■試写を終えて

「終わった」

 視聴覚室にて。中ほどの席に座る天坂あまさかが言った。おれは読んでいた漫画を閉じて、教室後方の席から声をかける。

「おまえ、本当に金髪にしたのな」

「気分転換」

「似合ってない」

「それが目的じゃないっていま言ったよ」

 天坂はヘッドフォンを外し、乱れた髪を雑に直した。

 会うのはほぼ一年ぶりだ。

「学校の中って、意外と会わないね」

「クラスも離れてるしな」

「わたしの脚本、だいぶ切り刻まれてるんですけど」

「努力はしたんだよ。でも技術と演技が追いつかなかった。キャストの大幅な変更もあったしな」

「そのせいなのかな。何回か意識飛んだ」

「無駄なシーンはないつもりだが、見落としたところで大差はない」

 そもそも、撮った中でまともな部分を抜き出したら全映像の一割くらいしかなかった。あるものは少しも無駄にできないというキツい縛りの中で完成したものなのだ。

「音とか大変なのな。ちょっと風強いともう全然聞こえねえの。あとビーチで音楽流してる連中がいて、それが入り込んでてさ。著作権とかよく知らないけど念のためカットした」

「だからこんなツギハギなんだ」

 脚本が演出で大幅に変わるってのはよくあることだ。天坂にはそう理解してもらいたい。

「なんで爆発オチなの?」

「捨てるものを燃やすシーン用に炎のエフェクトを探してたら見つけて……そしたらどうしても使いたくなって……」

 天坂は「男児かよ」と吐き捨てた。

「タイトルも変わってるし」

「おまえのやつ、英語で洒落臭いし覚えられなかったから勝手に意訳した」

「合ってんの? この訳で」

「おおよそ合ってるだろ」

 天坂は少し唸ったあと「いま、洒落臭いって言った」と不平をこぼし、でもすぐに表情を戻した。

「クラゲのモノマネ、嫌がらせで入れたから絶対カットされると思ってた」

「絶対カットしてくれって潤んだ目で懇願されたから……入れた」

 天坂は失笑して顔を背けた。

「あんたっていい性格だよね。悪い意味で」

 席に着いたまま伸びをして「はあ」なんて嘆息と共に画面を見つめる。

「映像自体は全然悪くないじゃん。誰が撮ったの?」

井口いぐちだよ。女子部屋以外で誰かといるときは全部撮っとけって言ったら、あいつ張り切りすぎて男子風呂にも突入してきたぞ。まあ、いちばんの功労者かもしれない」

「うん。だって菜々子ななこ——ミチカ先輩が可愛い」

「おまえがそう呼ぶの新鮮だな」

「もともとが変だったんだよ。そういうあんたは?」

「もちろん名字呼びですよ。左右左良そうさら先輩って」

「こうして聞くと不思議な名字だよね」

「たしかに。普通の漢字ばかりなのに普通じゃ読めない」

 でもそれは先輩そのものに似合っているように感じられた。ぱっと見では簡単に見えて、でも実は複雑。そういう人だからこそ、きっと周りの人までも複雑にさせてしまうのだ。

「何か進展はないわけ?」

「答える義務も、内容もない」

 天坂は鼻で嗤った。

「それにしても、わけわかんないメンツだね。なんでこんなことになったの?」

つくだ先輩は辞めちゃったし、二条にじょう先輩は受験で予備校だと。去年の祥子しょうこ先輩の気持ちが田沢湖より深くわかるって言ってた」

「いない人はわかった。いる人は?」

「左右左良先輩が行くって言ったら久美子くみこ先輩が釣れて、そのおかげで三輪みわも釣れた。井口は一年勉強したからカメラマンやるって張り切ってたし、そのお目付役も兼ねて真柴ましばが来た。秋吉あきよしはなんかいた」

