第2話 象牙鍵盤を手にした男

 団地と駅の中間にあるコンビニの新聞スタンドでスポーツ紙を手にした葛城進一は、レジで電子マネー決済を済ませ恵子の元に駆け寄った。


 恵子は通勤着のやや明るい紺色のスカートスーツに淡いピンクシャツを着用していた。進一も同じ素材でイージーオーダーしたスーツだが、恵子のより色がやや濃く見える。進一は白いドレスシャツに上品な青いストライプの刺繍柄のネクタイを締めていた。


 コンビニの前にいる恵子の脇に進一が立った時、恵子が夫の進一を呼び止めた。妻の恵子が夫の首に手を伸ばしネクタイを締め直す。


「はいシンちゃん、これでタイも完璧ね」

「ケイ、今日は会社じゃないけどーー なんでスーツなの」


「それがねーー これから二人で面接なの」

「面接なんて聞いてないから」


「今のご時世、副業の時代よ」

「だから・・・・・・」


「元気なうちにね。お金を蓄えないと困るでしょう」

「それは分かるけど・・・・・・。なんで急に」


「シン、覚えているーー この前の事件」

「あゝああ、あれはーー 確か、薔薇がなんとか・・・・・・ 」


「シン、なに頓珍漢なこと言ってるの」

「・・・・・・ 」


「薔薇事件でしょう」

「あゝ赤い薔薇ね」


「その時、この町の警察署の刑事さんと会ったこと覚えている? 」

「ええと、丸なんとかさんかな」


「丸山さんね」

「その丸山さんが、どうしたの」


「事件のあと、お礼の連絡と相談があったのよ」

「相談って・・・・・・ 」


 恵子の顔から笑顔が消えていた。やや青白く見える。


「はっきり言うわ。捜査に協力して欲しいと」

「それで、面接なの」


「面接は薔薇のバイヤーがいた会社よ」

「やばくないか」


「丸山刑事がバイヤーがいた会社から相談を受けて私に相談しに来ただけ」

「それでケイは引き受けたの」


「警察も人手が足らない時代でしょう。臨時でと言われたのよ」

「でも面接なんて、受かる保証ないじゃないか」


「相談の相談の流れを見れば分かるでしょう」

「なるほどーー 縁故採用か」


「言葉は悪いけど使えるコネも必要じゃないかしら」

「でも俺たち、薔薇の知識なんてないけど」


「丸山刑事が言うには、その会社が多角企業とか言っていたわ」

「なるほど、でも先方が刑事に依頼して、俺たちという流れが分からないけど」


「刑事や警察官って匂いで分かるそうよ。だから素人の私たちに矛先が向いたのかもしれないわ」




 進一と恵子が駅前に到着すると、停車中の覆面パトカーがクラクションを鳴らした。車の扉が開き図体の大きな男が降りて進一と恵子の前に立つ。


 人通りが少ない土曜日の午前中だったが目立つ。傍目にはプロレスラーに見えるがたいである。


 事件当日の公園では緊張と薄明かりのせいでよく見えていなかった二人は、この大男があの時の刑事と同じと想像できないでいた。


 事件現場にいた二人は緊張で終始俯き加減で相手の姿の記憶が殆どない。恵子は電話で刑事から相談を受けていたが名前しか知らない。


「すみませんーー 先日はご協力をいただきありがとうございます」


 聞き覚えのある声に恵子の耳が反応した。恵子は長身の男を見上げながら言った。


「もしかして丸山刑事さんですか」


 刑事は背広からおもむろに赤茶皮の名刺入れを取り出し、恵子と進一それぞれに名刺を渡した。


「丸山刑事って警部さんだったのですか」

 恵子がやや驚いた声で言うと、刑事は角刈りの頭を掻きながら言った。


「刑事ドラマじゃないですから、警部なんて珍しくありませんよ」

「そうね会社だって、部長さんが沢山いますわね」


「ケイ、丸山警部に失礼じゃないか」

