第27話 わたしたちの番
2024年12月7日 午前7時5分
カーテンの隙間から、薄い朝の色が差し込んでくる。冷たい空気。鼻の奥がつんとした。マグカップの中の水は昨日のままで、わたしの吐く息だけが白い。
お母さんは、まだ帰ってこない。お兄ちゃんの腕が、わたしをぎゅっと抱きしめる。その指が、少しだけ震えていた。
スマホの画面が顔の下で光り、見慣れたグループ名が小さく揺れる。
既読の数字が増えたり止まったりするたびに、お兄ちゃんの息がひゅっと細くなるのを感じる。焦げた鉄のような、苦い匂いが混じっている。
良弥くんの最後の顔を思い出す。怒っていなかった。誰も責めていなかった。あの目は、ちゃんとわたしにも向けられていた。
部屋の隅には、小さな電子ピアノ。お兄ちゃんが買ってくれたものだ。
コンセントを差すと、「ピッ」と小さな音がして、黒い液晶に緑のランプが点く。指を白い鍵盤に置く。
冷たい。でも、すぐに温かくなる。動画で何度も聴いたあの曲を、ゆっくりとなぞった。
間違えても、もう一度。お母さんと住んでいた時、毎週通った教会で習ったけれど、もう指が忘れてしまったのか、少し下手だ。でも、部屋の中に小さな灯がともるように、音が広がっていく気がする。
「お兄ちゃん、今度はわたしたちの番だよ。あそこに、持っていこう」
自分で言った声が、胸の真ん中に「ぽちゃん」と落ちた。空っぽだった穴に、水がたまるように広がっていく。
お兄ちゃんはうなずいた。うなずいたけれど、口はぎゅっと結んだままだった。
「……ああ。そうだな」小さく言って、目を閉じる。
「でも、その前にやらなきゃいけないことがある」
お兄ちゃんの少し震えた声に、「なにを?」とわたしは自然に聞き返した。
お兄ちゃんは少しだけ笑って、わたしの髪をくしゃっと撫でた。
スマホの画面では、また小さな文字が増えたり消えたりしている。朝の色が少し明るくなり、電子ピアノの白い鍵盤が、さっきより白く見えた。
もう一度、同じメロディーを弾く。今度は、さっきより静かに。
指の先が、少しだけ強くなる。わたしの手の中にも、灯がある。消えないように、そっと、小さく祈った。
「ああ、神さま。またみんなで暮らせますように」
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