「わたしのやるはずだった役が秋吉くんなの、不服すぎるんだけど」

「去年の映画であいつがいちばん演技上手かったからな。仕方がない」

「使い道なさそうな才能持ちやがって」

 天坂は憎々しげに口を尖らせた。

「わたしたちが一年のときの映像も使ったんだね」

「真柴が放送部で撮ったやつな。快く貸してくれたよ」

「おかげでわたしも出演してる」

「脚本家役はおまえしかできないからな」

「ごめんね宮本。苦労かけて」

「楽しい合宿だったぞ」

「そうじゃなくて」天坂は机に両手をだらんと広げ、指先を見つめて呟く。「こんな有様は望んでなかったでしょ。わたしが悪い」

「そんなことねえって」

「わたしが悪い。わたしが悪い。わたしが悪い」

「それは自分に言い聞かせているのか? それともおれを洗脳したいのか?」

「……どうだろ。両方?」

 机に頬杖をつき、どこともつかない場所に視線を飛ばす。

「わたしはいまの状態を悔いていて、二度と同じ失敗を重ねないようにって思ってる。次があったらなんにも捨てたりしないし、全部連れていきたい」

「わかるよ」

「嘘ばっかり」

「いや、ほんとに。ずっと選び続けなくちゃいけない。人生って辛いねえ」

 おれは漫画を置いて立ち上がり、天坂の少し近くに座った。すると天坂は呆れて、

「何その半端な距離。ここ座りなよ」

 言われて隣に移動する。

「この一年間、何してたんだ?」

「変わらず。映画見て、本読んで。大学は東京に行きたいって親に言ったら、積み立てを増やすってんでお小遣い減らされた」

「世知辛いねえ」

「いまだけだよ。いいこともやなことも、全部いまだけ」

 そりゃそうだ。

 特別だと思ってた物事が、ある日ふと、ただ通り過ぎるだけのことだって気づく。その無慈悲さこそ、人が未来に対して期待と恐怖を同時に覚える理由だろう。何かを選んでは期待と恐怖が通り過ぎるのを待つ。ずっとその繰り返しだ。

「前にあんたに言ったことを覚えてる?」

「おまえに言われたことを一言一句覚えているほどおまえを過大評価してないよ」

「そりゃそうか。でも自分でもう一回言うの恥ずかしかったから、覚えていてくれたら良かったんだけど。心に響かないって話」

「ああ。おれがおまえのことを心配して言っているのはわかるけど、わたしの心にはこれっぱかしも響かないとかいうやつか」

「一言一句覚えてんじゃん。やな奴」

「思ったよりおまえを過小評価していないらしい」

 天坂は笑いを隠すように髪をかきあげた。おれは問う。

「で、それがなんだよ」

「我が身に降りかかって思い知ったわけさ。同じことなんだって。わたしが誰かに何かしたくて何を言おうと、相手の心には響かない」

「佃先輩の……いや、坪手つぼてさんの話?」

「どれも。全部。一生懸命何を考えても、そういうのは全部、その人の目の前に積まれた物事にはあっさり負ける。あんなに考えたのにとか、あんなに頑張ったのにとか、そういうの無駄になる」

 人は人を知ろうとするとき、心には果てがあっていつかたどり着けると錯覚する。でもどっちかといえば宇宙と同じで、それらは関係ない独立した銀河であり、そこに存在したある瞬間の光をたまに辛うじて見ることができるだけなのだ。

「わたしって、なんかほら。奇跡? とか信じちゃうタイプだからさ。それがよくなかったんだよね。笑いたければ笑ってもいいけど」

「ははっ」

 小突かれた。

 あるときたまたま触れた誰かの側面が、たまたま自分の内にあるものと重なったとき、人はそれを奇跡と思い込む。奇跡に触れることで信仰は生まれる。同じ価値観を人と共有しているという信仰。

