第26話 胸に継ぐ灯

 2024年12月7日 午前4時47分


 むせ返るような夜気が肺の奥に貼りつき、息を吸うたび胸の骨が薄く軋んだ。私は良弥がいつも腰を下ろしていたガードレールに背を預け、膝を抱える。四日。指の関節で数えても、それだけの薄さでしか時間は進んでいない。


 星は冴え渡っているのに、トー横の空だけが重く澱んでいる。紙コップは横倒しになり、底に残った薄茶色の染みが月の光を吸い込んでいた。


 炭酸の抜けたペットボトルは白く曇り、誰かの指紋の帯だけがくっきりと残っている。耳鳴りが鼓動の代わりとなり、音のないはずの夜がざわざわと震えた。


 喉の奥で、誰かが名前を呼ぶ声がする。幻聴なんて信じない方が生きやすいと知っているのに、それでも胸の氷はわずかに溶けた。私は息を整え、広場の中央へ一歩踏み出す。


「……良弥は、死んでない。私たちの中で、生きてる」


 自分の声は思ったより遠くで鳴り、輪の外縁に当たって返ってきた。子どもたちの肩がかすかに下がる。ケンジが顔を上げ、翔太が袖で涙を拭った。誰かがブルーシートを敷き直す音が、破れた鼓膜の縁をやさしく撫でる。


 ケンジが問うた。「そういえば、師匠って誰だったんだ?」


 私はポケットから、油で柔らかくなった小さなメモを取り出す。角は丸く、インクは汗で少し滲んでいた。そこに三行だけが、はっきりと残っている。指先で余白を撫で、輪に向けて広げて見せた。


『わたしのように、裂いて分けろ』『迷ったら、愛のほうへ』『わたしは共にいる』


 誰も笑わない。息をのむ音さえも飲み込まれる。花音はマフラーの端を握りしめ、翔太は小さくうなずいた。私は頷き返し、メモを胸ポケットに押し戻す。


 同時に、ケンジの親指が震えるのが視界の端に映った。〈誰か、腹減ってる?〉。その一行が〈みんな家族〉に灯ると同時に、既読を示す粒が弾けるように増えていく。


 翔太はポケットから干し柿の飴を出し、花音はパン屋のロールパンを二袋、私の前に置く。私は日雇いで得た小銭で買った缶スープを三本、ブルーシートの端に並べた。


 火がない。ケンジは安全ピンと割り箸、それから空き缶で小さな風よけを組み立てる。石井が黙ってライターを差し出し、火が灯った。スープの缶がことことと弱く鳴り、白い湯気が肩と肩の隙間を柔らかく埋めていく。指先の感覚が、ゆっくりと戻ってきた。


「分け合え、繋ごう」


 誰かが言い、誰もが頷いた。良弥の言葉が、私たちの呼気となって広がっていくようだった。


 湯気に混じって、あのタータン柄のマフラーの匂いが、ほんの少しだけした。

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