●REC『僕は何をやってもだめな男です』
泊まる予定だった民宿は二日前までならキャンセル料が不要とのことで、合宿が取りやめになったことに起因してわたしたちの予定が大きく狂うことはなかった。ただの夏休みの二日間が、
合宿は中止。脚本も無意味になった。だからわたしの話はこれで終わり。
……に、できれば良かったんだけど。
夏休みも峠を越えたある日。わたしは踊っていた。足を開き、左肘を引き、目を閉じあごをあげ、右腕を天に突きあげる。カッと目を見開き、両腕を前に突き出し、指先を広げ、あとはこう、自然に任せて身体の赴くままに全てを委ねて。踊るなんて体育の創作ダンス以来だから不安なのだけど、恥の自意識はかなぐり捨てる。どこかから不安定なリズムでドン、ドンと太鼓のような音が響いてくる。それに合わせてわたしは身を捩っていた。
それもこれも
晴天の下、一一時待ち合わせでわたしたちは学校に集まった。
「いきなりなんの用だよ、宮本」
「そうだよ。おれはまだ眠っていたいんだ」
やってくるなり宮本に文句を言う男子たち。二人とも、学校に呼びだされてめんどくさがっている。名前はたしか、
「せっかく今日は部活が休みなのに」
「だから呼んだんだ」
「おれは今日は一日寝るつもりだったんだぞ」
「だから呼んだんだ。言っただろ、
運動部に所属する長身でさわやかなスポーツマンの三輪くんと、なんでもかんでも先延ばしにする怠惰な文芸部の秋吉くん。正反対とも言える二人が、結託して宮本に物申す。ちょっと面白い。
「合宿行くとか言ってたろ」
「予定は変わるもんなんだよ。すぐ済む。小一時間だ」
「せめてもっと広い場所にしろよ。なんでよりによって学校のゴミ置き場の脇なんだよ」
「裏庭は美術部が使ってるし、グラウンドは体育会系がひしめいてる。ここしかない」
合宿がダメになったとて、映画を作るというノルマが消えたわけではない。けれど部長の
そこで手をあげたのが宮本だった。とりあえず少しでも撮影して使えそうな素材を用意しようと、知り合いを学校に呼びつけたのだ。やらざるを得ないことがあるのなら、考える前にやってしまう。宮本のこういうところは尊敬に値する。
わたしは正直気乗りしなかったけれど、ここで断ってしまうと夏休みが二度と太陽を拝まずに終わりそうだったので、無理やり空元気を充填してやって来た。我ながら少しおかしなテンションであったと、あとで振り返ると思う。
「よしっ、じゃあ始めるか。
「はーい。これ一部ずつどうぞー」
井口さんが台本を配る。わたしも受け取り、視線を落とす。
「ていうか宮本、この話っていつ作ったの?」
「昨日」
わたしは一か月近くもかかったのに、どうしてそんなことができるの?
配られた台本は手書きのコピーで、大雑把な彼の文字が走っていた。スカスカで途中に何個も「あとで考える」が入っている。
「穴だらけだけど」
「大丈夫、香港映画でもよくある手法だ」
おおよその流れはこうだ——ゴミの村に生まれた美しい姫が、ゴミのほこらに引きこもってしまった。そこに五人の
「……これって、『かぐや姫』と『天の岩戸』のキメラってこと?」
「そんな感じ」
「なんで?」
「どっちも最近読んだから」
そういえばこの間、部室で古事記を読んでたっけ。なるほど。わたしとはアプローチがまるで異なる。わたしが一生懸命テーマから先に考えて話を作ったのに対して、こいつは手近なところからガワだけ引っ張ってきて組み合わせて形を整えた。
なんかズルい。
けれど、そんなことをパッと思いつくこいつが少し羨ましかった。
「
「……ん。いいよ。そんくらいやる」
わたしの返事に親指を立て、それから宮本は振り向いて言った。
「カメラはそっちに任せるぞ」
「へーい。任されました〜」
間延びした声で返事するのは、わたしのクラスメイトの