「あとから思えばありふれた考えでも、ついうっかり特別って思っちゃう。そして勝手にガッカリするの」

「期待外れはよくあることだ。おれなんて毎日ガッカリしてるぞ。今日も超能力が目覚めなかったなって」

「永遠に眠らせといて」天坂は愛想笑いと共に答えた。

「まあ、原因ってなら、そもそもはおれが部室にべったりだったせいだ。だから先輩はノートを部室に置かざるを得なかった」

「だったら、ミチカ先輩が骨折したのも、わたしがフラれたのも、あんたのせいってことになるけど」

「だとしてもそれを責める奴はいないだろ……いないよな?」

「まあね。きっと」

「そう。だから後ろ向きになるな。おれの好きな映画に次のような台詞がある。——そのつもりがなくたって、どうにもならないことはある。確定しているのは一つ。電車は一度動き出したらもう戻れないってことだ」

 おれに諭され意外だったか、天坂は虚を突かれたように身を固め、感激に身を震わせるかのように口を開いた。

「それ、わたしが教えたやつ」

 よく覚えているものだ。記憶のいい奴は嫌いだ。

 そのついでに思い出す。

「なあ。ひょっとして、おれ以外全員知ってたの?」

「たぶんね。だから幾乃いくのは、なんていうか貧乏クジ引いたよね」

 まったくだ。

 天坂が部活を辞めた理由。

「探偵ごっこなんてやるもんじゃないだろ?」

「ほんとそう。ゲロ吐くかと思ったもん」

 奇妙な成り行きで佃先輩のしたことを暴き、そのせいで映研えいけんが崩壊し、自分の行動と結果にビックリして逃げ出した。それだけだ。

 それだけのことを、部内でおれだけが知らなかった。

 なのに部外者の真柴はよりによっておれに聞いてきた。おれはおれで、みんな知らないと思い込んでいたせいでロクに相談もしなかったし、おかげでえらく遠回りする羽目になった。無駄に考えて、合宿まで行って映画を撮って、七転八倒した。

「でも宮本は、手慣れたもんなんじゃないの? 盗撮事件のときと同じでさ。いろんな人の行動を紐解いたら見えてきた、みたいな」

「似て非なるものだ。今回は人によって謎が異なり、誰かが自分の分の謎を解くことで別の謎が生まれて……なんていうんだ? ファスナーの歯みたいに噛み合って繋がってた。しかもおれもその一部に過ぎなかった。ああほんと、しちめんどくさくてしょうがなかった」

