　俺は、冷たい真鍮の鍵を握りしめながら、侯爵家の裏庭にある古い物置小屋へと急いだ。そこは、俺がリ・ユエを待機させた隠し部屋の入り口だ。

　扉を開けると、リ・ユエが静かに立っていた。薄暗い小屋の中でも、彼の存在感は際立っている。彼は俺の顔を一目見て、すぐに理解したようだ。

「…手に入れたな」

「ああ。悪役令息の知略、こんなもんだろ」

　俺は鍵の入った木箱をリ・ユエに見せつけ、軽く息をついた。緊張から解放され、どっと疲労が押し寄せてくる。

　リ・ユエは俺の傍に歩み寄り、俺の額の汗を指先でそっと拭った。

「君は、私と世界の命運を懸けた賭けをしているというのに、こんな些細な駆け引き一つで疲弊している。…本当に、非力だな」

　彼の声は静かだが、その言葉には、皮肉ではなく、純粋な心配が滲んでいた。

「うるさい。俺の戦闘力はゼロだ。頭脳労働こそが、俺の命綱なんだよ。で、世界の柱様は、隠れてる間に何か知恵を絞ったのか？」

　俺は少しぶっきらぼうに言い返したが、彼の気遣いが嬉しかった。

　リ・ユエは、その青い瞳をわずかに伏せ、深い陰りを帯びた表情を見せた。

「一つ、確認したいことがある。君は、『等しき価値』の証明について、私を孤独から解放することだと解釈した」

「そうだ。世界の維持に必要なのは、あんたを世界に縛りつける『鎖』ではなく、あんたの心が壊れないための『支え』だ」

　俺は、俺の持つ唯一の論理、システム解析を信じていた。

「もし、君の解釈が間違っていたら？」リ・ユエの声が震えた。「もし、本当に君の魂が、私と同じ贄になることだけが、世界の安定を保つ唯一の道だったら？」

　彼は、俺の顔から手を離し、両手で自身の顔を覆った。

「私は…私自身が、狂気によって、君を鎖に繋ぎ止めることになるかもしれない。その時、君は私をどう思う？」

　彼の問いは、単なる確認ではない。何百年もの孤独の中で、彼が誰かに懺悔し、許しを求めたかった、魂の叫びだった。

　俺は、リ・ユエの覆われた手に、自分の手を重ねた。彼の身体は、まだ冷たかったが、その中にある心の熱を感じる。

「リ・ユエ」

　俺は静かに呼びかけた。

「俺は、あんたを信じる。俺の解析が間違っていたとしても、あんたが俺を助けようとしてくれた、その愛は間違っていない。それに、俺はしぶとい悪役令息だ」

　俺は、リ・ユエの手から顔を遠ざけさせ、目を合わせる。

「俺の魂があんたの狂気に飲まれそうになったら、俺の頭脳が最後の抵抗をする。その時は、あんたが以前言った通りにしろ。俺を壊せ。だが、その前に、俺があんたの鎖を断ち切ってやる」

　俺の言葉に、リ・ユエの目から、再び涙が溢れた。その涙は、狂気の涙ではなく、解放の予感による涙だった。

「…君は、本当に…私の天啓だ」

　リ・ユエは、俺の手を強く握りしめた。その握りには、もう迷いも、諦めもなかった。

「さあ、行くぞ、世界の柱。俺たちの新しい物語を始めよう」

　俺は、真鍮の鍵を握りしめ、リ・ユエと共に隠し部屋を出た。外の光は、二人の行く先を、静かに照らしていた。

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