彼女は放送部でカメラの使い方にも詳しくて、無知蒙昧なるわたしたちに「目とカメラじゃレンズの構造が違うから、見たものではなく見たいものを撮るように意識しなくちゃ」と天啓を授けた。わたしたちは神の登場に打ち震え、その場で二人で拝み倒して急遽彼女にカメラ係をやってもらう運びとなった。まあ、代わりに放送部の部室の掃除を手伝うことになったけれど。
「これで準備OKか? あーでも最後のシーンにもう少し人がいるといいんだが……」
頭をかく宮本に、三輪くんが手をあげた。
「なら、部活の先輩が興味あるから見に来たいって言ってたけど」
「おっ、ちなみに誰?」
「知ってるかな。
「採用!」
宮本が即答した。わたしは久美子先輩と話したことがないけれど、たしかソフトテニス部の人だ。宮本は接点があるという。まさにいまここのゴミ置き場に閉じ込められたときに助けてくれた人らしい。
「あの人ならおれとしてもやりやすい。あと誰かいるかな……そうだ秋吉。おまえ、文芸部の部長連れてこいよ。あいつならちょっとこき使っても大丈夫だろ」
文芸部の部長は、宮本曰く「竹馬の友」だそうだ。そういえば宮本は文芸部との兼部である。部員不足で潰れそうだった文芸部を助けるために一肌脱いだのだとか。けれど秋吉くんは首を横に振った。
「あの人、部活以外でおまえと関わりたくないってよ。何したんだいったい?」
どうやら友情は一方的なものだったらしい。
「あの野郎、おれを嵌めたのをやさしく許してやったのに。今度、裏の神社のご神木のウロに丸めて押し込んでやる」
「いや、あのウロはそんなでかくねえだろ」
「秋吉、そこ広げるとこじゃねえだろ」
三輪くんが呆れて言った。
宮本と秋吉くんみたいなポンコツ人間を抱えて、三輪くんも文芸部の部長さんも可哀想だなと思った。
「三輪。久美子先輩にはいまから来てもらえるか?」
「たぶん学校にいるからすぐ来るだろう」
「よし。じゃあ始めちまおうぜ。天坂、ビニ傘の準備はあるな?」
「うん。部室に三本あったから、とりあえず全部持ってきてある」
光の当たり具合を調整する小道具としてはレフ
「じゃ、井口はカンペで天坂はライティング。真柴はカメラ。おれと三輪と秋吉は演者だ。演者ども、準備はいいな?」
「準備っていうか、恰好とかコレでいいのか?」
秋吉くんが自分の服装を指して言った。ここにいるわたしたちはみんな、誰も特に衣装らしき服装じゃない。いつも学校に来るときと変わらない、制服の夏服姿だ。
「いいんだよ。高校生映画に多くを求めるな」
「それって内側の奴が言っていい台詞か?」
「たしかに。客が言う『お客様は神様です』みたいな感じだね」
井口さんが笑った。宮本は両手をぶんぶんと振りまわす。
「ああもううるさい! まずは秋吉! おまえからだ。ドアの前に立て」
「え、おれ?」
「いくぞ、スタート!」
宮本が声と共にカチンコを鳴らした。合わせて幾乃がカメラを回し始める。こうして、有無を言わさず撮影が始まった。
秋吉くんは軽く嘆息し、首を回して咳払いしたあと、ゴミ置き場のドアの前に片膝立ちになった。両手を天にかざして声を張る。
「おお、姫様っ!」
わたしの予想に大きく反して、よく通る美声だ。
「我は
内容はさておき、大げさじゃない抑揚と聞き取りやすい発声で名演といえよう。
幾乃が秋吉くんの顔や全身を撮って、それからゴミ置き場のドアにカメラを向けた。一秒、二秒……宮本が大きく手を振る。
「カット! オッケーだ秋吉」
「え? これだけでいいの?」
「完璧だ。姫も喜んであらせられるぞ」
「おれは誰のために何をしたのか全然わかんないんだけど」
「あとで編集して姫の声を重ねるから問題ない」
「おれは姫様になんて言われるんだ?」
「姫様はおまえの行いにいたく感銘を受け、こう告げる。『帰れ』と」
「それ、いま考えただろ」
「あとでまた変わるかもしれない。流れだ」
