第3節 紅の夜 4話目
それは夕焼けというにはあまりにも紅い光景だった。鮮やかな橙ではなく、血だまりのような赤黒い色に染まっていく空。それまでの平凡な道のりが一気に妖しいものへと化していくのを感じ取ったアドワーズは、窓の外の景色を険しい目つきで眺めていた。
「何でしょう、この紅い空は……」
「しまった! もうそんな時期だったか!」
使いの男が小窓を開けて騎手に急ぐように声をかければ、それまで気にならなかった程度の細かな揺れが、大きな揺れとなっていく。そして窓の外の風景までもが、それまでよりも速いスピードで遥か後方へと過ぎ去っていく。
「一体どうしたというのですか?」
「私としたことが、失態を犯しました。
「
オルランディア王国内にて、そのような言葉を耳にする機会など一切なかった。そしてこのような夕焼け空もまた、キュリオテ共和国に来てから初めて目にする。
「その様子ですと、
「申し訳ありません、このような不気味な景色を見るのは初めてで……」
「これは先の大戦――かの魔剣包囲網を敷いたあの戦いに起因するものなのです」
「――っ!?」
魔剣包囲網――その言葉を聞いたアドワーズは、その戦いがどのようなものだったのかを、まるで昨日のことのように思い出すことができていた。
「ヴォーチア大戦……激しい攻勢が続くオルランディアを押し返さんと、連合軍によって望まれた戦いがこの夜を生みだした原因なのです」
「…………」
言葉に出すことはなくとも、それがどのような戦争だったのかはアドワーズの表情を見れば汲み取れてしまう。
彼女の表情は、いつの間にかその戦いに関わった者の表情と化していた。それが被害を受けた側なのか、加害者側なのかまでは分からない。しかし重く沈んだ表情は、全くの無関係のものが浮かべるそれとは大きく異なっている。
そしてそのことにいち早く気が付いたウェルングは、とっさの機転を利かせて話を終わらせようと口を開いた。
「すまんがこの子の両親はその大戦で居なくなったようなもので、あまり話をしないでやってくれんか?」
「あっ……これは失礼しました!」
「すまんな。とりあえずその
「危険といえば危険ですが、夜になる前、月が昇る前に到着する予定なので恐らくは大丈夫です」
「そうか……まあ、詳しくは屋敷でわしだけに話をしてくれんか」
大きな戦いは、それだけ大きな影を落とす。大勢の兵士が死に、その兵士に関わってきた多くの民が、家族が悲しみに暮れた。決して軽々しく扱っていい話題ではなかったことを、改めて男は反省した。
「承知しました。改めまして、娘さんには大変失礼いたしました。娘さんの経緯を慮れば、決して簡単に口に出していいものではありませんでしたのに――」
「い、いえ! 大丈夫です! もう過ぎたことなので!」
「そう仰っていただけるとは……未だに多くの方が引きずっているというのに、強い心をお持ちですね」
アドワーズはこの言葉に、チクリと胸が痛くなった。
強い心を持っている――そんな訳がない。そもそも自分は断じて、被害を受けた側ではない。
(こんなとき、レーヴァンだったら軽くいなして話を終わらせられたんだろうな……)
しかし自分はレーヴァンとは違う。大勢の人々を単なる向かってくる軍の塊として処理をするような、相手を単なる数の集まりとしての処理法なんてできない。
アドワーズは神速の剣。斬れぬものは何もない。しかし順序を逆にすれば、斬らずに相手を斃すことなんてできない。
(……私はあの戦いで、何人の人をこの手にかけてきたのだろう)
今更数える気もない。数えたくもない。自分が殺した人の数なんて。
これがモンスターであったなら、いくらでも斬ったところで大した罪悪感も感じなかっただろう。しかし戦争で相手にするのは、常に言葉の通じる人間や亜人種ばかり。誰も彼もが斬られる寸前、あるいはその命が
(私は戦争の道具、魔剣アドワーズ……でも、この痛みは何?)
他の兄弟に話したところで、理解して貰えない痛み。戦争が終ったあと、表面上は勝利を祝うように笑顔を作ってきたが、その内側ではいつもこの痛みが襲ってきていた。
(……私はやっぱり、失敗作なのかな)
以降は沈んだ表情のままのアドワーズにつられて皆までもが静まり返り、以降は到着するまでの間、静まり返った馬車のキャビンを紅い光が照らし続けていた――
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