7 俺は何者?

「と言っても、目星は大体ついているんだけどね。クラウス、あれ取って」

 クラウスさんは本棚から一冊の本を抜き取ってこちらに持って来た。

 エレノアねえさんは受け取ると、俺に本を見せた。

「これは異世界失踪者名簿。ルーク様が失踪した年のものよ」

「見せて」

 表紙に異世界失踪者名簿と書かれたそれはぶ厚かった。

「ええ、いいわよ」

 エレノアねえさんは俺に渡そうとしたが、すぐに手元に引き寄せた。「ダメダメ。個人情報。他の人のも載ってるから、見せられないわ」

「そう。一年で、たくさんの人がいなくなるんだね」

「この年はね。ルーク様と一緒に飛ばされた人が多かったから、わが国だけで五十人くらいいたわ」

 言いながら、エレノアねえさんは俺に中身が見えないように本を開いた。ぱらぱらとページをめくり、止めたところを数秒見つめてから本を閉じた。そして、俺としっかりと目を合わせると、

「ユウ。この年の子供の失踪者はね、ルーク様とあなたと思われる子だけ」

 と、真剣な声音で言った。「けれど、いくつか不審な点があるの」

「不審な点?」

 俺は心臓がどきりとした(それにしても、エレノアねえさん、なんだかなんかのドラマの捜査官みたいだな)。

「まず、あなただと思われる人物。その子は異世界失踪届は出ているけれど、捜索願は出ていないの」

「それ、親が探さなくていいって言ってるってこと? もしかして、捨て子?」

「捨てたのなら、わざわざ失踪届を出さないでしょうね。おそらくなんらかの事情があるんでしょう。けれど、捜索願が出ていなかったせいで、ルーク様は別格としても、他の人たちの方の捜索を優先してしまったことは確かね。十二年かけてこの年の失踪者を異世界から救出して、残るはルーク様とあなただけという状態になっていた。いえ、むしろルーク様探しに全力を傾けていたから、あなたは眼中になかった。ごめんね。では二点目」

「は、はい」

 これ以上どんなひどいことを言われるのかと、俺はごくりとつばを飲み込む。

「あなた、陛下に尋ねられたとき、こう言ったわよね。普通に本当の親です。陛下は気になさらなかったけれど、これは本当? あなたは養子ではなかったの?」

「養子じゃないよ。ちゃんと病院で産まれて抱っこされてる写真だってあったし」

「そう。それなら……」

 エレノアねえさんが考え込むようにうつむくと、

「それが本当なら、あなたは、過去に転移した可能性があります」

 と、クリスティーナさんが言った。

「過去?」

「そうです。四年前に。おそらく、魂となって転移し、養母の体に入り、生まれた。そして育ち、失踪した年に、失踪したときの年齢になった」

「そんなこと、できるのかしら」

 エレノアねえさんが、訝しげに言う。

「できたんでしょうね。エレノア、それに、彼は文字が読めるわ」

「そうね」

「どういうこと?」

 俺は二人を交互に見て尋ねた。なんだかややこしくてよく分からない。

「さっき、言葉はすぐに話せるようになるって言ったわよね。でも、いくらこの世界の人間でも、習っていなければ文字は読めない。これまで赤ん坊のころに異世界に飛ばされて戻って来た人で、文字は読めた人はいない。でも、ユウは読めた。この世界で四歳までに学んでいたからだと思うわ」