秋吉くんが首を捻りながらわたしの隣に来た。
「天坂さん、よくあいつと同じ部活やってるね」
「うん……そっちもね」
秋吉くんと境遇について共感し合う日が来るとは思わなかった。一方で宮本は引き続き張り切っている。
「次は三輪!」
「マジでやるのか……いままでの宮本の頼みでいちばんキツいぜ」
すらっとしてスタイルの良い三輪くんがおもむろにゴミ置き場に向かう。ドアの前に立ち、大きく深呼吸してみせた。それだけでもう絵になる。
「よし、スタート!」
「あー……姫様。おれは、いえわたくしは、こちらを持って参りました。姫様の望んだ『
「カット! 名乗りを忘れてるぞ! おまえは
「何のなんの皇子だって? 覚えらんねえよ」
「バカかおまえ……ファイト!」
宮本のなんの捻りもない叱咤に何を言っても無駄と悟ったか、三輪くんは言われたままに台詞を言い直す。けれどもイマイチ羞恥心を拭い去れないようで、何度も「NG!」と怒られていた。秋吉くん同様、彼も友達を選んだ方がいいと思う。
そのうちに宮本が痺れを切らして喚いた。
「おまえは後回しだ! 情けない。いつかお前の晴れ舞台でいまの映像を流してやるから覚えとけ!」
「……早めに縁を切らなきゃだなあ」
もっともだ。
うなだれる三輪くんと入れ替わりに、今度は宮本がドアの前に立つ。
「おれが見本を見せてやる。井口、これ任せた」
「え? う、うん」
カチンコを渡された井口さんは、さっきの宮本の見よう見まねでそれを構えた。
「ええと、シーン……わかんないけどスタート!」
宮本はゴミ置き場のドアに向けて深くお辞儀をし、眉間に皺を寄せながらドアを凝視した。
「姫様! この
大げさに身を捩って叫ぶやいなや、ゴミ置き場のドアに頬ずりした。こいつはこういうのを恥も外聞もなくやるから見てるこっちが恥ずかしくなる。あと大根ぶりでは三輪くんとそんなに大差ない。見てられない。早く、早くカットを——と井口さんを見るけど、彼女はカチンコを抱えたまま微動だにせず撮影を見守っている。
ドアに密着したままの宮本が手で合図した。それでやっと気づいて、
「あっ、わたしが言うのか。カット!」
ようやくカメラが止まった。全員から安堵の溜息。と、それを待っていたかのように後ろから声がした。
「みなさん気合い入ってますなあ」
振り返って見れば、久美子先輩だ。
「ういっす」「ういっす〜」なんて三輪くんと気安く声を挨拶を交わし、久美子先輩は彼のすぐ隣にちょこんと収まった。なんだか部活の先輩・後輩関係にしては距離が近い。なんて見てたら宮本と秋吉くんがさっそく食いついた。
「三輪おまえ、もしやと思ったが……」
「そうだぞ、最近休みも遊んでくれないと思ったら……」
しかし三輪くんは特に照れるでもなく、
「え? 言ってなかったっけ?」
と首を傾げた。
久美子先輩が照れくさそうに頭をかく。どうやら二人は恋人同士らしい。へえ、ふうん。
水くさいぞ、と詰め寄るクラスメイト二人に、三輪くんは肩をすくめる。
「ていうかおまえら、おれにそんなに興味あったっけ」
「おまえに興味はない!」
「だがしかし、ゴシップに興味はある!」
最悪の二人だ。
「でも宮本は知ってたはずだろ?」
「そうなのか? 宮本」
秋吉くんがにじりよる。宮本は苦々しい顔で答える。
「薄々だ! かつておれは、ある取引の代償で久美子先輩に三輪についての三〇のコトを教えた。そのときにちょっと『おや?』と思ったけど……でも、絶対うまくいかないと思ってたんだ! それがこう、確定すると……怒りのセカンドカミングが押し寄せてきてだな、おれはいま平静を保つのが難しい状態にある」
特に最悪の一人だ。
ただ、いまの一言でずっと気になっていたことがわかった。
最悪の男は三輪くんをゴミ置き場の前まで引っ張っていく。それを横目に、久美子先輩がわたしに話しかけてきた。
