第七章:薪の社の中で
炎に包まれた瞬間、静馬は足元から重力を失い、宙に投げ出されたような感覚に襲われた。
次に目を開けた時、そこはもう竹林ではなかった。
闇の大地がどこまでも広がり、空は濃い墨色に染まり、月も星も見えない。
ただ遠くから、無数の「パチ……パチ……」という薪のはぜる音が途切れなく響いている。
その音が空間全体を満たし、耳の奥で反響し続けていた。
地面のあちこちには、青白い炎が灯っていた。
近づくと、それは確かに薪の形をしているが、木ではなかった。
炎の芯には、人の輪郭が透けて見える。
髪の毛がふわりと燃え、指先が炭のように崩れながらも、顔だけははっきりと残っている。
静馬が息を呑んだ瞬間、ひとつの炎の中の顔が、目を開いた。
——藤井だ。昨日、町から消えた整備工。
唇がかすかに動き、「助けて」と形を作った。
しかし次の瞬間、炎が一気に燃え上がり、その顔は灰となって消えた。
「お兄ちゃん」
振り向くと、澪がそこに立っていた。七歳の姿のまま、白い浴衣を着て、炎の光に包まれている。
足首は透け、地面に触れていない。まるで炎と同じ存在になってしまったかのようだ。
「迎えに来たんだ。帰ろう」
静馬が一歩踏み出すと、澪は後ずさりし、首を横に振った。
「帰れないよ。ここは……八幡様の薪の中だから」
足元を見ると、地面は灰と炭でできていた。
踏むたびにかすかな熱が靴底を通して伝わってくる。
遠くには、炎の道が幾筋も交差しており、その一本一本が別の場所へ続いているように見えた。
道端の炎の中では、老人や子どもが無言でこちらを見つめている。
その目は空洞のようで、時折、白い煙が瞳から立ち昇る。
ふと、耳元で誰かが囁いた。
> 「……代わりを……」
振り返ったが、そこには誰もいない。
ただ、近くの炎がわずかに揺れ、その中の顔が笑っていた。
その時、闇の奥から長い髪の女が現れた。
顔は笑っているのに、目は底のない闇を宿している。
彼女が歩くたび、地面の炎が一斉に揺らめき、薪の音が高くなった。
女は澪の肩に手を置き、静馬を見据えた。
「……当主の血。ようやく来たのね」
その声は直接頭の中に響き、骨の奥まで震えた。
狩野刑事と夏芽の姿も、離れた場所に見えた。
二人は何かに足を掴まれ、動けずにいる。
夏芽の足首に絡みつくのは、灰色の手首だけの腕だった。
狩野は必死に振り払おうとしているが、腕は次々と地面から這い出してきた。
炎の奥には、祠のような黒い影が見えた。
その屋根は歪み、まるで炎の熱で溶けかけているようだ。
しかし近づくほど、そこから漂ってくる匂いは薪ではなかった——甘く、どこか血のような鉄の匂いが混じっている。
静馬の腰の短刀がかすかに熱を帯びた。
刃先から淡い光が漏れ、握る手に鼓動のような脈動を感じる。
女の目が細くなり、口元の笑みが消えた。
「その刃は……この場所を壊す」
突然、地面の炎が一斉に揺れ、薪の中から何十もの顔が浮かび上がった。
皆が同じ声で呟く。
> 「燃やせ……燃やせ……燃やせ……」
その声は低く、まるで地面そのものが喋っているようだった。
澪が小さな手を差し伸べた。
「お兄ちゃん……助けて」
炎の光がその涙に反射し、揺れている。
静馬は短刀を握り直し、炎の道へと足を踏み出した。
次の瞬間、祠の背後の闇が揺らぎ、そこから何か巨大な影がゆっくりと姿を現そうとしていた—
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