第二幕・第一章:薪の影、再び

夜明け前の空は、藍色と灰色が滲むように混ざり合い、低く雲が垂れ込めていた。

 風はほとんどなく、町全体が息を潜めたように静まり返っている。

 それでも耳を澄ますと、遠くで一匹の蝉が早すぎる朝を告げるように鳴き始め、湿った空気の中でその声がねっとりとまとわりついてくる。


 静馬は夢の中で、薪がはぜる音を聞いた。

  パチ……パチ……

 それはまるで、乾いた枝を折る音と、何かが焦げる匂いを伴っていた。

 胸の奥がざわつく感覚に目を覚まし、ゆっくりと布団から抜け出す。


 縁側に出ると、まだ陽は昇っていない。

 竹林は夜の闇を深く抱き込み、青黒い影が風のない空気の中でじっと揺らめいていた。

 そこに——澪が立っていた。

 裸足の足元には朝露を含んだ土の匂いが立ち上り、湿った冷気が静馬の足首を撫でる。


 「澪……?」

 声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。

 瞳は月明かりを受けて淡く輝き、その奥で青白い光がひときわ強く瞬いた。

 「——呼んでる」

 澪の小さな声が、夜気の中で吸い込まれる。


 その瞬間、竹林の奥で影が動いた。

 人影のように見えたが、背には束ねた薪を負っている。

 その歩みは遅く、重く、一歩ごとに薪の端から灰がこぼれ落ちる。

 地面に落ちた灰は風もないのに小さく舞い上がり、土に円を描くように積もっていく。

 夏の湿気に混じって、焦げた木の匂いが漂い、静馬の胸に嫌な記憶を呼び覚ました。


 昼になると、町は真夏の陽射しに焼かれるような暑さとなった。

 アスファルトの上では陽炎が揺らめき、蝉の声が耳を突く。

 そんな中、狩野から連絡が入った。

 町外れの小道で、昨夜から若い男が行方不明になったという。


 現場に着くと、辺りは青々とした田んぼに囲まれ、風が穂を波のように揺らしていた。

 だが、現場の路地だけは不自然に空気が重く、じっとりとした熱気がまとわりつく。

 足元には争った形跡も足跡もなく、ただ黒い灰が直径三メートルほどの円を描くように散らばっている。

 灰を拾い上げた夏芽は、その中に金色の粉が混じっているのを見つけた。

 指先でこすると、かすかな熱を持っているように感じられる。

 「……これ、普通の灰じゃない」

 夏芽の声は低く、どこか震えていた。


 その夜、静馬は澪の部屋を覗いた。

 網戸越しに夜風が入り、外では草むらから無数の虫の声が響く。

 だが、部屋の空気は奇妙に冷たく、畳の匂いに混じってかすかな焦げ臭さがあった。

 澪は布団の上で静かに眠っている……はずだった。


 しかし、月明かりの中で彼女の影がわずかに揺れ、布団から離れた場所に滲み出していた。

 その影の輪郭は、人間の形ではない。

 細い脚、湾曲した背、そして背中に束ねられた薪。

 影の中から、かすかな囁きが聞こえてきた。

 > 「よもつ……かみ……」


 静馬は一歩後ずさり、背後に立つ夏芽と目を合わせた。

 夜風がふっと止み、蝉の声すら消えた。

 ——呪いは、すでに動き始めている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る