「あの、映研の人だよね?」
「はい。天坂といいます」
「よろしくね。わたしも何か手伝った方がいい?」
「あっ、じゃあビニ傘お願いします。これ、開いて光をキラキラ散らす感じで」
「オッケー。今日って一年生だけ? 他の人は?」
「ああ……旅行とか、お見舞いとか、いろいろみたいです」
「お見舞い?」久美子先輩は眉根をあげた。「あの手術する奴? ハンド部の?」
「知ってるんですか?」
「同じ中学の奴だし……そういやあれ、中学のときのケガが原因なんだよね」
それから周囲をチラリと見たあと、声をひそめた。
「あの、『システム』の」
「え?」
なんでこの人は、わたしにそんなことを言うのだろう。
そういえば、この人は
「へえ、そうなんですか? 知らなかったです」
「……そっか。ま、どうでもいいよね。ミチカが最近また逆恨みされてるみたいでさ。もしやと思ったんだけど……あれはあいつの自業自得で、うん——」
「久美子先輩! ちょっと!」
わたしたちの会話を遮って、宮本が久美子先輩を手招いた。
「これから三輪の出番だもんで、ひとつ気合い入れてやっちゃあくれませんかねっ!」
「おまえっ、やめろよ、そーゆーの!」三輪くんは露骨に渋面を浮かべた。「最悪だ。宮本ぜってーわざと後回しにしただろ」
わたしもそう思う。
久美子先輩はニヤニヤしながら三輪くんに駆け寄り、
「え? 何やるの? どんなお姿を見せてくださるわけ?」
なんて二の腕とかを突っつき始めた。
「ちょ、先輩やめてくださいよ」
「なんで? ああ、秋吉くんとか宮本くんの前ではいつもカッコつけてるから?」
「マジやめて。ていうかよその部活であんまはしゃがないでくださいよ」
「よそだからはしゃぐんじゃん。ほら、見ててあげるからガンバレガンバレ」
そんなやりとりをかわす二人に、秋吉くんがすっと手をあげた。
「あの、いちゃつくのやめてもらっていいですか? 死ぬので」
その表情は大変深い翳りを帯びており、その姿を見た者は目を伏して黙るしかありませんでした。
場が静まりきったところで、三輪くんのリテイクが始まる。
「……この『蓬莱の宝の枝』にございますが、折れてしまったのでちょっとガムテで補修して……あの、遠目には見えないので……」
そして雑な補修で無様になってる魔法少女ステッキをくるりと回した。部室の『衣裳・お仕事系』の段ボール箱に紛れ込んでたのをたまたま見つけて引っ張り出してきたものだ。
三輪くんの名誉のために端折るけど、彼はこのどうでもいい台詞と演技を宮本による苛烈なダメ出しにより一八回繰り返した。その間ずっと久美子先輩はくすくす笑ってて、いや、滅茶苦茶にバカ受けしててとてつもなく楽しげで、それを見る秋吉くんは深い影に覆われていて、その闇深さに幾乃が小さく「ナムアミッ」と呟いた。
ちなみにかぐや姫に求婚する公達は他に
「で、宮本。次は何すんだ?」
「あとはもうラストシーンだ」
「早くね?」
「ここでたっぷり尺を稼ぐ。姫様が出てくるように、全員で宴をするんだ。だから傘とカメラの人以外はみんな出てくれ」
といっても、男子三人に井口さんと久美子先輩が追加されるだけだけど。
井口さんが訊ねる。
「何すればいいの?」
「適当にくっちゃべって踊るんだ。内容はなんでもいい。さっ、みんな輪になって」
そこに久美子先輩が手をあげる。
「ねえ。それはいいけど、姫って誰がやるの? 天坂さん?」
「いや、まさか」わたしは何も聞いていない。それにこいつがわたしにそんな役をやらせるはずがない。
「まさか宮本がやるとか言うんじゃないだろな。だったらおれ帰るぜもう——あれっ?」
秋吉くんが不平をこぼしたが、それは半ばで途切れた。場に、遅れてもう一人やって来たからだ。
「
秋吉くんの問いに、宮本がニヤリとして答える。
「ああ。紹介しよう。この映画のお姫様役だ」