「ふうん」

 おれの熱弁を聞き流し、天坂はさらに問う。

「なんで映画を作ってくれたの? わたしのことなんてほっときゃよかったのに。調べるだけなら誰かに聞けば済んだことでしょ、二条先輩とかさ」

「真柴との約束は、おまえが辞めた理由を調べることじゃなくておまえの社会復帰だからな。そのためにもおまえの残したものは供養してやんないと、と思って」

「そうなんだ。お気遣いどうも」

 天坂はわざとらしい欠伸を一つして、目元を拭いながら外のどこかに視線を飛ばした。

「誰にも言ってないことがあるんだけど、聞いてくれる?」

「アドバイスなしでよければ」

「それ採用」

 頬杖姿のままで一つ大きく深呼吸を挟み、天坂は呟く。

「一年生の終わり頃、佃先輩に告白した」

「は? マジ?」

 天坂は外を見たまま頷いた。

「フラれたけど」

「おまえ……」

「アドバイスはナシだよ」

「感想は?」

「一言だけなら」

「おまえ、モテないんだな」

 すると天坂、こっちにぐるりと振り向く。

「ね! 自分でもビックリした。もう少しイケてもよさそうじゃない?」

「つうか、なんでそうなったのかわかんねえんだけど」

「いや、映研の雰囲気で好きだった部分って、あの人の雰囲気だったんだなって気づいたらなんか……」

「チョロすぎだろ」

「否定はしない。本人にも、唐突すぎるから絶対に考え直した方がいいって滅茶苦茶説得された」

「さすが冷静な男だぜ」

 天坂がまじまじとおれを見つめる。

「おい。まさかおれにも告るんじゃねえだろうな」

「それだけはないから安心しな」

 天坂は目を細め、たぶん笑った。

「それより、幾乃があんたをめちゃくちゃ褒めてたよ。今度どっか誘ってみれば? たぶん喜んでついてくるよ」

「は? いや……そんなわけないだろ。おれは褒められるようなことは何もしていない。そんな見え透いた嘘をつくな。おれから何を搾取する気だおまえたちは」

「急に早口じゃん。声帯のバルブ壊れた?」

「急に変なことを言うからだ」

「でも誘ってみれば? ほんとに。幾乃の友達として言ってる」

「それで言うと……実は今度、映画を見に行く」

「幾乃と? そうなの?」頬杖の姿勢を解き、おれの方に身を向けた。おれは頭をかきながら答える。

「なんかさあ、駅前の方に小洒落たイベントスペースみたいなのがあるだろ。そこで気になる映画が上映されるんだ。監督も来る」

「誘ったの? あんたが?」

「そういうのに一人で行ったことなくて……三輪や秋吉は興味なさそうだし。ってのを真柴に話したら、あいつも行くつもりだったらしくて」

「へえ。やるじゃん」

「いや、そういう変な意味じゃない。あくまでも真柴の依頼に対する報酬として、おれをその現場まで誘導してほしいって話だ」

「幾乃はなんて?」

「もともと行くつもりだったから連れてくのはべつにいいけど、それの何が報酬になるのか全然意味わかんねーって」

「ふうん。まあいいじゃん。行ってきな」

 天坂はおれに向けて手で払う仕草をした。ニヤニヤと顔を緩ませながら。

「それがさあ。いざ行くとなると緊張してゲロ吐きそうだ。天坂、おまえもついてきてくんねえか?」

「は? やめてよ巻き込まないでよ。あんたそういうのいちばん嫌われるやつだからね」

 そのとき、おれのポケットで携帯電話が振動した。メールだ。

「真柴だ」

「ほんと? なんて?」

「……その日、風邪を引く予定が入ったって」

 天坂が机を叩き、声を上げて笑った。しばらく室内に音が響いたあと、天坂は腹を押さえて呼吸を整える。

「何それ。あんた、がっつきすぎに見えたんじゃない? 胸ばっか見てたとかさ」

「……おい、代わりにおまえを派遣するって書いてあるぞ」

「は? 何それ聞いてない。いつ?」

「今度の土曜」

「あー、そういや空いてるかどうか聞かれたわ。あいつサイアク」

「それでどうする?」

「聞くまでもないじゃん。一人で行きなよ」

「えっ……怖い」

 おれの言葉に、天坂は真顔のまま吹き出した。そのまま噎せ込んだあと「はあー」なんて胸を撫でおろし、どこともつかない宙を見て呟いた。

「なんかウケるね」

「そうだな」

「土曜ね。検討するよ。借りも返さなきゃだし」

「助かる」

 天坂は金髪をわしゃわしゃとかきむしり、猫が毛玉でも吐き出すように言った。

「あー……しっかし人生うまくいかないなー。こういうのってどうしようもないのかな」

 うまくいかなかったっていう経験は、いつかうまくいくかもっていう期待に変わる。期待は待つことで膨らみ続けるが、結果は振り返ることでしか確認できない。

 時間は流れて戻らないから。

 問題は至ってシンプルだ。解決策がないってだけで。

「だな。どうしようもない。全部茶化して懐かしい思い出にするくらいしかできない」

 懐かしさとは、解決しなかったそれらへのねぎらいみたいなものだ。

「そういえばさあ。さっき久しぶりに部室をのぞいたら、懐かしくてよかった。ほどよく散らかっててさ。わたしのいないところでも時間が流れてるってのを知るのは不思議な感じ。寂しいけどちょっと安心した、みたいな」

「そうだぞ。懐かしむのはいいもんだ」

 何気なく言った言葉だが、天坂は珍しく否定せずに言った。

「じゃあさ。わたしたちって、懐かしがりたくて生きてるのかもね」

 勝手に主語を大きくするな。そう言おうと思ったけれど、黙って外を眺めるだけにした。

 天坂の表情は、自分のいなかったこの一年間のおれについて、代わりに懐かしんでいるようにも見えたから。

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