第1話
妻が亡くなってから、3年の月日が経った。
3歳になったベロニカは、あまり活発に喋ったり、物を咥えたりなどの刺激的行動の乏しい子だった。父であるシャルンは、それを心配していた。
「なあ、ベロニカ、パパの言葉に反応してくれないか?ほーら、パパの手を握ってごらん?」
そう言ってもベロニカは、何もない壁をただ見つめるだけだった。
「ふむ・・・困ったなぁ、これじゃアルルに顔向けできないぞ・・・」
アルルとは、シャルンが死別した妻の名前である。住居である広い一室のみが用意されたシェルターでは、小さなブラウン管テレビの横に出会ったばかりの頃の写真を飾ってある。
シャルンはふと思い立ち、その写真が入った小さな額を手に取って、ベロニカに見せた。
「ほら、ベロニカ。これがママだよ。君の、君だけのママだ。・・・あっと、まぁ、パパのものでもあるんだけど。」
それでもベロニカは反応を示さなかった。
「・・・はあ。困ったなぁ。このままじゃ4年後の区民基礎教育プロジェクトの為の面接も落ちちゃうんじゃないか・・・?」
シャルンはひとり、肩を落とした。
それからまた時は流れ、4年後。ベロニカは7歳になった。
無口な彼女に父シャルンは言う。
「いいか、ベロニカ。今日は大事な日だ。今日の面接の合否次第で、お前が初等教育を受けられるかどうかが決まるんだ。どうか、他の子みたいに張り切ってくれ。ほら、みてごらん、周りの子は自信に満ち溢れた顔をしているだろう?」
ベロニカは黙って周りを見渡した。確かに、なにやら鼻息をフンスフンスと鳴らしたり、面接の練習を大きな声でしている子も居た。しかし、ベロニカにはそれが普通なのだとは思えなかった。なぜなら、今までの自分の振舞いが彼女にとっての普通であったからだ。
「父さんは今日仕事なんだ。面接が終わったらいつもの様に家で静かにしてるんだぞ。頼む、頑張って来てくれ・・・それじゃ。」
シャルンはそう言うとベロニカのもとを離れた。ベロニカはただひとり、面接会場に取り残された。周りの子には親がついているのに、自分にだけはいない・・・なんてネガティブには、彼女は考えなかった。むしろ、彼女にとって”一人”というのは、誰にも自分について何も言われる事もなく、ただ平穏な時間を過ごせる格好のシチュエーションだった。
やがて、面接の始まる時間になって、周りの子が呼ばれていく。ベロニカはただ一人で、静かに会場の隅に座って、自分が呼ばれるのを待った。
「これから第7グループの面接を始めるよ。みんな、準備は良いかな?」
面接官のひとりであるニコニコとした男がそういった。ベロニカの両隣に並んだ別の子たちは皆口々に「はーい!」と返事をしたが、ベロニカは黙って頷くだけであった。
「よし、それじゃあひとりめだ。えーと、君の名前は何て言うのかな?」
「ぼくの名前はアレンです!」
面接官から見て一番右に座っている少年が答えた。この流れでいくと、ベロニカの番が来るまではまだ時間がある。ベロニカはまるで台本が用意されている様な面接のやり取りを、”面倒くさいなぁ”と半ば思いながら聞き流し、ただ自分の番が来るのを待った。
やがて、ベロニカの左の子の面接が終わり、面接官が休む暇もなく口を開いた。
「じゃあ次は君の番だ。名前は?」
「ベロニカ。」
ベロニカは淡泊に返した。
「ふむ。ベロニカ、何かな?名字を教えてくれるかい?」
「ハートウィグ。」
「・・・そうか、君はベロニカ・ハートウィグっていうんだね。変わった髪の色をしてるね。染めたのかい?」
ベロニカは自分の髪を指に絡めてみた。そういえば、自分以外に赤紫色の髪色の同世代の子を見た事は無かった。
この髪色は、彼女の生まれつきのものだった。母であるアルルによく似た、褐色系の明るめの赤紫だ。
「元々。」
「ふーん・・・君の得意な事って、何かな?」
