第5節 戦争の道具 2話目


 ――今日も一緒にいたはずなのに、楽しくなかった。


「…………」


 紅い月に照らされた夜道を、一人の少女が歩く。辺りにはその他には誰もおらず、治安が悪いはずの裏道でさえそうした輩の姿を見ることが無い。

 それもひとえ紅の夜ブラッドムーンが近づいているから。怨念渦巻く死霊共が、黄泉の世界から戻ってくるから。生者を引きずり込みに戻ってくるから。

 しかし恐怖という感情の欠けた少女にとっては、夜道を歩くことへの抵抗など全くなかった。むしろ昼間の出来事の方が、彼女の心を痛める要因となっていた。


「…………」


 楽しかった筈なのに、楽しくなかった。

 原因は分かっている。自分のせいだ。もっと普段から頑張っていれば、もっと普段からお金を貰っていれば、あんなことにならなかった。


「……はぁ……」


 裏路地はさらに狭まってゆき、月の明かりですら届かない、闇へと沈んでいくかのような暗さへと変わっていく。

 そうしてとある家の裏にひっそりとある、地下へと続く蓋のような扉の前でドゥリィは立ち止まる。


「…………」


 しかしそうして沈んだ気持ちでいる自由もここまで。ここからは感情を捨て、道具として仕事に臨まなければならない。


「……にぃ」


 最後に人差し指を使って無理矢理営業スマイルとやらを作ってみるが、やはり自分には似合わない。


「……さて、お遊びはここまでにして」


 与えられた仕事について、次の段階へと移っていく。その内容について今日は話を聞くことになる。


「そろそろ行きますかー……」


 仕事の内容によっては、ベーガンズについて専念しなければならない。あるいはもう二度とこの街に戻ることはできないかもしれない。


「……行きたくないなぁ」


 言葉とは裏腹に、手は自然と扉の取っ手に伸びてゆき、下へと続く階段へは足がかってに動き出す。

 それは道具として躾けられてきた成果であり、呪いでもある。


「…………」


 助けて、という言葉すら吐くことなく、彼女はそのまま地下の空間へと姿を消していった。



          ◆ ◆ ◆



「――エイン。ゼス。ネーフ。……あと一人がまだ来ていないようだが……?」


 薄暗がりの部屋。天井、そしてテーブルの上にあるランプの光によって僅かばかりに照らされる部屋に、重々しい点呼の声が響き渡る。

 その場にいるのはいずれも成人を迎えていない少年少女。唯一声を発した男だけが大人である雰囲気であるが、その詳細はフードとローブの下に隠されている。

 既に月もそれなりの高さまで昇っている真夜中の時間。本来ならば子供達はおろか大人ですら眠りについている時間に、その集会は始められようとしている。

 そしてその場にまた新たに一人、会合の参加者が姿を現す。


「遅れてしまってごめんなさい。只今戻りました」

「来たか、三番目ドゥリィ


 ドゥリィ三番目――それが彼女の名前番号だった。

 一番目エイン六番目ゼス九番目ネーフ――これら全てが組織から与えられた番号サイファーであり、そして戦争によって帰る家を無くした子供達に与えられた唯一の自己の証明でもあった。


「……ついにこの時が来た。苦節三年、この国に復讐する時が。そして我らを救ってくれるであろう新たなる母国、オルランディアに我々の存在を証明する時が!」


 四人の少年少女は声を挙げない。しかしその目には確かに、必ず成し遂げるという使命感を請け負った眼差しをしている。

 ――その場にいる、ドゥリィを除いて。


「……どうした、ドゥリィ」

「……っ! いえ、何でもありません」


 心ここにあらず。道具として感情を殺しているという意味ではなく、目の前の出来事に集中できていないという意味でフードの男はそう感じていた。


「……これが失敗する訳にはいかない。これ以上に、道具としての仕事を期待されている事を自覚しろ」


 フードの男の釘を刺すような言葉。その言葉の裏の意味を理解したドゥリィは、元々感情もなく虚無だった瞳を更に冷たくして男を見返す。


「……集中を欠いてしまい、申し訳ありません」

「お前は特にこの中で優秀な道具なんだ。土壇場でのミスなんてもってのほかだからな」

「はい。承知しております」


 ――心が死んでいくような気がする。男の言葉に反応すればするほどに、これまでの訓練から植え付けられた経験が感情を蝕んでいく。

 しかしここではそうしなければならない。道具は道具らしく、与えられた仕事以外をしてはならない。期待されている結果通りを、示さなければならない。でなければその道具は道具としての役目をはたしていない、ただのガラクタと化してしまう。

 そうしてフードの男は、ドゥリィの気を引き締めるように注意を促したのちに、ようやくこの会合の本題について語り始める。


「今から話すことは、決してミスが許されない。この仕事が完遂すれば、ビゼルラのギルドは壊滅も視野に入れることができる。そうなればオルランディアの攻めの足掛かりを作った功績から、君らサイファーの有用性が証明される……逆に失敗すれば、ここにいる全員が廃棄処分用済みだ。命など最初から捨てるものと思って、死ぬ気で取り掛かれ!」

「はっ!!」


 四人の声が響き渡り、そして運命の日までまた一日が過ぎていく。

 ――紅の夜ブラッドムーンまで、後一日。

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