第12話 終わらせたい

 ポラリスの入院も五日目になった。

 優秀な医療スタッフたちや侍女セレッソ・ロサの尽力もあって、ポラリスの体調は少しずつ安定してきた。

 ポラリス自身、あまり長期間周りに心配をかけ続けたくない気持ちもあった。


 短時間ながらオルタンシア女子高校の担任の先生と学校長がお見舞いに来て、虐待という苦しみを察しながら今まで救えなかった謝罪と、神殿での生活が落ち着けばまた高校に戻っておいでとの話をしてくれた。


 今まで高校側も異変を察知して児童相談所に相談してくれていたという。

 あいにく児相の人手不足と今すぐ人命に関わるケースではなかったため、対応が後回しにされてしまったらしい。


 エテルノ王国内での人材不足は社会問題として常態化している。それでAI技術と実用化の躍進やくしんも起きたわけなので、一概いちがいに悪いこととも言い切れない部分があった。きっとポラリスの件への対応が遅れたのも、誰が悪いという問題ではないのだと思われた。


 ポラリスが次期聖女に選定されたのを機に、児相と高校それぞれが神殿に『虐待の可能性が高い』と報告していた。

 それで神殿からポラリスの突然の迎えに至ったわけだ。

 思った以上にたくさんの人たちが動いてくれたことに、ポラリスは恐縮する。


 それと学校長が神殿の方々用にと有名パティスリーの焼き菓子詰め合わせを持参して、セレッソが大喜びしていたりしたのだった。


 

 今日はクレアシオン神殿長であるトリシャ・アレグリアがお見舞いに来てくれた。

 やはりリヒトと共にポラリスを迎えに来た、紺色の髪の女性がトリシャだった。


 トリシャはどこかハスミンを彷彿ほうふつとさせる気さくさで、ポラリスの体調を案じリヒトを多忙にさせてしまっていることを詫びた。


「せっかく再会できた二人なのに……申し訳ないよ」

「いえいえ。リヒトさんも必要なお仕事をしているだけですから。私は平気ですよ」


 ここで素直に寂しいですと言えたら、どんなに楽になれたのだろうか。


「ポラリス嬢、今更にはなってしまうが。希望すれば次期聖女にならないという選択肢もあるんだ。辞退したとしても一度大水晶の選定を受けた以上、君のことは神殿のほうで生活の世話ができるし」


「大丈夫です、私がんばります」


「そうか。何かあったらリヒトでもセレッソでも私でも、早めに助けを求めて欲しい。特に守護騎士は二十四時間毎日、聖女に仕えるためにいるわけだし」

「はい、ありがとうございます」


 仮にポラリスの精神が限界に達していたとしても、ポラリスは次期聖女の道を辞さなかっただろう。


 聖女になることをやめたら、守護騎士であるリヒトとの縁が永遠に途切れてしまうような気がして。



「あんたが彼の人生を奪ったのよ? ポラリス・クライノート」


 例によって浅い眠りの中。ポラリスはあまり気持ちの良くない夢を見た。

 他には誰もいない教室は、椅子や机がひっくり返って荒れ果てている。黒板には意味が分からない不気味な落書き。窓の外は真っ暗で、黒い絵の具で塗りつぶしたかのようだ。


 ポラリスはたった一人で、リーヴィア・トルメンタと対峙たいじしていた。

 こちらにハスミンやラウレッタはいないが、向こうにも取り巻きはいない。


「何を……言っているのですか……?」


 言う、ポラリスの声はかすれる。


「だ・か・ら。あんたがリヒト・フローレスの人生を奪ったのよ!」


 ストレートに言葉のやいばを向けられ、ポラリスは言葉を失った。


「そんな……こと……は」


 そんなことはない。言い返そうにも、言葉が喉につかえて出てこない。


「だってそうでしょ? あんたが次期聖女にさえならなきゃ良かったの! なら彼は普通の神殿騎士のままでいられた! ただ時折魔獣と戦っていれば良かったのにね」


 リーヴィアの目が三日月のようにを描いて嘲笑する。紺色の瞳がぎら、ぎらと攻撃性の高い輝きを放っている。


「あんたのせいで、彼はあんたに一生仕えることになっちゃったわけ。休みなく毎日ね。ねえ、人の人生奪って楽しい?」


 つんざく声で糾弾きゅうだんされ、ポラリスは眼球がこぼれ落ちるくらい大きく目を見開いた。


 ――ああそうだ、私は奪ったんだ。


 トリシャが話していた。守護騎士は聖女のために二十四時間、毎日仕えるためにいるのだと。


 今だってリヒトはポラリスのために奔走している。


 ――私なんかのために。


 リヒトこそ、ちゃんと眠れて食べられているのか心配されるべきなのに。


 ――なら、もう。


 

 久しぶりに右腕が酷く痛んで、ポラリスは汗びっしょりで目を覚ました。



「たすけて…………」


 目覚めると同時に、悲鳴じみた声でつぶやく。


 目の前には白い病室。白という概念を愛しすぎた人間が勢いだけで作り上げたような部屋が、ただ無慈悲に広がっているだけだ。


 この病室にはシャワールームがある。使用したことはないが、付添人用の簡易ベッドも。

 今ポラリスにシャワーを浴びる精神的余裕はなかった。


 たすけて、

 たすけて、

 たすけて、


 でも、何から?


 だってみんな、こんなに良くしてくれているのに。

 恵まれているはずなのに。


 ――どうして私は優しさに馴染めないの? つらく感じるの?



 追い詰められたポラリスは、気づくと屋上に出ていた。

 この病院では屋上は憩いの場として、早朝から夕方頃まで解放されている。

 高いフェンス越しに下方に広がる世界を見やる。こんな、フェンスさえなければ。今すぐに。


 すぐにここから飛び降りて、それで。


 最後に少しでも優しい人たちに出会えて良かった。彼とも再会できて良かった。


 もう、全部終わりにしたい。


 ポラリスが重大な決断を下そうとした、その時。羽ばたきの音が聞こえた。


「ポラリスっ!」


 妖精烏の青年が、どこからか飛んできて屋上に着地する。


「リヒ……ト、さん……」


 振り向けばリヒト・フローレスが、真剣な面持ちでポラリスを見つめていた。

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