「そう、なんだ」

 なんだか、やはり、よく分からない。「……で、結局、俺は誰なの?」

「うん、だからね、その辺りのことを念のために親御さんに問い合わせてから、あなたの正体を確定しようと思うの。それまでは保留ってことで」

「ユウ。申し訳ありませんが、それまで待ってくれますか?」

「はい」

 俺は、やはりよく分かっていないが頷いた。

「ねえ、ユウから私たちに何か聞きたいことはある? なんでも聞いて」

 一段落ついた、というふうに、ふう、と一息吐いてから、エレノアねえさんが言った。

「ええと、じゃあ……、あ、そうだ。クリスティーナさんとエレノアねえさんって恋人同士なんだね」

 聞きたいことがすぐには思いつかなくて、俺は世間話を始めてしまった。

「そうよ」

 エレノアねえさんはうれしそうに頷く。

「赤と白なんて敵対するものだと思ってたから、びっくりしたよ」

「赤と白が敵対? どうして?」

「向こうではそんな感じだったから」

「ふうん、面白いわね。私たち、好きで赤の魔女、白の魔女って名乗ってるだけよ」

「え? その通り名、自分でつけるの?」

「そうよ。自分の好きな色だったりをね。まあ、私が一番好きな色は白だけど」

「私は赤が好きよ」

 エレノアねえさんに視線を送られ、にっこりとほほ笑んで言うクリスティーナさん。

 二人の魔女が何やらいちゃつき出したので、

「こっちと向こうで、全然ちがうことってあるのかな?」

 俺は話題を変えた。

「そうね、特には、あ」

 エレノアねえさんは、左腕で抱えていた本に丸めた右手をぽんっと打ちつけた。「そうそう、子供の作り方が全然ちがうわ」

「え……?」

 な、なんだ? この人、エ、エロいこと話そうとしているのか!?

「あなた、あちらの世界で母親から生まれたでしょ?」

「う、うん」

「ここではね、子供は、愛し合う者同士の魂の一部が混ざり合い、一つとなって、それが徐々に、愛情を注ぐうちに、人の姿になるの」

「それって、心臓を取り出すってこと!?」

「違うわよ! あのね、まず、私たちは子供を授かるとき、天からの報せを感じるの。その夜、愛し合う二人は並んで眠り、体が光り輝いて、魂の一部が抜け出すの。その二つの魂の一部が混ざり合い一つの小さな玉となって、二人の間に作っておいた小さな寝床にすっぽりと収まるのよ。子育ての始まりよ」

「なんか、不思議」

 ここが異世界であることを、俺は激しく実感した。

 エレノアねえさんは、おかしそうに笑う。

「こっちにしてみたら、あなたたちの世界の方が不思議よ。私たちは、女同士でも、男同士でも子供を授かるんだから」

「へえええー。あ、じゃあさ、そういうふうに子供ができるなら……」

 つい気楽に発言しそうになった口を、俺は閉じた。危ない、デリカシーなさすぎだ。そんなふうに子供ができるのなら、もしかしたら、そういうこと自体、この世界にはないのかもしれない。

「ねえ、性行為のこと聞こうとした? するわよ、もちろん」

 俺の心を読んだように、エレノアねえさんが言った。あっけらかん、と。

「そ、そうなんだ」

「そうよ、だって愛を確かめ合うのに最適の行為だし、何より、気持ちいいもの!」

 無邪気な笑顔のエレノアねえさん。

 俺は呆然とした。

 す、すごい。あっちの世界と全然違う。これが世界との差というやつか。この世界には羞恥心という概念がないのだ!

 と思ったが、ふとクリスティーナさんを見たら、微妙な表情をしている。クラウスさんの方も見る。窓辺にいるクラウスさんの横顔は、まったくの無表情だ。不自然なほどに。

 もう一度、俺はクリスティーナさんに目を向けた。うっすらと頬に赤味。そして口元にわずかな笑み。目に宿るのは、苦笑らしきもの。これは、おそらく、あれだ。クリスティーナさんは、エレノアねえさんが、何を言っても何をしても何を考えても、とにかくかわいくてしかたがないのだろう。しょうがない子ね、誰もいなかったらぎゅって抱きしめたいわ、的な。

 結論。この世界には、羞恥心がある。

「……。エレノアねえさん、愛されてるね」

 何やら達観した気持ちになった俺は、集約的感想を述べた。

 すると、その言葉をどう捉えたのか、赤の魔女、いや、赤裸々魔女のエレノアねえさんの顔は真っ赤になった。

「なっ、何言ってんのよ! ね、ねえ、クリスティーナ、私たち、ねえ、クリスティーナ」

 へどもどエレノアねえさんに声をかけられたクリスティーナさんも、顔を真っ赤にしてうつむく。

「も、もうっ、ユウったら、おませさんなんだから!」

 真っ赤な顔をふにゃふにゃにしたエレノアねえさんが、異世界失踪者名簿を両手で持って、俺に向けて振った。背中をぱしんと叩くような感覚だったのだろう。もちろん、いったいこの人たちは何を想像しているんだ? と思っていた俺に、本当にぶ厚い本が当てられた訳ではなく、明らかな空振りだった。

 なのに、その行動が起因となったとしか思えないことが起こった。


 俺は、窓から外にふっ飛んだのだ。

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