第14話 リヒト・フローレスは諦めない(リヒト視点)

 リヒトがポラリスを抱えるようにして病棟に戻ると、血相を変えた看護師たちがばたばた走ってきた。

 ポラリスが部屋に不在なのに気づいていたのだろう。悪いことをしたなと、リヒトは愁眉しゅうびを寄せた。


「クライノートさん!」

「どうされましたか!」


 すぐさまポラリスの身柄は看護師に引き渡され、またリヒトとは離れてしまう。


「フローレスさん、あとは私たちにまかせて。あなたは神殿長さんたちに報告をお願い」

「…………了解です」


 ベテラン看護師長にきっぱりと言われ、リヒトはおとなしくうなずく。

 こちらは一人前の神殿騎士とはいえ、まだ一九歳の人生初心者。様々な分野について、年長者に教わらなくてはならない場面がたびたびあった。


「また私から離れるのですか? そばにいるって言っておいて……嘘ではないですか!」


 気がたかぶったポラリスの叫びが、白い廊下に反響する。


「ポラリス……」

「クライノートさん……落ち着いて」



「もうきらい! リヒトさんなんか大っきらいです! 二度と近づかないでください!」



 さすがに大好きな女の子から二度と会いたくない、嫌いと叫ばれるのはリヒトもこたえた。頭を叩きつけられたようなショックを覚える。


 そのままポラリスは病室に連れて行かれた。がらんどうの廊下に、己の無力を痛感した騎士ひとりが残される。


 無慈悲に戸が閉ざされた病室からは、かすかに少女の泣き声が聞こえて胸がずきりと痛む。

 振り払うようにして、リヒトはトリシャへ一連の報告のため音声通話可能スペースへ向かった。



「――それで、トリシャさんは何と言ったの?」

「『一度君に策を任せる、それで駄目だったらこちらも手を打つよ』だってさ。だから……いま策を練っているんだ」


 病院の職員用休憩スペース。

 リヒトはポラリスの専属侍女に任命したセレッソ・ロサと一緒に珈琲コーヒーを飲んでいた。トリシャから少しでいいから休憩しろと、それだけ絶対にと命じられたからだ。


 甘みが一切含まれない珈琲の苦みが、今はとても心地良い。

 ちなみに珈琲は休憩スペースにある自動販売機の、砂糖やミルクの量を調節できて紙コップ入りで提供されるタイプのものだ。自動販売機自体があまり見かけないエテルノ王国では、かなり珍しいドリンク提供方法。


「私がもっと、ポラリス様を気にかけてあげれば良かったわ」


 今回の件は、セレッソにも衝撃と落ち込みをもたらした。


「……君は悪くないよ」さっきポラリスに言ったことを、リヒトはセレッソにも伝えた。


 実際そうなのだ。本当に悪くない、ポラリスも、セレッソも。そしておそらくはリヒト自身だって。 


 先ほどセレッソが病室に向かった結果、ポラリスはもうリヒトに顔向けできない、もう会えないと泣いていたらしい。


「このままだと、守護騎士を降ろされるかもしれないな……。命に関わることが起きたんだ」


 リヒトは本気で言った。セレッソもそれを否定しない。


「そうね……。わざわざ屋上に行ってフェンスを越えようとするなんて、余程のことがないとできないわよ? それもせっかく再会できたあなたの前でなんて、かなり思い詰めていないとできないんじゃないかしら」


「ぜんぶ、僕がポラリスのそばを離れていたから起きたことなんだ。ロサさんは自分を責めないで。本当に……僕がしっかりさえしていればっ」

「フローレスくん……」


 リヒトは珈琲を飲み終えたあとの紙コップを、ぐしゃりと握りつぶした。

 乱暴なのはわかっているけど、何かに当たらないとやってられない。


「これは私の想像で多分だけれど、ポラリス様はフローレスくんに助けを求めたかったんじゃないかしら。……きっと止めてくれるとわかっていて、わざとフェンスを越えようとしたのかもしれないわ……」


「そうかもしれないな。たとえポラリスが病んでいても、今度こそそばにいる。でも、今僕はきっと拒まれているし、そうなって仕方がなかったと思ってるよ」


 リヒトの表情はすっかり絶望の影に沈みきっていて。

 それでもその瞳のあおいろは、決して光を失っていなかった。


「だから――――、今回は最終手段に出ようと思う。やれるだけやる。僕からポラリスを切り捨てることは決してしない」


 青年烏は愛する人類種の少女を決して諦めない。

 諦めるくらいなら最初から愛さない。一度愛したら決して見捨てたりしない。


 まっすぐで危うくも美しくもある在り方。

 それがリヒト・フローレスという青年だ。


「そっか。そう言ってくれると思った。きっとフローレスくんはポラリス様を諦めないって」


 セレッソが安堵した様子でほのかに笑う。この朗らかな妖精猫ようせいねこは、ポラリスとリヒトの二人のことを確かに案じてくれていた。

 それで、どうするの? とセレッソが問うと、リヒトは淡く微笑んだ。


「今日と明日、ポラリスの世話をリュネット・フィオレンツァ嬢に任せようと思う」


 知らない者が聞いたら、一体急にどうしたのかと不安がられただろう。

 ここまできてリヒトが自分以外にポラリスを任せるとしたら、らしくない。


「リューちゃんに? フローレスくん、本気なの?」セレッソもちょっとだけ心配そうだ。

「ポラリス様、怒らないかしら?」


 一方のリヒトは本気であった。

 セレッソが知っているのだし、リュネットなる人物がまったくの不審者ではないことだけはなんとなくわかる。


「うん。だから最終手段なんだ、失敗したらリュネット嬢共々いさぎよく怒られるよ」


「それも、そうね。ポラリス様は何せ生き死にを彷徨さまよっているような状況だし。人によってはふざけてると思われそうだけど、今ポラリス様とフローレスくんの間にあるかなり気まずさを壊すには、打って付けかも」


「良かった。それで頼みがあるのだけど、ロサさんには事前にポラリスの様子を見てきて欲しい。それでリュネット嬢をポラリスに会わせるタイミングを決める。それとリュネット嬢がしたく度をするための場所もあると助かるのだけれど……」


「了解っ。専属侍女にお任せなさいな」


「ありがとう、ロサさん」


 もう、リヒトの顔に憂いはなかった。

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