第10話 罪人の娘

 それから消灯の時間になるまで、リヒトはポラリスと一緒にいてくれた。


 一緒にいるとはいえ、会話はほとんどなかった。リヒトは病室でもできる仕事をこなしていたからだ。

 おそらく仕事用のタブレット端末で何やら文章を打ち込んでいたり、スマートフォンで誰か関係者とのやり取りをしたり、時には音声通話も必要になっていったん席を外したりしていた。


 まっすぐ仕事に集中しているリヒトからは強い気迫きはくが感じられた。ついポラリスがその真剣な面持ちに魅入られた程に。


 交わす言葉はなくとも、そばにいてくれるだけで心強い。あったかい気持ちになる。

 それは多分、彼がリヒト・フローレスだからだ。


 普通病院というものには面会可能な時間が設定されている。

 だけどここは神殿付属病院。クレアシオン神殿関係者は時間問わずして病棟へ出入りができる。


 おそらくは時間問わずして、やらねばならない仕事が発生するからだろう。


 だから。


「ごめんポラリス。明日からあんまりこっちに来られない」


 リヒトにそう謝られても、ああ仕事が忙しいのだなと納得できることができた。


「いえ、お気になさらないでください。お仕事なのでしょう?」

「ああ……。特に明日は会議が一日かかりそうなんだよね」

「いいのですよ、リヒトさん」


 その会議だって、ポラリスに関することなのだろうことは容易に想像できる。


 今夜はもう消灯の時間だ。

 いつでもリヒトがここに出入りできるとはいえ、世の中常識というものがある。

 それに守る人であるリヒトにこそ、落ち着いて眠る時間が必要だ。


「本当にごめん、そばにいるって言ったばかりなのに。せめて必ず顔は出すから」


 ベッドに横になったポラリスの前髪を撫でて、リヒトは優しく微笑んだ。この心優しいからすに、ポラリスは昔からずっと救われてきた。


「今日は久しぶりに君に会えてうれしかった」

「私もです」


「おやすみポラリス。また明日な」

「おやすみなさい、リヒトさん」


 リヒトが病室の明かりを消して去って行くのを視線で見送った後。ポラリスは一人きりの暗い部屋で息を吐いた。


 色々なことが、ありすぎた。


 長く想い続けていたリヒトとの劇的なまでな再会を果たしたなど、昨日までの自分自身に伝えたところで信じてもらえなさそう。


 ……同時に、両親が――ベネデッドとイヴォンが犯罪に手をかけたとして、逮捕されたということも。


 ――どうして、犯罪なんか犯したのですか。


 実の親に虐げられる日々は確かに苦しいものだった。苦しみに慣れすぎて、暴力は決して許されざることだということを忘却してしまうくらいに。


 ――どうして。


 それでも。仮にも二人は親だった。この魔法惑星アタラクシアにポラリスを産んでくれた大人たちだった。


 どういう訳で、どういう理由で父ベネデッドはありとあらゆるハラスメントに手を染めて。

 母イヴォンは違法魔法デバイスなんてものに触れてしまうようになったのか。


 なぜ自らの娘を虐げることなんてしたのか。


 今後の人生を生きていく上で。ポラリスがイヴォンにもベネデッドにも会う機会はもうないだろう。そんな予感がヴェールが被さったようにうっすらとしていた。


 ポラリスも親にもう会いたいと思えないから、これでいいのかもしれない。きっとそれでいいのだろう。


 となれば、残る問題は。


 ――私は、罪人の娘だ。


 聖女となるものの周囲に前科者や逮捕者が出るのはよくあること。ゆえに世間も気にせず受け入れてくれる、とリヒトは言い切っていた。そしてそれは、きっと正しい。


 人は自分に関係ない人間のことをさほど気にしない。

 不適切投稿や不用意な発言などでインターネット上で大炎上でもすれば話は別だが、多くの人は多くの人のことを視界にすら入れていないだろう。


 おそらくこれから一年しないうちに、ポラリスも次期聖女としてシレンシオ市民の日常に溶け込むと思われた。

 それはそれとして。


 ――これからどうなってしまうのだろう。


 不安だった。一秒先も読めない明日のことが、ポラリスは不安で不安で仕方がない。

 だからこそ。


「リヒトさん」


 長い間求め続けて、ようやく再会することができた愛しい人。


 彼にそばにいて、欲しかった。

 絶対の味方だと言うのなら、本当なら会議なんかより自分のことを優先して欲しかった。

 我慢してなかったことにしていた本心がむくむくと沸いてきて、ポラリスはハッと口を押さえる。


「さみしい、よう」


 指の隙間すきまから、か細く声が漏れ出た。


 ポラリスにはもう親と呼べる存在がいない。

 だからこそ、余計に彼を強く求めた。


 気づかぬうちに少女ポラリスの心は深く傷つき悲鳴を上げていた。


 お願い、そばにいて、と。

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