part.8
それからどれくらい経ったのだろう。
不安が膨らみきる前に返信が気になる気持ちの方が勝った頃、私はスマホを両手でそっと持ち上げ、ゆっくりとチャットアプリを開いた。
――返信は、来ている。
胸の奥で、心臓が荒々しく鳴った。
自分でも驚くくらい、手が震えている。
大丈夫、大丈夫、と心の中で唱えながらチャットルームを開いた。
そして目に飛び込んできた文字を見て、思わず声が漏れた。
「え……」
水稀の言葉は、私の想像とまったく違っていた。
違っていて、だからこそより一層きつかった。
理解したくなかった。
けれど、文字の意味はあまりにあっさりと頭に入ってきてしまった。
“ごめん、俺このアプリやめようと思ってるから”
その言葉の意味を理解した瞬間、画面が滲んだ。
何かが崩れる音がした気がした。
頬をつたって落ちていく涙がスマホの画面を濡らし、心の中に我慢していたものが堰を切ったように溢れ出した。
終わるんだ、これで――
その事実だけが、ただ、どうしようもなく悲しかった。
理由なんて、きっと聞かない方がいい。
分かってしまったら、もう元には戻れない。
なんとなく察してしまっているその理由に名前を与えてしまったら、自分が自分じゃいられなくなる気がした。
だけれど、堪えきれず水稀に送ってしまったその単純すぎる疑問。
「どうして?」
すぐに返ってきた答えは、
“まぁ色々あって”
水稀から返ってきたのはあまりに曖昧で、何も伝わってこない言葉。
こんな時だけ早い返信は、もはや嫌がらせにすら思えてしまう。
全てが気になって、全てが私を苦しめる材料になる。
きっとあの子のせいで、水稀はこのアプリをやめようなんて思うんだと。
水稀の選択のすべてに、あの子の存在が影を落としてる。
"色々"のその全てが、あの子に関わること――
考えれば考えるほど疑惑が確信になり、そして段々と真実になっていく。
私が今抱いているのは驚きでも悲しみでもない、
煮えたぎるような嫉妬心。
水稀に無条件に愛されるあの子への、水稀の気持ちを受け止めることもせず、軽やかに好かれていく可愛いあの子への醜い嫉妬心だった。
"そっか"
でも、私にはそれしか返せない。
私と水稀の関係じゃそれ以上の言葉は嫌がられるだけ。
そう、いつも通りにすればいい。
嫌われることを恐れて、何もせず逃げる自分でいればいい。
それが私にとっていつも最善の選択だった。
だけど違う、このまま終わるなんて嫌。
せっかく見つけたの、私の生きる光になってくれる人を。
私が好きだと思える、そんな理想の相手を。
でも、この気持ちが間違ってることも分かってる。
決して向けてはいけない好意、この思いを抱くこと自体私は許されていない。
私の自分勝手な思いで、優しい罪のない誰かが傷つくことになるのはおかしい。
そう、理解はしてるの。
___ごめんなさい
心の中で呟いた。
でもそれは水稀にではなく、自分以外の誰かに向けたもの。
私は最低だから。
結局どこまでも自分が可愛くて仕方がないから。
他人より自分の幸福を優先してしまう。
"あのね、私……"
"水稀のこと結構気になってて"
"だから、やめて欲しくない"
そう送ってしまってから私は急に冷静さを取り戻す。
我に返って文面を見返すと、顔が火照ってどうにかなりそうだった。
こんなにあっさり伝えてしまった。
私が誰かに気持ちを伝えることなんて、一生できないと思っていたのに。
前に進むことすら満足にできない臆病者の私が、絶対に砕けない岩に突進していくなんて。
怖いほど水稀に突き動かされている自分が、まるで私じゃないような感覚に陥る。
"嬉しいよ、そんな風に思ってくれて"
どんな冷たい言葉をかけられるかヒヤヒヤしていた私は、水稀の返信に固まってしまう。
面倒くさがられると思っていた、いや、本心は面倒くさいと思ってるのかもしれないけれど。
"少しだけ考えてみるね"
素っ気ない水稀が送ったとは思えない、僅かに優しさを感じる文面。
期待なんてしてはいけない。
こんなことで喜ぶのは、あまりに惨めだから。
思い込みは、人を歪める。
間違ったことでも信じ続ければ、それが真実になってしまう。
そうやって人は他人を見誤り、決めつけ、裏切られたと最後には泣くことになる。
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