無能と蔑まれ追放寸前の俺、実は徳川吉宗。非効率な魔法社会を江戸の知恵で改革し、最強の国家を作り上げます
藤宮かすみ
第1話『享保の風、異世界に吹く』
徳川吉宗が最後に見たのは、病の床から見上げた江戸城の、高く薄暗い天井だった。
享保の改革、目安箱、小石川養生所。民のため、天下泰平のために尽くした生涯であったという自負は、確かに胸の内に灯火のように揺らめいている。しかし、志半ばであることもまた、紛れもない事実であった。
次に目を開けた時、そこは見慣れた城の一室ではなかった。
天蓋付きの豪奢な寝台。
冷たい感触を伝える石造りの壁。
窓の外には、見たこともない尖塔が林立する街並みが広がっている。
そして、姿見に映ったのは、まだ十代半ばといったところの、線の細い黒髪黒目の若者の姿。
混乱の極みにある意識へ、濁流のごとく記憶が流れ込んでくる。この身体の持ち主――男爵家の三男「ヨシムネ」としての、屈辱に満ちた生涯の記憶が流れ込んできた。
ここはアークライト王国。魔法こそが力の源泉であり、個人の価値、ひいては国家の盛衰すら左右する世界。人々は生まれながらにして「マナ」と呼ばれる魔力を宿し、その量と質によって運命が決定づけられる。
そして、このヨシムネという青年は、貴族でありながら魔力量が赤子同然という、いわゆる「魔力なし」であった。家の恥として厄介払いされ、王立魔法学園に放り込まれたものの、そこは魔力至上主義の縮図。彼は誰からも侮られ、存在しない者として扱われる日々を送っていた。
「魔力、か……」
かつて徳川吉宗であった男は、寮の一室で窓の外を眺めながらつぶやいた。
転生してから、すでに数ヶ月。八代将軍として数多の政(まつりごと)を采配してきた精神は、とうに現実を受け入れ、冷徹な分析を始めていた。
この世界の魔法とは、内なるマナを消費し、呪文や魔法陣を介して自然現象に干渉する技術。炎を生み、水を操り、風を巻き起こす。その威力は、本人の魔力量に絶対的に依存する。
授業は苦痛以外の何物でもなかった。教官が杖を振るえば教室の半分を焼き尽くす火球が生まれ、生徒たちがそれに倣う。だが、ヨシムネがどれほど精神を集中させ、教えられた呪文を唱えても、指先に灯るのは蝋燭の炎にすら劣る、か細く消え入りそうな火種だけだ。
「見ろよ、また“無能火(ノーブル・ファイア)”だ」
「貴族(ノーブル)のくせに火も起こせないから、皮肉を込めてそう呼ばれてるんだってな」
「男爵家の恥さらしめ。よくもまあ、平然とこの学園に居られるものだ」
背後から突き刺さる嘲笑は、もはや日常の音に過ぎない。吉宗の心は、揺らぐことはなかった。彼が耐え難いのは、侮辱そのものではない。この世界の魔法の在り方、そのあまりの非効率性と浪費に対する、腹の底から湧き上がる苛立ちであった。
彼らは、ただ強大な魔力をぶつけることしか考えていない。より大きな火球を。より激しい吹雪を。それはまるで、兵站も、地形も、天候も考慮せず、ただ闇雲に大筒を撃ち続ける愚かな戦と同じではないか。
ある日の魔法史の授業。
古びた教科書の片隅にある記述に、彼の目が釘付けになった。
『――古代、魔法は神々との対話であり、万物の理(ことわり)を理解し、世界と調和するための術であった。しかし、魔王との大戦を経て、魔法はより強力な破壊の力、すなわち“攻撃魔法”へと傾倒していった』
理(ことわり)。
その二文字が、雷のように吉宗の魂を撃ち抜いた。
「そうか……そういうことか」
彼が前世で学んだのは、儒学や武芸だけではない。新田開発のための治水。飢饉に備える米の増産。天候の観測。それら全ては、自然という巨大な理を深く理解し、その流れに乗り、あるいは少しだけ誘導することで、人の世を豊かにするための知恵であった。
「魔法が自然の理を操る力であるならば、わしに扱えぬはずがない」
その日を境に、ヨシムネの学園生活は一変した。彼は攻撃魔法の授業を半ば放棄し、学園の広大な敷地の片隅で、一人、土をいじり始めた。
嘲笑はさらに大きくなったが、彼の耳にはもう届いていなかった。
八代将軍・徳川吉宗の二度目の治世が、誰にも知られず、小さな畑から始まろうとしていた。
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