律だった。
わたしの体を乱暴に引き剥がし、律は灯子の破片に駆け寄る。
震える指先で拾い集め、嗚咽を漏らす。
「どうして……どうしてこんなことを……!」
彼はわたしを見ない。
ただ粉々の灯子を抱きしめるように、
「直せる……直せるから……」と繰り返すばかりだった。
背中にその声を背負いながら、わたしは部屋を出た。
第四章 鏡
家に戻ると、部屋の空気は凍りついていた。
洗面所の明かりをつけ、顔を上げる。
そこに映っていたのは、灯子だった。
桜色の唇、陶器の肌。
わたしの部屋着を着ているのに、どう見てもあの人形の顔だった。
蛇口をひねり、水を浴びても落ちない。
頬も唇も、そのまま清楚な顔。
「やめて……」
拳を振り下ろす。
重たい衝撃が手首を貫き、皮膚が裂けて血がにじむ。
鏡は割れない。
ただ白く曇った跡と赤い染みだけが広がる。
その曇りの中で、灯子の顔が歪み、数を増やして笑っていた。
第五章 薔薇
翌日。
わたしは真っ赤な口紅を塗った。
血のように濃く、唇を汚す色。
アイシャドウも赤く重ね、頬はぎらぎらと光らせた。
体の線をむき出しにする赤のワンピースを着る。
大学の廊下で、同級生たちが振り返る。
「誰?」「葵?」「やば……」
笑い声とひそひそ声。
でも、それでいい。
誰も、わたしを灯子とは思わない。
心臓が空回りするように打ち、呼吸は荒く、笑みが込み上げる。
わたしは薔薇だ。
けばけばしく、惨めに咲く薔薇。
棘を立て、毒を滴らせて。
第六章 終幕
トイレの鏡に立つ。
赤、赤、赤。血のように燃える化粧。
薔薇がそこにいた。
そのとき、耳元で声がした。
――可哀想に。
自分を変えるなんて。
結局、私に負けたのと同じ。
せいぜい無様に咲きなさい。
振り返ると誰もいない。
鏡を見ると、そこには灯子が浮かんでいた。
化粧の下から透けるように、清楚で完璧な顔。
「いや……いやあっ!」
笑いが込み上げる。
甲高く、止まらない笑いが廊下に響く。
――そして、唐突に途切れた。
残ったのは静寂だけ。
静寂と、微笑み続ける灯子。
季節は夏だった。
だらだらと、暑さに化粧が溶ける。
溶ける。解ける。崩れていく。
《あの日壊れたのは、
灯子ではなく、私だったんだ――》
《了》
七つの大罪②【嫉/Envy】 神田或人 @kandaxalto
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