11 待ち時間
なんて俺は単純なんだろう。翌朝、とても元気だった。
前夜、クラウスさんは俺が泣きやむと体を離した。そしてハンカチを貸してくれた。そのときには、俺の心はすっかり軽くなっていた。もしかして何かの魔法をかけたのかと尋ねると、そんなことはないですよ、とクラウスさんは言った。明日また会いましょう、とも言ってくれた。王宮の中を案内します、できれば街へも行きましょう。
「あら、ユウ、ご機嫌ね。え? クラウスと約束したの? 私たちだってあなたと何をしようかっていろいろ考えていたのに。まったくクラウスってば。まあ、いいわ。そう言えば、ユウ、あなた魔法を使ったけれど、もっと基礎からやらなければ駄目よ。そのための初歩の本が部屋に届くよう手配しておくから、暗記できるまで読み込みなさいね」
朝の食堂でエレノアねえさんに言われた。分かった、と俺が頷くと、クリスティーナさんが、頑張ってくださいね、とほほ笑んだ(ちなみに、エレノアねえさんもクリスティーナさんも、ドレス姿ではなかった。あれは王様の前に出るときの公式の服装だったそうで、二人はきれいだけれどこざっぱりとした、さすが研究所の副所長だなあ、と思える格好をしていた)。
そんな訳で、俺は親からの連絡を待つ間、快適に過ごした(聞き取り調査がすぐに終わって、自分の人生の厚みの無さに、ちょっとがっかりした、なんてこともあったけれど)。
クラウスさんは時間が空くと広い王宮の中を案内してくれた。それに近衛隊の鍛錬を見学させてくれた。馬場に連れて行ってくれて馬の乗り方も教えてくれて、
「ユウは筋がいいですね。何か異世界で体を鍛えることを?」
「いえ、全然」
「この調子だと、騎兵にもなれるかもしれない」
ちょっとからかうように言うクラウスさん。
「そ、そこまでは無理です」
俺は自分が大泣きしたときを思い出して恥ずかしくなったりして。
そして馬といるときにこんなことがあった。馬に触れたとき、ふわあとした何かを感じたのだ。よく見ると、馬の体全体が、うっすらとした膜のような柔らかな光で包まれていた。
「ユウは見えるんですね。それは宮廷魔法使いによる守りの魔法です。王国のすべての軍馬に、守りの魔法はかけられています。ケガをしにくくなったり、魔獣や魔物から気配を気づかせにくくしたり。その膜は、普通、人の目には見えません。ある程度魔法が使える者でも。やはり、ユウは素質がある。特別な魔法使いになる素質が」
「そうなんだ……」
俺は馬に触れていた右手を、クラウスさんの胸にぺたりと移した。クラウスさんは驚いたように身を引いた。
「ユウ!?」
「あ、すみません。クラウスさんにも守りの魔法がかかっているのかなあと思って」
「人間には使いませんよ。人間は、極力己を己のみで鍛えなければ。けれど実戦や魔物・魔獣の退治のときなどは、同行する魔法使いが守りの魔法をかけてくれるんですよ」
俺はそのクラウスさんの言葉で、あの夜の自分を反省した。実戦。クラウスさんは軍人。軍がするのは戦うこと。軍に入るなんて、覚悟なく、簡単に言って良いことではなかった。
そしてこうも考えた。同行する魔法使い。それに、俺はなれるかな?
そのためには勉強だ。俺は部屋で、届けられたエレノアねえさん推薦本を手にした。たて二十センチ、横十五センチほどの大きさの本。表紙には『魔法使いの心得』と題名が書かれていた。椅子に座り、背筋を伸ばして、本を開いた。
一ページ目。
魔法ってなんだろう?
魔法はとってもおおきなちから。だいじに使おうね。
(こっ、ここからなのか)
俺は自分の魔法レベルを痛感した。
とはいえ、読み進めると、ためになる内容であることが分かった。最後のページは、
魔法はみんなを、だれかを、幸せにするためのものだよ。
だった。途中のページにあった、
こら、こら。おともだちに、魔法でボールにした魔力を、ぶつけたらダメ。ぜったい。
ってのには、ちょっと笑った。絶対、これやったやつが、作者の人のそばにいたんだろうな。
俺は、本を枕元に置いて、毎朝起きたら必ず一回は読み通すことに決めた。
親からの連絡は、思ったより早く来た。こちらの世界に来て四日目だった。
午前十時、図書館で借りた本を部屋で読んでいたら、使いの人が迎えに来て、俺は魔法研究所を訪れた。
異世界に来た最初の日に連れて来られたあの部屋で、エレノアねえさんとクリスティーナさんが待っていた。
「ようこそ、ユウ。いえ、ユーリ。それがあなたの名前よ」
「座ってください、ユーリ。手紙が届きましたよ」
「はい」
テーブルの前に、二人は並んで座っている。俺は向かい側の椅子に腰を下ろした。「もう、俺、ユーリって呼ばれるんだね」
「あら、嫌? それなら今まで通り、ユウって呼ぶけど」
「いや、いいよ。なんとなく思っただけ」
「ユーリ、こちらの手紙は簡単な連絡事項が書かれているだけですが」
クリスティーナさんの手元には、便箋一枚と封筒があった。「あなたが異世界に飛ばされたのは、事故でした。研究中の魔法陣に落ちてしまったのです。そして、やはり、あなたは過去に転移させられていました。母親であるあの方が、わざとそうしたのです」
「わざと?」
「ええ。魂として転移させて過去に。とても難しいことです。でも、あの方はありったけの魔力を使ってそれを行った。あなたのために」
「俺のため?」
「あなたが幸せになるためよ、ユーリ」
エレノアねえさんが言った。「異世界に行けば、どれくらい苦労するか知っていらっしゃるからよ。だから、異世界の両親の本当の子供として生まれさせることを選んだの」
「……手紙、見せて」
クリスティーナさんが渡してくれた手紙に、俺は目を落とした。クリスティーナさんが説明してくれたことが、ざっと書いてあった。そして最後に記されていた――ユーリの様子はどうですか? 異世界で、幸せに暮らせていたのでしょうか?
「……ふうん」
俺は、手紙を返した。
「ユーリ、どう? 何か聞きたいことある?」
エレノアねえさんが俺の顔を覗き込むように首を傾げた。
「捜索願を出さなかったことについては書いてないね」
「そうね。ご自分の口から言いたいのかも」
「そっか。あのさ、ユウって名前、ユーリに似た名前になるように、その人が魔法をかけたからかな?」
「それは偶然だと思うわよ」
「そう」
なんだか拍子抜けだが、問題はそこではないと分かっている。「俺、その人に、会ってみたい気がするよ」
「そう!」
「よかったです」
エレノアねえさんとクリスティーナさんの表情が晴れやかになる。
「あのさ、さっきから気になってるんだけど、あの方、あの方、言ってるけど、二人と知り合いなの?」
「よくぞ聞いてくれたわね! 教えてあげるわ、あの方の正体を!」
エレノアねえさんが、胸を張った。すると、
「あなたの母親はね」
とクリスティーナさん。
「ああっ、クリスティーナ、私が言おうとしてるのにー」
「はいはい(くすくす)」
「もー(ぷんすか)」
早く教えろよ、と俺は心の中でつぶやく。
そして、ようやく、
「ええと、ユーリ、あなたのお母さんはね」
とエレノアねえさんは言って、一度大きく息を吸い、
「偉大なる魔女! 水色の魔女! 王立魔法研究所前所長、アリシア・アクアパッツァよ!」
と、ぶちかました。
……あっ、く?
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