「特にない。」
「そっか。じゃあ、好きなものってあるかな?」
「特にない。」
「そ、そっか。じゃあ・・・うーん、どうしようかな・・・」
面接官がベロニカの淡泊な返しに困っていると、他の面接官のひとりである、豊満なヒゲをたくわえた男がベロニカに訊いた。
「ベロニカちゃん。お母さんやお父さんは好きかい?」
「お母さんはいない。死んじゃった。お父さんは・・・あんまり好きじゃない。」
「そうか。辛い過去があったんだね。じゃあもうひとつ、訊いてもいいかな?」
「何?」
「君が住んでいるこのラプラス保護区域。君にとってはどんな場所かな?」
男の質問にベロニカは少し首を傾げてから答えた。
「・・・ずっと平和であってほしい場所。」
「ふむ。良い答えだ。」
男は満足げにそう言った。
「じゃ、じゃあ次の子に行くよ、えっと・・・」
元々面接を進めていた男が気を取り直した様にまた始めた。ベロニカの番は、どうやら終わったようである。
「さあ、これで第7グループの面接も終わりだね。お疲れ様。じゃあ皆、気をつけて帰るんだよ。」
面接を進行していた男がそう言うと、ベロニカ以外の子が元気に「はーい!」と言って帰り始めた。
ベロニカはその波に紛れて、ひっそりと一人で帰る気だった。椅子から降りて静かに歩きだした、その肩を優しく掴んだ者が居た。それは、さきほどベロニカに急な質問を投げかけてきたヒゲの男であった。
「ベロニカちゃん。ちょっと、残ってもらっていいかな。」
ベロニカもこれには少し驚いたが、表情には出さずコクリと頷いた。
他の子が居なくなったなか、ベロニカはちょうど真ん中に並べられていた椅子に座らせられた。面接官の席にはヒゲの男が一人、座っているのみだ。男が口を開く。
「驚かせてすまないね。私の名前はコーディー。気軽にそう呼んでくれ。」
「わかった。」
「ところで、ベロニカちゃんはこのラプラス保護区域に関して面白い意見を聞かせてくれたね。古くはベロニカちゃんの抱く様な気持ちを”愛国心”と呼んだそうだ。私はそんな愛国心の強い子を引き抜き・・・スカウト、と言った方が分かりやすいかな?そんな事をしてるんだ。」
「そう。・・・スカウトして、何をするの?」
「他の子とは違う、特殊な教育を受けさせるんだ。それがきっと、このラプラス保護区域の明るい未来につながると信じて、ね。」
「特殊な教育?それって何?」
「まぁ、より詳しい事はお父さんに話す事になるだろうけど・・・君には特別な素養があるみたいだね。AGを贈るのにちょうどいい。」
「AG?」
「あぁ、わからなかったかな?”Acquired Gifted"。略してAG。ラプラス保護区域でも、他の自治体でも、選ばれた人たちにしか贈られない、特別なプレゼントさ。どうかな、興味はあるかい?」
ベロニカは内心、そういった他の子とは違う何かに惹かれる部分があった。自分には母親がいない。髪色も同じ子がいない。彼女を取り巻くほとんどの環境、それそのものが他の子とは違う。産まれてずっと、マイノリティに身を置いてきたからだった。
「興味は・・・ある。けど、条件がある。」
「条件?何かな。」
「パパを、幸せにしてあげて。」
「ふむ。それは真っ当な条件だね。君のお父さんの幸せは、我々が保証しよう。」
そうして、ベロニカの面接は終わった。面接結果は、”特殊高等教育合格”であった。
シャルンは文字通り、跳んで驚いた。ベロニカと共に家でシャルンの帰りを待っていたコーディーが、シャルンに全てを話した。シャルンは泣いて喜び、アルルの写真に語り掛ける様にしてベロニカの成長を報告した。
そうして、ベロニカのみが専用の寮に住む形に変わり、ベロニカの特殊高等教育が始まった。
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