第2話 灯の落ちた眼
2024年12月3日 午前4時27分
街は黙って彼らを見守っている。
眠らない街と呼ばれた歌舞伎町の鼓動が、不意に止んだ。
TOHOシネマズの屋上に鎮座する全高十二メートルの巨大怪獣の頭部。夜明け前のその時間、その目は終夜沈黙していた。
黒い眼窩は空を背負い、ビルの谷間に身を寄せる群衆を見下ろす捕食者の目に変わる。
TOHOシネマズ前の半地下広場、通称トー横。その足元で、ミニバンから捨てられるように放り出された青年が、灰色のタイルに膝から崩れ、胸を抱くように倒れ込む。肩口からずり落ちた布の端と、額にかかった前髪が、まだ少し少年らしい輪郭を残していた。薄手のパーカーの下で先ほどまで震えていた鼓動は、すでに霧のように消えている。
非常ベルがけたたましく鳴り響き、通報を受けたパトカーの赤と青の回転灯がビル壁を這う。冷えたアスファルトに、血管のような色の帯が伸びていく。
路地の隅の空き缶からは、アルコールと人工甘味料の酸っぱい匂い。濡れたピンクチラシは雨上がりの紙臭さを放ち、排気ガスの金属臭がそれらをまとめて覆い尽くす。夜気は鉄錆の粘りを帯び、吸うたびに肺の奥に鈍い味が残った。
(嘘だろ……)
褪せた茶髪の十八歳の少年は、割れた円陣の端で声にならない悲鳴を飲み込み、反射的に隣の妹の目を掌で塞いだ。
凍えた指先を、ボロボロになった青年の頬へあてる。温度はない。
背後では色白の少女が肩を震わせ、声にならない嗚咽を繰り返している。厚手のスウェットの袖口は泥で擦り切れ、裸足の踵には裂けた古傷が覗いていた。
回転灯の光が、その頬の涙を刃のように照らし、光点をしぶきのように散らす。光は輪の内側で凍りつき、直後にビル風が叫びを攫っていく。街のノイズ、無遠慮なエンジン音、看板の軋み、遠くのサブウーファーの残響が、人々の慟哭を呑み込んだ。
この街の隅に灯る小さな灯は、いま無惨に吹き消された。
それでも闇は落ち切らない。右手は固く握られ、指の間から皺だらけの小さな紙片がのぞく。青いインクがわずかに滲んでいるが、文字までは読み取れない。その白さが、広場を覆う夜の重さをわずかに押し返していた。
その光景が、少年の胸に灯芯のように突き刺さる。
傘も差さずに立つ影。手首の薄桃色のシュシュが一度だけ風に揺れ、すぐに人波へ沈んだ。
(終わりじゃない)
物語はここから、少しだけ針を巻き戻す。
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