第6話 幸せになってくれ

 予期せぬリヒトとの、初恋の人との再会だった。

 ポラリスは胸の奥がありとあらゆる感情でいっぱいになってしまって、何も言葉が出てこない。


 目の前にリヒト・フローレスがいる。年月が経過した分大人の男性へと肉体が成長していたが、その風のような微笑みはあの頃とまったく変わらなかった。

 それもリヒトは、ポラリスの守護騎士としてここに来たという。


 ――もしかして誰かが、私にドッキリを仕掛けているのかな?


 そう思いたくなるくらいに、夢に見た展開が訪れている。


 ポラリスはリヒトにまた会えて嬉しい。

 リヒトはポラリスに会えて、どうだろう。


 なりたくもないのに無理矢理ポラリスの守護騎士にされたのではないかと、後ろ向きな気持ちが顔を出したとき。


「リヒト、会えたか?」青年となったリヒトの後ろから、人類種の女性が現れた。


 先ほどリヒトの怒声どせいとがめたのはこの人だろう。年齢も三〇代くらい、一七歳のポラリスや確か一九歳のリヒトと比較すると、一回りくらい年上に見える。


 紺色の髪を肩まで伸ばし、小麦の肌に青紫の瞳。

 健康的で、リヒトやハスミンとはまた違った中性的な魅力がある女性だ。ライトグレーのスカートスーツに身を包み、いかにもできる女といった風貌をしている。


「はい。彼女です」


 リヒトの返答に、彼の上官らしき女性は殊勝しゅしょうな笑みを浮かべた。


「なら良かった。君は先に、ポラリス嬢を車にお連れしてくれ」

「了解。神殿長は?」

「私は少しばかり、イヴォン夫人に話があるのでな」


「ちょっと! 人の娘を勝手に連れて行く気? 警察呼ぶわよっ!」


 つんざくように金切り声が響いて、ポラリスの細い体がぎゅっと固まる。

 全身ハイブランドで固めた派手な女が急に割り込んできた。ポラリスの母イヴォンだ。

 

 リヒトがポラリスを背中に庇い、両腕を広げた。ポラリスに手を伸ばそうとするイヴォンを阻む。


 ――リヒトさん、私を守ってくれているの?


「ねえ綺麗なお兄さん、あなたなら分かってくれるでしょ? ポラリスはあたしにとって本当に、大事な娘なの」


 こんな時だというのに、イヴォンは美青年相手にだらしなく頬を緩めた。分かりやすく年下の美しい男に媚びようとしている。リヒトにはさっき怒鳴られてもいたのに。


「いえ、私には理解できません」


 甘ったるい猫なで声に、リヒトはぴしゃりと反論した。


「あなた方はポラリス様を、奴隷のように扱っていました。それが大事な人にすることですか? このままでは誰も幸せになれないでしょう」


 ――そっか。私は奴隷だったんだ。

 

 散々な扱いをしておきながら、あくまでポラリスは大事な娘だと言い張ってきた両親だった。

 でも良識ある第三者から見れば、まともに人間扱いすらしていないことが明らかである。


「彼女は個人的に、私にとっても大切な方です。本当に大事とおっしゃるのなら、せめてこれ以上危害を加えるのはお止めください」


 ――リヒトさん、怒っているの?


 彼の背後にかくまわれたポラリスからは、リヒトの顔色はうかがえない。それでも彼の静かな怒りくらいは理解することができた。イヴォンがどんな顔をしているのかは、怖すぎて見たくもない。


「……ですが、」


 急に青年騎士の怒気が弱まる。気圧けおされたのか、イヴォンはさっきから押し黙ったままだ。


「ポラリス様を産んでくださったこと、それだけは感謝申し上げます」


 呆然としているイヴォンにうやうやしく一礼して。

 リヒトがポラリスのほうに振り向いた。澄んだ青い相貌が、こちらをじっと見つめる。


「それではポラリス様、行きましょうか。表に神殿の公用車をめていますので」

「はい。……お願いします」


「何か持っていきたいものなどはございますか?」

「いえ、ありません。このままで大丈夫です」


「……かしこまりました。ちょっと失礼しますね」


 リヒトが軽々とポラリスを横抱きにした。


「ひゃっ」


 思わずポラリスの喉から、砂糖菓子のように甘い声が飛び出る。


「それでは神殿長、後はよろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ。車に着いたら、少し二人で話でもするといいよ」


