第16話 お仕置きだぞ

「………………」


 ポラリスは絶妙な固さの枕の上で、ぽかんと口を半開きにした。


 気まずい空気が漂っていた若干年上の青年が、数時間も経たないうちにメイド服を着て現れたのだから驚くのは当然のこと。

 それも本人は結構ノリノリ、おまけに滅茶苦茶似合っていて美人だ。なんというか、ここまで来たら無敵である。


 ポラリスは多すぎる情報量に頭がフリーズして、何も言えなくなる。

 そんな少女の、煌めきを取り戻しつつある銀糸ぎんしの髪を、リュネット――もといリヒトが、突然くしゃくしゃっとなで回した。


「ひゃっ」


 ポラリスの喉から、カスタードに蜂蜜はちみつとチョコレートソースを混ぜ込んだような、糖分過多な甘い甘い鳴き声が飛び出た。

 リヒトに、恋している男の子にちょっと激しめに髪に触れられたのだ。甘々である。


 セレッソがにこにこしている。


「こらこらリューちゃん。いちゃいちゃは二人きりの時にしてねー。それと当たり前だけど、ポラリス様の嫌がることはしないこと」


「わかっているよ、当たり前だろう」リヒトが今度はいつもの、爽やかな薄荷の声で応えた。

「すぐ僕だとばれちゃうとは思わなかったけどね」


「リ、リヒトさんのことならすぐわかりますよ」


 むしろなぜばれないと思ったのだろう。


「そっか。君にはかなわないな」


「ふふ、ポラリス様。今夜はこのリューちゃんが同じお部屋にお泊まりします」

「ほぇっ?」


 当然ながら、ポラリスは頓狂とんきょうな声を出した。

 お泊まり――――リヒトが同じ部屋に、お泊まり?


「あ、あの、男の人と二人きりで夜を過ごすのは、いえ、その、肌を重ねるとかは、ちょっと」


 ポラリスは勢いよくあわあわとした。

 メイド服を着ていたところで、リヒトがれっきとした男なのは変わらない。

 再会した日に抱きしめられたたくましき腕を思いだしてしまい、ポラリスは嫌でも体温が上がるのを自覚した。

 

「ああ。ちょっとあれな話だけれど、妖精種には自分の色欲を抑制できる能力があるんだ。だから決して合意なしで君に襲いかかることはないよ。そもそもここは病院だし」


「そうだったのですか」


 羽根が引っ込められることといい、実に便利な能力である。妖精種たちが生きていくのに必要だからこそ習得したのだろうけど。

 リヒトに『ちょっとあれ』な話題を出されてポラリスの胸がどきどきした。今心拍数測定したら、確実に異常値を叩き出しそう。


 中学高校と女子校育ちのポラリスだ。男性とのそういうことを意識することには、正直あまり慣れていない。

 恋愛・結婚の多様化が進んだ今の時代では、オルタンシア女子高校の学校内で少女同士で恋に落ちる場面を何度も見た。


 彼女たちもそういうことを意識してお付き合いしているのだろうか。


 ちなみにエテルノ王国は性犯罪に凄まじく厳しい。未成年を無理矢理、などしたら問答無用で刑務所行きである。


 国内での性的合意年齢は一七歳と結構高い。未成年の望まぬ妊娠抑制のためであるという。

 一七歳のポラリスは一応達してはいるが、まだその手の営みをしたいとは思わない。


 なんというか、生々しすぎる。

 目の前にいる大好きな男の子とそういう『営み』のことを結びつけようとすると、否が応でも悶々としてしまう。結果変な想像をしそうになって、焦って何も考えなかったことにしたポラリスであった。


「僕たちは幼馴染みのようなもので、次期聖女とその守護騎士でもあるけど…………まだ」


 リヒトは穏やかな微笑を浮かべつつも、真剣な声音で説明してくれた。


「……はい」


 ポラリスも平常心を保って応える。


「まだ恋人同士ではないし、君は未成年で体の調子もよくないから。……僕としてもそういうことはしたくないし、できない。それでは君を守ることにならないし、僕も大切な女の子を傷つけたくはないから」


「――はい。お気遣いありがとうございます」


 リヒトが自分のことを女の子としても気遣ってくれていることが嬉しかった。


 ――あんなひどいことしたのに。


 余計に自分が恥ずかしくなる。


 素晴らしい他者とそうでもない自分を比べて落ち込むのは、誰にでもあることだ。

 さらにポラリスは今朝命に関わる行動をしてしまったこともあって、かなり激しく落ち込んだ。


「それでは私は部屋の近くで控えていますので、何かあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」


 セレッソが退室し、あとにはポラリスとリヒト(メイドのすがた)が残された。


「あの、……リヒトさん」

「うん?」


「朝は……ごめんなさい。その、飛び降りようとしたり……大嫌いなんて言ったりして」


 謝っても許され無さそうでも、ポラリスとしては謝りたかった。


「うん……そうだね。僕もあれは結構傷ついたかな……」

「そうですよね……」


 変に口先で『いいよ大丈夫』なんて言わないリヒトのことが、ポラリスは好きだった。


「だから、お仕置きが必要かな」

「…………っ!」


 何をされるのだろうと、ポラリスがびくついていたら。


「からだ、起こせるかい?」

「……できます」


 言われるがままにベッドの上で上体を起こすと。


「ひゃっ」


 リヒトの腕に抱きしめられた。再会した日に抱きしめられたときより、強く力がこもっている。


「リヒトさん、これは……」

「お仕置きだよ?」


 これではお仕置きというより、ご褒美ではないだろうか。


「また飛び降りようとされると困るから、しばらく離してあげられないよ」

「も、もうしません」


「僕だけじゃない。ロサさんも神殿長も、医師の先生や看護師さんたちだって……。もっと君にできることがあったんじゃないかと後悔しているんだ。ポラリスだって、これ以上みんなを悲しませたくはないだろう?」

「……もちろんです」 



「これは前にも言ったかもだけど……僕は君が生きていてくれればいくらでもがんばれるし、君が死んだらきっと僕も死んでしまうんだ」



 子ども時代最後に会った日と同じことを、とてつもなく重いことを青年はいとも簡単に言ってのけた。

 今ならその重さの中に愛や情熱が秘められていることを、ポラリスは理解できるようになっていた。


「はい……」


「遅くなってしまったけど、君を迎えに来られた。少し他の仕事にかまけてしまったけど、これからは本当に、できるだけポラリスのそばにいる」

「はい……、ありがとうございます……」


 ポラリスがリヒトの胸元に顔を埋めると、今度は優しく髪をでられた。

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