四日目:何も注文しない夜(後編)
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死刑囚ジャウハラは、かつての日々を追想するように目を閉じた。
雲間から覗く月明かりだけが、ジャウハラの浅黒い肌を照らしている。
その光は、まるで過去の記憶を呼び起こす灯火のようだった。
「近衛隊に取り立てられた俺は、懸命に王へと仕えた。……陛下は、聡明な御方だった。御自らのことよりも、民のことを考える賢王だったのだ。陛下は、特に、俺に目をかけてくださった……」
語る声は静かだったが、言葉の奥には深い敬愛が滲んでいた。
死刑囚ジャウハラの腕についた鎖が、じゃらりと音を立てる。 それは、彼の未来を縛る鎖であり、過去の誓いを裏切った証でもあった。
「……納得いきません。納得いきません! あなたの口から、真実が聞きたい。僕は、僕は、ジャウハラ隊長を尊敬しています! あなたをただ、罪人として裁くことが……僕にはできない!」
看守サフラの声は、感情に揺れていた。
かつての恩人が、なぜ王を殺めたのか──その答えを、どうしても知りたかった。
「……」
ジャウハラは、しばらく沈黙した。
その沈黙は、言葉よりも重く、牢の空気をさらに冷たくした。
「どうか、真実を聞かせてください。本当は何があったのか……」
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二人の間に、重い沈黙が降りる。
長い長い静寂の果てに、ジャウハラは、とうとう口を開いた。
「……サフラ。人払いをしてくれないか」
「!」
「……ここからの話は、決して他の誰にも聞かれたくはない──」
「はい。仰せのままに」
その言葉に、サフラは深く頷いた。 彼の目には、覚悟と信頼が宿っていた。
「……ありがとう、サフラ」
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人払いが済まされたことを入念に確認したジャウハラは、静かに告げた。
その声は、まるで過去の扉を開く鍵のようだった。
「……俺の母は、南方の踊り子だった。誰とも知れぬ相手との間にできた子だという俺を、大切に慈しんでくれた。いつの間にか、傭兵がやってきて、母と俺を警護するようになった。この傭兵というのは、俺の師匠であり、養父になってくれた人のことだ。傭兵という立場を装ってはいたが、どうやら養父は、近衛隊の一員であり、先王の腹心であったらしい……」
語られる過去は、まるで遠い夢のようだった。
だが、その夢は、現実の痛みを伴っていた。
「……俺の母は、先王と関係を持ったことがあるらしいと、大人になってから知った。わざわざ、先王が腹心を護衛につけていたことから……そういうことなのだろう。つまり、俺は、王家の血を引く、妾腹の息子だった、ということになる。つまり──つまり、王と俺は──」
看守サフラは、息を呑んだ。
その事実は、あまりにも重く、あまりにも突然だった。
「異母……兄弟?」
「――そう……だったのだ」
看守サフラは、立ち上がって告げる。
「……それなら、なおのこと、王家の血筋を主張するべきです! そうすれば、うまく行けば死刑を免れることができ──」
「──免れることなど、望んでいない」
ジャウハラの声は、静かに、しかし確かに拒絶していた。
「俺は赦されざる罪を犯した。王殺しの大罪人であることに、何の変わりもないのだから……!」
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牢の中に、沈黙が落ちる。
それは、言葉では埋められない深い溝だった。
「…………陛下は、聡明な方であった。すべてを知りながら、弟として、俺を慈しんでくださった。もし自分に何かあれば、国を、民を頼むというのが、陛下の口癖だった。俺は、生涯すべてを懸けて、陛下を幸せにするために生きようと思った。俺は──」
ジャウハラの声が震える。
その震えは、抑えきれない感情の波だった。
「──俺は、きっと、陛下を愛していた。お慕い申し上げていた。その気持ちを…………、伝えることは……道義的にも、ありとあらゆる意味において……赦されないことであったが……」
サフラは、言葉を失った。
その告白は、あまりにも切なく、あまりにも深かった。
「……ジャウハラ、隊長……」
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「勘違いは……しないでほしい。陛下を愛していたといっても……陛下を自分のものにしたいわけではなかったのだ。陛下が幸せでいてくだされば、それ以外に望みはなかった」
ジャウハラの言葉は、まるで祈りのようだった。
その祈りは、誰にも届かないまま、胸の奥に沈んでいたのだろう。
「やがて陛下は、とある女性を見初めた。王宮の厨房で働く若い娘で、俺の友人でもあるルゥルゥという少女だった……。ルゥルゥは、高位貴族の傍系であり、血筋に大きな問題はなかった。陛下は、ルゥルゥに結婚を申し込んだ。俺は、陛下がようやく望んだ幸せを手に入れられるのだと知り、とても……嬉しかった」
その記憶は、甘く、そして苦い。
ジャウハラの胸には、複雑な感情が渦巻いていたことが、表情から察せられた。
「しかし──しかし──しかし──」
死刑囚ジャウハラは、両手で顔を覆って目を伏せた。
呼吸が荒くなる。
その姿は、罪人ではなく、ただの傷ついた人間だった。
「…………結婚式の前日、ルゥルゥは、俺に言った」
言葉が、重く落ちる。
「ルゥルゥは────、陛下でなく、俺を愛していたのだと。本当は王家に嫁ぎたくなかったと。王命に逆らえるはずがなく、ここまで来てしまったが、どうにか逃げ出したいと言われた。しかし……」
「………」
「──俺は、何も言えなかった。何も…………」
その沈黙が、すべてを変えた。
「輿入れは恙無く進み、ルゥルゥは、王妃になった。……すべてが起きたのは、その夜の、ことだった」
ジャウハラの声は、震えていた。
その震えは、過去の惨劇を語る痛みだった。
「ルゥルゥは、髪につけていた
ジャウハラは、悪夢を見たような表情で、顔を両手で覆った。
「──陛下の、胸に……」
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