第七話 飲み比べの火蓋
朝のリングベル一階。
パンとスープを並べていた私の耳に、やたら大きな笑い声が飛び込んできた。
「はーっはっは! こんな宿で朝を迎えるとは思わなかったが……悪くない!」
……声の主はもちろん昨日から泊まっているSランク冒険者レオン。
朝っぱらから金色の髪をかきあげ、堂々と食堂の真ん中でポーズを決めている。
(うわぁ……あそこだけ変な空気になってる……)
周囲の女性客は小声で「きゃあ」とささやき、男性客は呆れ顔。
一方でサリィはというと、まるで何事もないかのようにパンを切り分けていた。
「はいはい、騒がずに座ってくださいな。朝食はすぐ出ますから」
「サリィ! やはり君は美しい! パンを切る姿すらまぶしい!」
レオンはすかさず姉の隣に腰を下ろし、わざと大げさに距離を詰める。
彼の仲間の美女三人は「また始まった」と顔をしかめた。
私はパン籠を抱えながらため息をついた。
(これ完全に営業妨害……)
◇
食後、さらに言い寄るレオンに、サリィがふっと笑みを浮かべた。
「ねぇレオンさん。私に勝てたら、考えてあげてもいいわよ?」
「……勝つ?」
「そう。夜に飲み比べ勝負よ。
私に勝ったら――少しくらい、お話してあげてもいい」
「姉さん!? 何言ってるんですか!」
私は慌てて止めに入る。
「だってホリィ、どうせ負けないもの。営業よ営業♪」
「営業ってそんな軽いノリで……!」
一方のレオンは、にやりと口元を上げ、わざとグラスを掲げて見せた。
「ふっ……面白い! その勝負、受けて立とう!」
「じゃあ、夜に決まりね」
挑発めいたサリィの笑みに、客たちはざわついた。
「あの兄ちゃん、サリィちゃんに挑むなんて無謀だろ!」
「今まで挑んだやつ全滅だぞ!」
何度も飲み比べで打ちのめされてきた常連たちの声が漏れる。
確かに姉さんは酔いつぶれることはあっても、勝負形式の飲み比べでは絶対に負けたことがない。
むしろ、負けた男が姉さんの酒豪っぷりに惚れて、気づけば店の常連になってしまうくらいだ。
(……まぁ、心配しすぎかな)
◇
午後、キッチンで食器を片付けながら、私は思わず聞いてしまった。
「姉さん、もしかしてあのレオンって人、ちょっとは“アリ”とか思ってる?」
「まさか! あんな線の細いの全然タイプじゃないし、むしろ苦手!」
「そ、そうなの? じゃあ、どんな人がタイプ?」
「え? うーん……あらためて聞かれると……」
サリィは少し考え込み、にやっと笑った。
「お酒が強くて、ガッチリして、たくましい人かな」
(……それって、どう考えてもヘンドリックさんじゃ……)
私は内心で頭を抱える。
……うん、姉さんをあのひげもじゃおじさんに近づけるのは、全力で避けよう。
「そう……と、とにかく負けないでくださいよ」
「大丈夫だって、も〜ホリィは心配性なんだから」
「もう、誰のせいでこうなったと思ってるんですか」
私の心配なんて気にもとめず、けらけらと笑う姉。
……けれど相手は天下のSランク冒険者。
力比べじゃ当然かなうはずがない。
だからこそ、余計なトラブルは避けるべきなのに。
この胃痛が、ただの思い過ごしで終わればいいんですけど……。
私の不安は、洗った皿の水滴みたいに、しつこく胸に残ったままだった。
◇
夜。リングベルの食堂。
テーブルの上には酒樽が鎮座し、グラスがずらりと並ぶ。
噂を聞きつけた客たちが続々と集まり、賭けを始める者まで現れる。
「サリィに銀貨三枚!」「いや、レオン様に金貨だ!」
どよめきと歓声が飛び交い、酒場は一夜にして闘技場に変わったようだった。
ふと視線を巡らせると、部屋の端にハマーさん。
少し離れた席ではミレーネさんが食事を取りながら成り行きを眺めている。
長期滞在のお客さんだ、私は一言かけに行った。
「すみません、騒がしくて。今から姉さんとレオンさんの飲み比べをやるみたいで……」
「レオン?」
ハマーの眉がぴくりと動く。すぐ横でミレーネが口を開いた。
「レオンさんって、例の《真紅の爪》の人よね。
実力はあるけど……あんまりいい噂は聞かないわよ」
「……ああ。とにかく注意しておけ」
その一言に、急に不安が胸に広がる。
胃がきゅうっと縮み、私は慌ててサリィのもとへ駆け寄った。
「姉さん、本当にやるんですか……」
「もちろん! 盛り上がってるでしょ? お客さんが喜んでくれるなら万々歳よ」
レオンの傍らには、例の美女三人組。
応援するでもなく、むしろ冷めた表情でワインを口にしていた。
サリィは余裕の笑みでグラスを手に取り、レオンの前に腰を下ろす。
レオンも挑発するように酒を注ぎ、豪快に言い放った。
「今夜、君を酔わせ――そして勝つ!」
「ふふん、言ってられるのも今のうちよ」
二人の視線がぶつかり、同時にグラスを掲げ――
「勝負開始だ!」
――その瞬間、割れんばかりの歓声が場内を揺らした。
つづく。
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