五、喧嘩するほど仲がいい
「楊甜!」
「ふぇ?」
客間に駆け込んでくる諸葛恪と、部屋の隅で縮こまってお茶を啜る楊甜。
お互いにお互いを「何をしているんだろう」と不思議に思う空気が数秒流れた。
「ご主人様?どうなされたんですか?」
「あ、いや、何もないならそれでいい」
柄にもなく慌ててしまった自分を今更ながら恥じる諸葛恪。
よく考えれば宮中で、しかも諸葛家と事を荒立てるようなことを陸遜がするはずないということくらい分かりそうなものだったが。
するとじわじわと恥ずかしさが込み上げてきて、癪だったからとりあえず楊甜を蹴ることにした。
「あてっ、何で!?」
「何となくだ。それで、お前は何でここに座ってるんだ」
「いやぁ、変なおじいさんが居て、急に立ち上がって怒鳴ったり杖で床を殴りつけたりしていて、ちょっと怖くて…」
「さっぱり分からん」
すると遠くの方からギャンギャンと何やら喧噪が聞こえてきて、その途端に宦官達が忙しなく駆け回り始める。
宮中で何の騒ぎだろうと思ったが、諸葛恪にとってこの喧噪はやけに聞き馴染みのあるもののような気がした。
開けっ放しだった戸。駆けまわる宦官の一人が、諸葛恪に気づくとそのまま部屋に転がり込んでくる。
若い宦官だった。目に涙を浮かべ、混乱している様子がよく分かる。
「"諸葛"左輔都尉とお見受けしますっ」
「如何にも。何の騒ぎだ」
「実は輔呉将軍(張昭)と陛下が寝所で掴み合いの大喧嘩をっ。我らにはどうすることも、お助け下さいませっ!」
「またかぁ」
宦官に連れられるまま寝所へ駆け足で急ぎ向かうと、そこにはドタバタと服や髭を掴み合いながら床を転がる二人の老人がいた。
周囲では宦官達がどうしようもなく慌てふためき、泣きながら喧嘩を止めようとしているが、二人には全く制止の声が聞こえていないらしい。
しかしまぁ、老いてなおこの二人はよくこんな子供のような喧嘩が出来るものだと少し感心してしまう。
「──火事ですよ!!」
よく通る大きな声を張り上げる。すると揉み合いになってる二人がギョッと諸葛恪を見て、ようやく喧嘩を止めた。
孫権と張昭。この国の皇帝と長老である。
光が透けると赤色に見える髪と髭、眼光は鋭い大柄の老人の方が孫権。
長く白い髭と眉、腰を曲げながらガツガツと杖で床を叩いている老人の方が張昭。
張昭は孫権の兄"孫策"や母"呉太妃"より後事を託された、言わば孫権の保護者である。
その自負があるだけに君臣の関係を無視して、親が子を叱るようにこれまで孫権とずっと言い争ってきた頑固親父だった。
そして孫権としても、この国の長老として文武百官の尊崇を集め、皇帝である自分よりも影響力のある張昭が煩わしくて仕方無かった。
だから何かあるとすぐ言い争いになってしまい、互いに譲らず子供のような喧嘩を繰り広げる始末なのである。
「冗談ですよ。落ち着かれましたか?陛下、輔呉将軍」
「元遜(諸葛恪のあざな)聞いてくれ!こんのクソジジイ、朕の寝台を杖で殴って喧しく起こしてきたんだぞ!あまりにも不敬だ!」
「黙れこの小童ァ!どうせ酒飲んで寝てたんじゃろうが!儂も伯言(陸遜のあざな)も暇じゃないのに待たせるな!!」
「だったら普通に起こせ!皇帝に拳を振るうなど、反逆罪だぞ!!」
楊甜が客間で会ったと言っていた「おじいさん」は張昭のことなのだろう、と諸葛恪は確信をもって頷く。
宮中でこんな振る舞いが出来るのは張昭を置いて他になく、喧嘩はしていても何だかんだ二人の信頼関係は親子のそれ以上のものがある。
「この調子では喧嘩するだけで日が暮れてしまいます。一旦、輔呉将軍は客間で落ち着いて。陛下もその間に、上大将軍(陸遜)か臣との要件を済ませて息を整えてくださいませ」
未だ興奮冷めやらぬ張昭を何とか宥めすかしながら、宦官達は諸葛恪の提案するままに張昭を客間へと退室させていった。
残されたのは寝台に腰を下ろして溜息を吐く孫権と、部屋の入口に立つ諸葛恪・楊甜だけである。
「ふぅ、いつまで元気なんだあのジジイは。それで元遜、そいつが例のアレか」
「どこで耳になされましたか、陛下。この者の詳しい素性は一応隠していたはずですが」
「陸遜から聞いた。陸遜がどこかから聞いたかは知らん。安心しろ、陸遜も朕以外には別に言ってないはずだ」
となると顧承の辺りが漏らしたのだろうなと、なんとなく察した。
顧譚・顧承は陸遜の甥であり、二人はいたく陸遜を敬慕しているためだ。
「見てくれは人と変わらんのだな。本当に落頭民なのか?首を飛ばしてみよ」
「陛下、この者は落頭民の中でも落ちこぼれでして首を飛ばせぬらしく。楊甜、外すだけ外してくれ」
「は、はいっ」
全身をこわばらせつつ、楊甜は両手で自分の頭を持ち上げ、頭を外して見せた。
すると孫権は子供のように目を輝かせながらドタドタと駆け寄り、楊甜の全身をくまなく確認していく。
「喋れるか?」
「あ、はい」
「呼吸は?食事は?この繋目は真っ暗だがどうなってるんだ?なぜ頭が離れても生きてられる?」
「陛下、いっぺんに聞かれても困ります。一応分かっている範囲では、この状態でも食事は可能。繋目を板などで塞ぐと呼吸が出来なくなるとのこと。またこの者は無理ですが、普通の落頭民はどこまででも自由に首を鳥の如き速さで飛ばすことが出来ます」
諸葛恪がもういいぞと合図を出し、楊甜は首を元に戻した。
孫権はとにかく勉強熱心な勤勉化であり、物珍しい神仙や怪異の事情も積極的に学ぼうとする性格である。
この時代、儒学における「怪力乱神を語らず(よく分からん事を口に出すな)」という教えから、怪異を学ぼうとするのは変人の類と避けられる傾向にあった。
それを考えると孫権も十分に変人であり、だからこそ怪異に通ずる諸葛恪をいたく寵愛していたとも言える。
「なぜこんな生態になったのだろうなぁ」
「これは仮説ですが、恐らく落頭民は本来"首が伸びる人間"のような存在なのでしょう。しかしその伸びる首の部分が何らかの理由で"この世"に顕現せず、まるで飛んでいるように見えるのかと」
「はぁーなるほど、お前はやはり賢いなぁ。それなら食事が出来ることなども何となく理由は分かる」
ほくほくとした笑顔で再び寝台に座りなおす孫権。
すると諸葛恪はその場に膝をつき、遅れて楊甜もわたわたとその場に平伏した。
「うん、やはり怪異にも通じるお前を置いて他に適任は居ないな。息子の補佐役としても実績は与えてやりたい。よし、諸葛恪!」
「ハッ」
「朕はお前に"山越平定"の任を預けたい。呉が魏を攻める間、国内の戦をお前に託す。そのためにもあのクソジジイを朝議の場で論破せい!出来るな!?」
「お任せください」
楊甜が横目で見た諸葛恪の瞳は、ギラギラと怪しく輝いていた。
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