 神殿長と呼ばれた女性は、強気な笑みで応えた。おそらく彼女がトリシャ・アレグリアだろう。

 その笑顔に女性特有の忍ぶような恐さを感じて、ポラリスは目をぱちくりさせる。


 この人もまた、ポラリスがされてきたことに怒ってくれているのだ。


 今までもリーヴィアに反撃してくれたハスミンがいたが、母から守られたのは初めてだった。


 そして。ポラリスはずっと大好きな男の子に抱き上げられているわけで。


「少し急ぎますね」


 早足になったリヒトが、ポラリスをがっちり抱えて玄関に着く。その、壊れ物を扱うように優しい手つきに、ポラリスの心がいだ海のように落ち着いていく。


 玄関にはリヒトと同じ紺青の騎士服姿の男性がいた。年は五〇代前半くらいに見える。琥珀色の短髪に鋭い目つき、歴戦の戦士といった勇ましい雰囲気を漂わせていた。


「リヒト、その子か?」


 いかつい見目とは裏腹に、壮年の騎士の口調は穏やかだった。


「はい」

「そうか、良かったな」

「……はい。私たちは先に車に行きます。神殿長は少し残られるそうです」


「わかった。車のそばに『協力者』がいるから、挨拶を忘れないでくれ」

「……了解です」


 リヒトの上官らしき男性騎士が戸を開けてくれたので、ポラリスとリヒトはそのまま外へ出る。

 冷たさをはらんだ風が、ポラリスの頬を撫でた。すでに辺りは薄暗く、遠くで街灯が白く発光しているのが見えた。


「移動時間短縮のため、少しだけ飛行します。決して落としたりしませんのでご安心ください」

「わ、分かりました」


 バサっと背中の羽根を広げる音がした。数歩助走をつけて、リヒトとポラリスの体が上昇していく。



『ポラリス、ぼく、自力でとべるようになったら、すぐにきみをむかえに行くから』



 かつて交わした言葉が、ふとポラリスの脳裏をよぎった。空を飛ぶ妖精烏ようせいからすの腕に抱えられているという初めての経験に、胸の奥で心臓がリズミカルに脈打つ。


 建物の二階ほどの高さを直進で飛行して、リヒトはクライノート邸の門の外でゆっくりと着地した。

 ポラリスはここで、そっとリヒトの腕から下ろされる。


 いかにも高級そうな黒い車が停車されていた。

 その傍らには、イヴォンと同じ金髪碧眼に銀のフレームの眼鏡をかけた青年がいた。ベージュのネルシャツにデニムパンツというカジュアルな服装をしている。


「シリウス、来てくれたのか」


 リヒトが青年に、穏やかに呼びかける。


 ポラリスの兄でリヒトととはかつて親友同士であったシリウス・クライノートがいた。

 

 どうしてここにいるのだろう。


「……リヒト。迷惑をかけたな、すまない」


「そんなことはないさ。シリウスのお陰で、今日を迎えられたんだから」


「相変わらず、君は優しいんだな。そろそろ警察も来るだろうから、俺は最後に母のところへ行く」


 ――警察が来るの?

 

 リヒトと兄との会話の中で、何やら不穏な気配をポラリスは感じ取る。


 ごお、と激しく音を立てて。一陣の風が吹き抜ける。


「そうか、分かった。また何かあれば連絡してくれ」


 リヒトが静かに言うと、シリウスは軽くうなずく。

 そしてこう告げた。


「リヒト。妹を、ポラリスのことを頼む。二人とも、幸せになってくれ……。じゃっ」


 しあわせになってくれ


 妹と友の幸福を願う言葉を言い残してそのまま、シリウスは家のほうへ駆けていく。


「シリウスっ!」リヒトがその背中に叫んだ。「君も幸せになれよっ!」


「お兄様……」


 兄との会話をリヒトに任せきりにしてしまったポラリスは、ようやく声を出せた。

 その小さな肩に、横からリヒトがそっと手を乗せた。

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