第一九話 湯気の向こうに
私たち姉妹は先に裸になって浴場へ。
ほのかな湯気が立ちこめ、檜の香りが漂っている。
「アリシア〜、早くおいでよ」
「は、はい……」
戸口に立つアリシアは、両腕で胸元を隠しながらためらうように一歩を踏み出す。
白磁のような肌を湯気が包み、艶めいて見える。
眼帯を外した大きな瞳が明かりを受けて潤み、宝石のように輝いた。
私も姉さんも、思わず息を呑む。
「……その、あんまり見ないで欲しいです……」
「ご、ごめんね」
気まずそうに笑うサリィ。
「じゃあ、身体洗ってあげるから」
◇
「え、あの……」
湯気の中、アリシアが身を縮めて戸惑う。
サリィがぬるりとアリシアの前に回り込み、にやりと笑った。
「サリィさん、なぜ前にいるのですか!?」
「え? ホリィが後ろ、私が前担当よ」
「ま、前って……あっ!」
温かな湯気に包まれながら、サリィの指先がアリシアの素肌をなぞる。
湯に濡れた肌はつややかで、触れられるたびに小さく震えた。
「なんて綺麗な肌なの……羨ましいわ」
「そ、そんなところ……んんっ!」
「ほら、ここも丁寧に……」
「ゆ、指が……だ、だめぇ……!!」
アリシアのつやめかしい声が浴場に響き渡る。
サリィもまた頬を赤く染め、荒い息を漏らしていた。
背中からその様子を見ていた私は──
「……ご愁傷さま」
そう呟くしかなかった。
◇
お風呂上がり。
湯気をまとったまま、惚けきった表情のアリシアと分かれる。
「じゃあおやすみ〜」
「おやすみなさいぃ〜……」
ふらふらと足取りもおぼつかなく、階段を上がっていくアリシア。
段差につまずき、壁にゴン。『だ、大丈夫です〜……』と消えていった。
……姉さんの新しいおもちゃが一つ増えた。
「一生懸命でいい子じゃない」
「そうですね」
「なにより反応が可愛いわ」
「真面目な人に変なことを教え込むのやめてくださいよ……」
◇
ただ、実際アリシアは頼もしい。
嘘を見抜くあの目。
そして魔物の血譲りの腕力。
三人で力を合わせれば、どんな事件もトラブルも乗り越えていけそうな気がする。
唯一の懸念があるとすれば……。
姉さんのペースに巻き込まれちゃわないか……それだけが心配だ。
そのうち「お姉様……」なんて呼ぶ関係になったりして。
……まあ、そうなったらそうなったでいいか。
そんなことを考えながら、私は幸せな眠りについた。
◇
翌日。
「事件もトラブルも乗り越えていける」──昨日の夜、そんなことを思った。
けれど実際は、そう思うからこそ呼び寄せてしまうのだと痛感する。
「一部屋借りたい。滞在は何日になるかはわからない。なるべく迷惑はかけない」
黒いマントを頭まで深く被った二人が玄関に立っていた。
一人は大柄な男。もう一人は子ども。
どことなく周囲を警戒するような目つきで、視線が絶えず動いている。
ただ宿を探してきただけの客には見えなかった。
明らかにトラブルの予感しかしない。
とはいえ、訳あり客もウェルカム──それが宿屋リングベルの信条だ。
「ではこちらにサインを……」
男の名はガイエル。
子どもはアマン、と記されていた。
部屋に案内すると、アマンがぼそりと口を開く。
「……こんな部屋に泊まるのか?」
「申し訳ありません、殿……いえ、アマン様」
ガイエルの声がかすかに耳に届いた。
はっきりとは聞こえなかったが、ただの旅人ではない気配だけは伝わってきた。
◇
一階に戻ると、アリシアが待っていた。
「あの人たち、偽名です。名前を書いているとき、黒い靄が見えました」
「夜……注意したほうがいいかもね」
サリィが真剣な顔で言う。その表情はいつもの飄々とした姉とは違い、どこか鋭かった。
「アリシア、部屋が近いからこそ気をつけてね」
「好奇心で覗いたり、危ないと思っても一人で動いたりしちゃだめ。いい?
お客さんだからって、自分の身を危険にさらす必要なんて絶対にないのよ」
「……はい」
アリシアは素直に返事をしつつ、なぜか姉さんを見つめていた。
どうしてか視線を外せず、頬がほんのり赤くなっている。
……心配してくれたのが嬉しかったのかもしれない。
うん、そういうことにしておこう。
◇
ハマーさんはダンジョン調査へ。
ミレーネさんは王都の書庫に。
二人とも今この宿には不在だが、出先から朝にふらりと戻ってくることもある。
けれど本来お客さんである以上、できるかぎり巻き込みたくはない。
もし夜に事件が起きたら──。
他のお客に被害が及ばないよう、私たち三人でなんとかしなくては。
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