「進一さんでしたっけ、僕は気にしていませんから全然大丈夫ですよ」


「シン、丸山警部もそう言っているわよ」




 丸山警部の部下の門田刑事が車から降りて言った。


「警部、ここーー あまり長く駐車すると通報されますよ」

「分かった、じゃあ移動しようか」


 恵子と進一は、丸山警部の部下に背中を押され車に乗車した。狭い車内で助手席にいる丸山警部の大きな背中で後部座席の二人は圧迫されていた。


「警部、これから水神橋駅までですか」

「そうだがーー その前にな、骨董屋に用事がある」


「骨董屋ですか」

「そうだ骨董屋だ」


 大食いの門田はハンドルを握りながらマッキーのハンバーガーを頬張ってぼそぼそと言った。


「あゝ、警部、もしかして、薔薇事件の続きですか」

「ここにいる民間人の二人を骨董屋の主人に紹介する」


「丸山警部、面接じゃあないのですか?」

 恵子が狭い車内で甲高い声をあげ、門田がハンバーガーをぼろぼろこぼす。


「恵子さん、骨董屋も今回の件と絡んでるんですよ。企業側は警察に内部調査を依頼しています。その先は守秘義務で今は言えませんが」

「ありがとうございます。丸山警部」


「恵子さん、警部はいいから丸山と呼んでください」

「分かりました。丸山刑事」


 部下でドライバーの門田刑事がハンバーガーを吹き出しそうになった。


「おい門田! ちゃんと運転してくれよ」

「はい、警部、頑張ります! 」




 覆面パトカーが一級河川の神川を越え水神橋駅前に到着した。川の悪臭は汚染回復事業のお陰で改善されている。


 門田刑事が駅近くのコインパーキングに覆面パトカーを止め四人が歩き出す。歩道は進一と同じスポーツ紙を手にした通行人で混雑していた。


「みんな、シンと同じ新聞を持っているわね」

「ケイ、今日から競馬が開催されているから場外馬券売り場が混んでいるんだよ」


「今はネットで買える時代じゃない」

「ネットにはない馬券売り場独特の臨場感が人気じゃあないのかなぁ」


「進一さん、僕もそう思うね」

「ほら丸山さんだって同じじゃあないですか」


 恵子は丸山警部と進一を見て苦笑した。




 骨董屋の前に到着した四人は高級感のあるステンレスシャッターをじっと見つめていた。店名と電話番号が大きな文字で書かれた横に血のような真っ赤な薔薇の絵があった。


「本物と見間違う綺麗な絵だけど、ちょっとだけ不気味ね」

恵子はそう言って身震いをした。


 事前に連絡を入れていた門田刑事がシャッター横にある骨董屋のインタホーンを幾度も押したが返事がない。


 骨董屋の幅二間はあるシャッターを門田が叩こうとした時だった。

黒髪の痩せた美少女が中から真っ青な顔色で出て来て言った。


「お父さんが・・・・・・ 」


 丸山と門田が刑事の直感で中に急いで入った。骨董屋の主人らしき中高年の男が上がり口付近で象牙鍵盤の一部を手にして倒れ臥していた。


 門田が手袋を嵌め倒れた男の頸動脈に手を当てた。門田が首を縦に振ることはなかった。


「先回りされたようだな」

「警部、面接中止ですね」


「門田、鑑識班要請が先だ」


 門田は携帯から緊急連絡を薔薇事件の捜査本部に入れた。


 恵子と進一は予想外の展開に凍り付いている。

 痩身の美少女がいつの間にか消えていたが丸山警部は無言だった。丸山は犯人探しをしていない。事件に見え隠れする証拠を探していた。


丸山が言った。

「あの少女ーー 多分娘じゃあないな。それに象牙鍵盤の一部が謎だ」


「丸山警部、ピアノの中古店、この付近にあったような」

「恵子さん、そこだ・・・・・・。急ごう! 」

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