精霊の子

早瀬 コウ

ララと呪術師

「母に会わせてくれ」


 集落の外れにある荒屋あばらやの前で、腹から声を出した女。彼女は皆からララと呼ばれていた。腰巻きだけをつけて日に焼けた肌をして、髪にはただ赤い石ひとつを装飾にしている。それは年頃の娘にしては質素しっそな飾りだった。


 荒屋あばらやから男とも女ともつかない声が応じる。そのしびれたような声は、ただでさえぎ慣れない匂いを発する荒屋あばらやの異様さをララに感じさせた。

 ここは呪術師の住処すみかだった。ララはその姿を何度か見たことがある。毎年畑に種芋たねいもを植えると、石や貝を束のようにつけた棒を持って、赤い仮面の呪術師が呪文を唱える。それなしには土地の邪霊を追い払えず、作物は育たないのだ。

 儀式に欠かせないからには、呪術師もこの集落の人間ではある。しかし精霊と声を交わし、ときに呪術で人を呪い殺すと聞けば、およそ関わりたい人間でもない。だから呪術師は集落の長屋根ロングハウスの外、やぶをかき分けた先に一人で暮らしている。


「お前を知っている。ララと言ったな」


 ララは呪術師に名乗ったことはなかった。これも精霊の仕業しわざなのだろう。


「そうだ。精霊の子だ。わたしの母の精霊に会いたい」


 呪術師の動きは静かだった。意味ありげに動かした指先を、真横にすべらせると、次には人差し指で中指を二度叩く。杖を揺らしてカラカラと音を立てた。


「お前に精霊は見えない。語ることもできない」


「わかっている。だから精霊と語る術を教えろ。呪文はいらない」


 呪術師は進み出て、ララの腕を取った。土塊つちくれのついた爪は汚かったが、ララの肌にも乾いた土ならいくらでもついている。むしろララは存外ぞんがいに細い指なのだなと思っていた。


「次の月で発つのか」

「そうだ。とついだら二度と帰らない。だからその前に、母に一目会っておきたい」


 呪術師が強く腕を握る。ララは試されていると思った。だから強がってたじろぎもせず、堂々と立った。仮面の底から瞳がララを見つめている。


「短いな。だが精霊の子ならやれるかもしれん」


 その言葉にララの胸はふくらんだ。精霊の子何かができると言われたのだ。その逆なら森の木の数ほど言われてきた。精霊の子だから祝祭にも参加できなかったし、食料を分けるにもいつも一番最後だ。しまいには妻贈りに捧げられることになって、会ったこともないどこかの集落の誰かと結婚させられてしまう。見ず知らずの土地でよく知らない人たちと過ごすなど、ララは全く望んでいなかった。

 すべてはララに両親も一族もなく、森の中で拾われただったからだ。いくつも冬を超えてきて、ララはもうその扱いには慣れていた。だから今更自分以外の誰かを妻贈りに捧げろとも思わない。たしかに生まれついて家族もいないララであれば、ここで暮らしても他所よそで暮らしても似たようなものだろう。むしろ夫がいればここよりもいい暮らしができるかもしれない。


 しかしそうと決まったあとで、ララは心残りがあることに気がついた。この森のどこかにいるという、母——精霊の母に会ったことがなかったのだ。なぜ今になってそんなことが気になり始めたのか、ララ自身もよくわからなかった。しかし自分の精霊の母について知るなら、もう最後の機会には違いない。


「呪術師は精霊と人、森と里、夜と昼をつなぐ者。ララはひもれるか?」

「私はできない。教える者がいなかった」


 呪術師はみのの中から茶色のひもを取り出した。草を乾かして叩き、そのあと何か手を擦り合わせてひもを作るのを見たことがある。しかし一族の畑も家もないララには、それに触れる機会がなかった。


「すべての術は糸を束ねてひもを作るようなもの。見て学び、れるまで繰り返せ」


 ララは不満を隠さない。そんなことは集落の皆がやっている。誰もがやっていることが精霊に通じる秘術ひじゅつであるはずはない。その程度のことはララでもすぐに考えられた。


