第7話

 静かな曲が流れていた。曲名はわからないが、聞いたことのある曲だった。

 ピアニストは先日と同じ真っ赤なドレスを着て、鍵盤の上で指を滑らかに動かしている。

 先日は『革命のエチュード』を情熱的に弾いていたが、彼女にはこういう静かな曲のほうが似合っているような気もした。

 カウンター席に腰を下ろした私と木村はノンアルコールのカクテルをバーテンダーに注文し、ピアノの演奏に耳を傾けていた。

 四人目の被害者が発見されて一週間。あれから新たなる被害者は出ていない。ただ、その代わりに犯人に繋がる手がかりも一切見つかってはいなかった。

 私はバーテンダーにソーダ水のおかわりを注文しようと、カウンターに立っている男へと声を掛けた。その男はいつものバーテンダーとは別の人間であり、二十歳前後の若い青年だった。

「そういえば、いつものバーテンダーは?」

「ああ、桜井さんですか。桜井さんでしたら、先ほど休憩に」

「そうか、いないのか」

「何か桜井さんに用でしたか」

「いや、ちょっとタバコを買ってきてもらおうかと思っていたんだ」

「タバコでしたら自分が買いに行きますよ」

「でも、キミがここを離れたら、バーテンダーがいなくなってしまう。大丈夫、ちょっと買いに行ってくるよ」

「すいません」

 バーテンダーの青年は私に頭を下げると、私は「いいんだ」と言って席を離れた。

 ピアニストの演奏はまだ続いている。

 私は店の出入り口ではなく、バーテンダーたちが普段出入りしている通用口のドアを開けると、外へ出た。そこは路地裏になっており、ごみ収集の場所が扉のすぐ近くにある場所だった。

 電灯の影で男たちが揉み合っている。ほとんど人の来ない場所であるため、大声で叫ばなければ誰も気がつくことはないだろう。

「離せよ、離せって」

 スーツ姿の男たちに囲まれた男が声を荒げている。その男は「フレデリック」のバーテンダーであった。

「桜井匠、殺人の容疑で逮捕状が出ている。大人しくしろ」

 小池が押さえつけられているバーテンダーに向かっていう。

 そのひと言に、バーテンダーは力なくうなだれて、抵抗するのをやめた。

「なんで……なんでわかったんだよ」

「キミが教えてくれたじゃないか。あのタバコは、ウィンストン・キャスター・ホワイトだって」

「え……それで……」

「詳しい話は取り調べで聞くよ」

 私は桜井匠にそう告げると、小池たちにあとは任せて、バーの中へ戻った。

 まだピアノの演奏は続いていた。

 店内にあったはずの客たちの姿はどこにもなく、いるのはピアノの演奏をしている彼女とバーテンダーの青年だけだった。

 演奏が終わり、ピアニストが席から立ち上がったところで私は彼女に声を掛けた。

「素晴らしい演奏でした、新堂茜さん」

「ありがとう」

 ピアニストの彼女――新堂茜は私に本名を呼ばれたことに少し驚きの表情を見せたが、すぐに気を取り直したのか微笑んでみせた。

「一杯奢らせてもらっても?」

「いいのかしら」

「もちろん」

 私はそう言うと、彼女と一緒にバーカウンターへと向かう。

 彼女はグラスワインを注文し、バーテンダーの青年がワインをグラスに注ぐ。その手は震えているように見えたが、私はそれを見なかったことにした。

「Yとは何だったんですか」

 私は彼女がワインをひと口飲んでから質問をした。

 Yはある人物の頭文字。それを私は知っていた。信じられないことかもしれないが、この法治国家日本であっても人身売買は日夜行われている。その人事新売買組織の代表的な存在がYだった。Yは芸能事務所のオーナーである南川に、事務所がスカウトした人材を海外に売るようにそそのかしていた。また金融業者の宮野には若者たちを借金で首が回らないようにして海外に売り飛ばさせたり、人材派遣会社の登録者を利用して海外研修と称してそのまま売り飛ばすような方法をなどを取って年に数千億円という売上を得ていたのだ。フレデリックのオーナーであった平井もその一員であり、平井はめぼしい客などを見つけてはその情報をYに売り渡していたということがわかっている。

「Yはわたしの嫌いなアルファベットよ」

「そうですか。だから、あなたは彼らの身体にYと書き込んだ」

「どうかしらね」

 彼女は白を切り通すらしい。

 だが、私にはそんなことはどうでも良かった。

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