衰微と光彩のはざまで

@dr_yamaneko

第1話

AGIに仕事を奪われる男


 朝、ビルの谷間に淡い光が差し込む。健司のデスクに置かれた端末はすでに稼働を始め、冷ややかな声で告げた。

「本日の営業リストを最適化しました。提案資料を自動生成しています」


 彼は椅子に腰を下ろし、無言で画面を眺める。そこに映し出された数字やグラフは、かつて彼が夜を徹して作り上げたものとほとんど変わらない。むしろ正確で、洩れがなく、美しい。

 ――では、俺はなぜここに座っているのか。


 人間は何のために働くのか。

 かつては、誰かに必要とされるために。成果を示し、存在を証明するために。だが今、その役割をAGIが完璧に果たす。残された人間の仕事は「確認」だけだ。確認する者に、存在意義はあるのだろうか。


 昼休み、窓ガラスに映る自分の顔を見た。頬の陰り、目の奥の疲れ。三十代半ばを迎え、性ホルモンの波が緩やかに後退していることを体が告げていた。競争への渇望は薄れ、代わりに「この先どう変わるべきか」という問いが胸に広がる。

 人は成長し、成熟し、やがて衰えていく。それは自然の摂理だ。では、衰えゆく自分と、進化し続けるAGIは、どう共に歩むことができるのか。


 その夜、上司に呼び出された。

「健司、地方でのAGI農業プロジェクトに人が要る。行ってみないか」


 それは事実上の異動、あるいは左遷だった。東京の中心から外れ、見知らぬ土地へ向かうことになる。だが、奇妙なことに怒りはなかった。むしろ、胸の奥に小さな灯がともるのを感じた。

 ――変化は、喪失ではなく、再生かもしれない。


 健司は静かに答えた。

「……行ってみます」


 言葉にした瞬間、それは彼自身の意志になった。

 AGIに居場所を奪われた男は、まだ知らない。そこから始まるのは、奪われた人生ではなく、変わり続ける人生なのだということを。



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