「私は信じやすくはない。もっとそれらしい嘘を言え」


 差し出された草の束を投げつける。糸束は風に軽く舞って辺りに散った。ひもを作るのは人の子がすることだ。ララはそう言われて育ってきた。今更それをやれと言われるのは、呪術師にそそのかされて禁忌タブーを犯すようでもある。


「気が短い。精霊は気が短い者を嫌う。もし精霊に会いたいなら、すべてわけを聞くな。精霊は問われることを嫌う」


「そんな勝手な奴らの子に産まれたからこうなったんだ。そっちが文句を言うな」


 そうは言ってみたが、ララは口を曲げながら草を拾い集める。呪術師は黙って棒の頭をララに見せ、反対の指でそこを小突こづいた。よく見ればそこに束になって下げられた貝やら石は、すべてひもで結ばれている。それでひもがいるのかと、ララなりに合点がてんした。


「やってやるから見せてみろ」


 男のような言葉で言っても、呪術師は言い返さない。ただ少しの間だけ聞こえなかったかのように固まったあと、やおら動き始める。そうした動きを見るにつけ、ララは苛立いらだって言葉が荒くなった。

 しかしララがそういう言葉を使うのに理由がないわけでもなかった。なにせ呪術師に接するときはそうするものだと聞いていたのだ。集落は呪術師に食料を分け与え、代わりに精霊への祈祷きとうを頼んでいた。つまり生きられない者を助けてやり、呪術師はその礼にせめてもの術で返す。その秘術ひじゅつは恐れられこそすれ、決して尊敬されるようなものでもない。いやしい術なのだ。

 実際、集落の誰かが呪術師とまともに話したところなど見たことがなかった。用事だけを手短に言って、あとは煙たそうに追い返す。たとえみのりの祈りを捧げてもらったとしても、たくわえておいた芋を束で渡してそれっきり礼も言わない。それが呪術師への正しい態度であって、それは集落の人々が時折ララに見せる冷たさにも似ていた。

 しかし別の問題もあった。呪術師と精霊の子ではどっちが偉いのか、ララも知らなかったのだ。よくわからないまま、ララもおそおそる人を真似て話してみたに過ぎない。その様子を見るに、どうやら呪術師の方が下には違いないようだ。人生で初めて乱暴に話してよい相手を前にして、ララは自分でも加減を見失いつつあった。


 おそらくはいつも座っているのだろう石に腰を下ろして、呪術師は何やら手を揉み合わせる。すぐに束になった草の端を立膝たてひざの足先で抑えると、手揉みをしてたちまちひもが伸びていく。

 ララはその場にどしんと座って、草の束に手を擦り合わせてみる。何度も何度も擦り合わせてみて、そろそろと思って手を開いてみると、草の束は力無く方々に倒れてしまう。どの一本も強くは噛み合わず、ただねじくれて弱っただけだった。


 顔をしかめて口を曲げたララに、呪術師は自分の作りかけのひもを示す。よく見れば、束の先は二つに分かれていた。何かそれに秘密があるらしい。


「これを持て。これを押さえる」


 分かれた片側を持たされ、ひもの元を足の指の間にねじ込まれる。呪術師は残った最後の束をねじり合わせた。バラバラだった束を一つにまとめると、動きを止める。


「なんだ、何の術だ」

「わからんのか、ララもやれ」


 眉間みけんしわを寄せながら、ララは束をねじって一つにする。すぐに呪術師は二つのねじれた束を互いに巻き合わせて、持ち手を交代するよううながした。


「こうなってたのか」

「わかったか。ならかんがいい」

「もう一度見せろ」


 ララの表情ははっきりと明るくなった。精霊に会えるまでの遠い遠い一歩には違いなかったが、それは誰からも教えてもらえなかった秘術ひじゅつの一つには違いない。

 ひもが作れると集落の人が知れば、見ただけで学び取った天才と驚くだろう。そしたら「精霊が何でも教えてくれるからだ」と言ってやろう。精霊の子だからとどの一族にも迎えなかった集落の普通の人間など、精霊の力を借りられない間抜けだと教えてやればいい。ララはそんなことをたくらみながら、今度は一人でひもる順序をゆっくりと確かめる。

 石に座りなおした呪術師は、また不思議な静かさで、次々に変わるララの表情をじっと見つめていた。

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