【途中完結】旧版・さいはて聖女ポラリスの恋物語(旧題『さいはての聖女ポラリス』)

七草かなえ

本編

序章 さとうがし

第1話 光をくれた男の子

 魔法で形作られた惑星、その名はアタラクシア。

 その世界地図の最西端に、『最果て』と呼ばれるある島国がある。


『最果て』と呼ばれる島国――エテルノ王国の王都、シレンシオ市。

 五月のある晴れた日のことだ。


 どこにでもありそうな出で立ちの公立小学校の。一年生が所属するある教室で。


 六歳の少女ポラリスが、教室の隅にしゃがみ込んで本を読んでいた。文章よりも、写真やイラストのほうが多いような本だ。


 先月四月に入学したばかり。まだ慣れない教室に、自分の意思で居残っている。

 

 さらさらの長い銀糸ぎんしの髪に、熟れた林檎りんごのような赤い瞳。

 やや血色が悪く青白い肌に、全体的に細い体は栄養状態がちょっと心配だ。


 月のように淡く優しい輝きを放つ少女だった。六歳にして大人びたような、静穏せいおんな光をまとっている。


 今時間は午後三時を少し過ぎたところ。もう一時間前には低学年の今日の授業は終了していた。

 他の一年生たちはとっくに下校済みで、だからポラリスのいる教室はがらんどうだった。他に誰もいない放課後の教室は、いつもとは違う場所みたいだ。


 慎重な手つきで本のページをめくる、ポラリスの表情はどこか浮かない。


「皆さんさようなら先生さようなら」と言ってから、もう一時間半は経過しているのに帰ろうとしないあたり、何か事情があることが透けて見える。


 あえて電灯はけず、窓から差し込む金色の日差しのみを頼りに本を読んでいた。


 と。


 ぱちっと目が覚めたような音がして、教室の明かりが点けられた。


 この時最初から教室が明るかったら、二人は出会っていなかったのかも知れない。

 彼が彼女の世界に光をくれたことから、この物語は始まったのだ。


「電気つけないと、目がつかれちゃうよ」


 ポラリスの知らない、上級生らしき男子児童が教室に入ってきた。


 あまりに綺麗な容姿の少年だったので、ポラリスはつい見とれてしまった。


 少年は中性的というか、線が細かった。

 つややかな黒髪を腰まで伸ばし、澄んだ海の色の碧眼へきがんをしている。ミルクのような温かみを有する乳白色の肌。


 背中からはふっかふかの黒い翼が生えていた。少年は妖精種ようせいしゅ、その中でも妖精烏ようせいからすと呼ばれるしゅのようだった。


 その少年の、紅を引いたように赤い唇が開く。


「ね、きみ。その本いつ、かりたの?」


 声もまた綺麗な少年だった。摘み立ての薄荷はっかのような、爽やかなボーイソプラノ。


「これは『としょしつ』をはじめてつかったときに、かりました」


「そっか。本はいつごろに返す予定なの? じつはぼくもその本かりたいんだよね」


「これは『へんきゃくきげんの日』になったらかえします」

「そうなんだ。気に入っているの?」

「このほんはわたしの『あんていざい』なのです」


 見た目も声がどんなに美しくても、心はそうではない人間をポラリスは知っている。


 だからこの少年からも、「何言ってるの? さっさと返してよ!」と脅されるかもと思ったのだ。決してポラリスに悪気はない。


「そっか」


 でも。少年は穏やかに微笑んでいた。「なら、いいんだ」

「いいのですか?」ポラリスはきょとんとした。


「いいんだよ。その本はきみの『安定剤』なんだろう? ぎりぎりまでかりていたいよね?」


 にこ、と爽やかな笑顔で言われれば、反論する言葉もない――はずだった。


 ――あれ。


「あ、あの。わたしなんかのために、むりしてわらわないでくださいね……?」


 すると少年が気まずげな顔をした。

 まるで自信があった計算テストで一問余計に間違えてしまったような。こっそり家族のプリンを食べてしまったことがばれてしまったような。そんな感じの。


 こういう表情をしているほうが人間っぽいなと、ポラリスは内心ホッとした。


「ヘンなことを言って、ごめんなさい」


 ポラリスはすぐに謝った。目の前の人に嫌な気持ちになって欲しくない。

 まだ六年とちょっとの彼女の人生は、いつも必要以上の気遣いの連続でできている。


「いや、いいんだよ」

「でも、」


「あやまらないで。本当に気にしてないから。……ぼくは今三年生なんだけど、学年中から『お姫さま』ってよばれてて。それは気に入っているんだけどさ」


「おとこのこが『おひめさま』でもいいのですか?」

「別に男の姫がいたっていいだろう? ぼく、お姫さまよりはメイドさんになりたいんだけどね」

「メイドさんですか」

「そうだよ」


 にっこりさわやかに笑む様は、確かに気品ある姫君そのもの。


 ――そういえば。


 ポラリスの兄で小学三年生のシリウスの友人のなかの一人に、綺麗だからとお姫様と呼ばれている男子児童がいると聞いていた、気がする。

 ポラリスは周囲に無関心とまでいかないが、自分の殻に閉じこもってしまう癖があった。だから学校内の噂話にはうとい。


 兄の友達のことだから、知っていたようなものだ。


「やっぱりいつもニコニコしていたほうが、まわりもほめてくれるから。それでこんな風に笑うようになっちゃったんだ。……ヘンだよね」


 小学校という小さな舞台の上で、周囲に求められた『自分』という配役を演じているのだ。

 少しでも失敗したら、観客はみんな気落ちして帰ってしまう。酷いと野次を飛ばされるかもしれない。だから、求められる通りに振る舞わなければならないのだ。


「へん、じゃないですよ」

「そうかな?」


「わたしも、おうちではずっと『いいこ』にしています。ほめてもらいたいのです」


「そうなんだ。家の人のこともあって、まだ教室にのこっているの?」


「それは…………」


 一瞬だけ、ポラリスは返事をどうしようか迷って。


「はい」


 正直に答えた。なんとなく、嘘をつきたくない気分だった。


「じゃあさ、ぼくもいっしょにその本見てもいいかな?」


「は、はい」


 ポラリスは人から言われたことは、基本断れない女の子だった。


 でも。

 もうちょっとだけ、この男の子と話してみたいという気持ちもあった。


「ぼくのなまえはリヒト。三年生のリヒト・フローレスというんだ。きみは?」


 ――きれいなおなまえ。


「わたし……わたしのなまえは、ポラリス・クライノートです」


「ああ、やっぱりシリウスの妹さんだったんだね。ポラリスという名前、まえからきれいだなって思っていたんだ」


 ポラリスは目をみはった。

 きれいだな、と言ったとき。少年リヒトは確かに風のように美しく笑っていた。


「フローレスさん」

「リヒトでいいよ? ぼくもきみのこと、ポラリスとよぶね」

「はい、リヒトさん」


「ありがとう。それって砂糖菓子のレシピ集だよね」

「はい、さとうがし、です」



 それから二人は、毎日放課後一緒に過ごすようになった。二人で同じ本を読んだり、テスト結果を見せっこしたり、意味もなく走り回ったり、校長先生の真似まねっこをしたり、どうでもいい話で笑ったり。

 上級生の『お姫様』と仲の良いポラリスのまわりにも、次第に友達ができてきて。


 それまでひたすら苦しい日々を送っていたポラリスに、安らげる時間ができたのだった。



 ポラリス・クライノートとリヒト・フローレス。


 このささやかな出会いから、世界を変えることにもなる恋物語が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る