第8話 絶対の味方(リヒト視点)

 それからしばらくの間。リヒトはポラリスのか細い身体を抱きしめ続けた。

 今にも折れてしまいそうなほど、痛々しく痩せてしまった身体を。


「リヒトさん……」


 リヒトの腕に包まれたままで、ポラリスがもごもごと言う。


 ――可愛い。


 いくら彼女が自分自身を嫌っていても。リヒトはポラリスを可愛らしいと、女性として魅力的だと思う。


「ごめん、もう少しだけこうさせて。君がここにいると確かめていたいんだ」

「はい……リヒトさん……。私は……ここにいます」


 やっと再会できた青年の胸に顔をうずめて、ポラリスは泣き続けた。リヒトがまとう騎士服の胸元が、彼女の涙に濡れる。

 リヒトはとん、とんと優しくポラリスの背中をさすってあげた。


 するとリヒトの青い海の色をした瞳からも、透明なしずくが次々と零れてきた。

 再会を果たせた喜びとあまりに痛々しいポラリスの姿を目の当たりにした悲しみが、心のコップの中で混ざり合い、塩辛い涙となって溢れ出している。


 ――もっと早くに助けてあげたかった。


 そうすれば、この子がこんなに衰弱することはなかった。早く助けた分、つらい時間も短くさせてあげられたはずだ。思っても後の祭り、でも思ってしまう。


 

 地方公務員として安定しているから。そんな単純すぎる理由で進んだ、神殿騎士への道だった。

 早く職に落ち着くことで育ての親である母方の祖父母を、安心させたかったというのも大きい。


 神殿騎士の仕事は神殿と聖女の守護、そして聖女の結界だけでは防ぎきれない魔獣を倒して市民の日常を守ること。

 魔獣との戦いは、時に命がけとなる。リヒトも神殿騎士に着任した直後、酷い怪我けがを負ったことがあった。

 負傷が原因で離職する者も少なくはない中、リヒトは騎士であり続けることを選んだ。


 そのお陰で忍耐があると認められ。他にもこつこつ重ねてきた努力が実を結んでポラリスの守護騎士となれたのだから、世の中何が福と転ずるか分からないのだ。


 自分が魔獣との戦いで負傷するよりもずっと、ポラリスがつらそうにしているほうが余程リヒトの心にくる。


「ごめんなさい、こんなに良くしていただいて」


 またもごもごと言うポラリスの銀糸ぎんしの髪を、片手でくように撫でる。


 するとますます赤い瞳から涙が流れた。結果騎士服がますます涙に濡れることとなったが、リヒトは一向に構わなかった。むしろ自分にすがってくれて嬉しいとさえ思う。

 深く心と体が傷ついた少女を、今はこの手でただ甘やかしてやりたい。


「謝らないで。僕がしたくてしているんだから」

「リヒトさんは昔から……どなたにもお優しいのです」


「僕なりに、優しくする相手は選んでいるけどね」

「では、どうして私に、」


『優しくしてくださるのですか?』


 一拍おいて、優しき青年烏せいねんからすは涙を流しながら素直に答える。



「君に救われたからだよ。だから君は、僕にとって特別で大切なんだ」



「私が…………あなたを救った?」

「そうだよ」


 他にも理由はあるのだが、これも本当のことだった。

 かつて幼いリヒトは、ポラリスと出会えたことで深く心を救われていた。


「だから……好きなだけ泣いてくれ……。僕もいま、泣いているから……」

「ありがとう……ございます……」


 

 二人の涙が止むまで、しばらくかかった。


 ポラリスが上目遣いでリヒトを見つめる。涙に濡れた顔も可愛らしいと、リヒトは思う。


「あの、家に警察が来るのですか?」

「……うん」


 先ほどリヒトとシリウスとの会話をしっかり聞いていたのだろう。


 ――誤魔化しても意味ないか。


 何よりリヒトはポラリス・クライノートという少女には、誰より何より誠実でいたい。

 だから、慎重に言葉を選択して伝える。


「しんどい話になるけど、良いかな」

「……はい」


 前置きをした上で、感情的にならないようできるだけ淡々と話す。


「君のご両親に、さまざまな罪の容疑がかかっている。君を虐待していたこともそうだし……。ベネデッド氏は会社で暴力沙汰を起こして部下を自己都合退職に追い込んだり、会社の金を勝手に使って風俗で使い込んだりしていた。イヴォン夫人のほうは……違法魔法デバイスの販売に手を染め、それで買い手に重い健康被害を負わせている。それで神殿も、警察に協力していた……」

 

「そう、でしたか」


 ポラリスは消え入りそうな声で、何とかといった様子で答えた。

 まるでぺしゃんこになったケーキみたいに、地面に落としてぐしゃぐしゃになってしまったジェラートのように。


「次期聖女の身内に逮捕者が出るのは……珍しいことではないんだ。神殿もこういうことは慣れているし……世間も受け入れてくれることが多いよ」


 いくら毒ばかりで薬にならなかったとはいえ、ポラリスの産みの親たちだ。罪人となったと知って、少なくとも気持ちよくはならない。

 リヒトだって、稲妻が走るような衝撃を受けている。


「……ポラリス、聞いてくれ」


 だからこそ。リヒトにはどうしても伝えねばならないことがあった。


「昔……僕が『絶対に君の味方でいる』と言ったのを覚えている?」


 シャボン玉の群れ。真っ赤な夕焼け。満開の桜。生きるのがつらいと叫んだ、幼いポラリス。


「忘れたことなど、ありません」


「うん。こうして君とまた会えたのは、あの時の言葉を取り返すためでもあると思っているんだ。だから、もう一度言わせて欲しい」


 抱きしめていた腕をいったん緩め、まるで結婚を申し込むときのように真剣な表情でポラリスをまっすぐに見つめる。もう逃げはしないと、言外に示すために。


「ポラリス、何があっても絶対に僕は君の味方だ。これは単に守護騎士だからではなく、リヒト・フローレスという一人の人間として言っている」


 リヒトはそれに加えて一人の男としても言っているのだが、言葉には出さなかった。


「時には厳しいことを言ってしまうかもしれないけど、君のそばを決して離れない。だから、安心して欲しいんだ」


「はい……。はい……!」


 ポラリスは涙が残る頬をほんのりと赤く染めて、嬉しそうに何度もうなずいてくれた。


 ――もう無力なだけの子どもじゃないから。


 だから。


 ――好きだよ、ポラリス。


 美しく優しいからすの青年は、ずっとこの少女を愛していて。


 ――君が僕に恋を教えてくれた。


 ずっと昔から恋をしていた。


 今は二人とも、まだ再会したばかり。リヒトはもっと成長した互いのことを知って、子どもの頃より仲良くなったら想いを告げる予定だ。


「うん……。大丈夫だよ、ポラリス」


 もう一度、リヒトは愛しいポラリスを思い切りぎゅっと抱きしめた。

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