「映画?」近寄りながら若草ひかるは眉をひそめた。「聞いてない」
「言ってないからな」
「そんなことのためにわたしを呼んだの? 意味不明。そういうのやめてもらっていいですか?」
不満を隠さない彼女に、宮本は指を立てて笑顔で返す。
「大丈夫。大して映らないし、演技力だって必要ない」
「そういう言い方されると、それはそれでムカつくけれど」
彼女は中学時代まで東京でモデルやジュニアアイドルとして活動していた。一応二時間ドラマにも出演経験がある、プロの役者だ。けれどいまは引退して、地方の高校生をやっている。要はただの眉目秀麗な同級生だ。
でも、宮本は彼女には貸しがある。
「盗撮事件を解決した報酬を何ももらってない。これでチャラにしてやるから」
「わたし、そもそも報酬あげるなんて言ってませんけど」
「でも、来てくれたってことは多少なり借りがあるって感じてるんだろ? それをこんなことで返せるなら安いもんだろ」
若草ひかるは返事に代えて溜息をついた。
「決まりだな。じゃあ早速この中に入ってくれ」
宮本はゴミ置き場のドアを開け、若草ひかるを手招きした。「え? は? 触んないでもらえる?」なんて言いながら、若草ひかるは中に押し込まれる。
「こんなとこで何するの? 台本とかないの?」
「危ないからもっと奥に下がってくれ」
宮本は若草ひかるの困惑を一切無視し、ドアを閉めた。秋吉くんが問う。
「何やってんだおまえ」
「言ったろ、姫様だって。ほら急げ。騒がれる前に集まれって」
ドアの向こうから「ちょっと」とか「開かない」とか声が漏れ聞こえてくる。そう、このドアは中から開かない意味不明な仕組みで、宮本がかつて
この部分のシナリオは特に用意されていない。あとでわたしのナレーションで状況を解説するつもりのようだ。
宮本が三輪くんを見た。
「じゃ、三輪と久美子先輩のくっついた経緯を懇切丁寧に聞かせてくれ。まずはファーストコンタクト編から。どっちが先に意識した? さんはいっ」
「できるか!」
さすがに三輪くんも声を荒らげる。
「だったら踊れ。他の奴らも、楽しそうな雰囲気を出してくれ! 姫がまざりたくなるくらい」
渋々ながらユラユラ揺れ始める演者たち。幾乃はビデオカメラのディスプレイを見つめながら、ゆっくりした動きで彼らを映像に収めていく。邪魔にならないようにどけようとしたら、ささやき声で言われた。
「動いちゃダメ。光の具合が変わるから」
同じ一年生なのに、この場でいちばん頼りになる。なんて感心していると、井口さんがぼやいた。
「適当っていってもなあ。何かテーマとかないの?」
「誰かの悪口でもいい。そういうの好きだろ、なあ天坂」
宮本が急に外野のわたしに話を振った。
「好きなわけないでしょ」
「でも得意だろ」
得意、得意ね。それはたしかにそうかもだけど。
あとでわたしのナレーションを被せるのに、わたしがたくさん喋ったらわかりづらくなる。だから最初だけ。
「みんなで宮本の悪口を言いあってよ。日頃のお返しでさ」
地面は深いグレーのアスファルト。校舎の壁は灰色のコンクリート。ゴミ置き場の向こう側にはガラガラの駐輪場が見える。校庭からは練習中のサッカー部の声がする。わたしたち高校生のありふれた日常の風景。そしてカメラが捕らえるのは、即席で集められた演技未経験のぎこちない男女。みんな宮本に言われるままに、身体を揺らして各々のダンスを踊っている。情景だけ切り取れば、割と嫌いじゃない。
そんな中で、口火を切ったのは秋吉くんだった。
「だったら宮本、おまえ文芸部の方も顔出せよ」
「でも部長が『顔も見たくない』って言ってるんだろ」
「それは部室の外の話だ。部室の中におれと部長だけだとキツいんだよ。あの人おれが読んでる本のネタバレしてくるしさあ。『いやこれはネタバレしても面白いから』とか言って」
「うわ、それは最悪」
「そうだよ。最悪なんだよ」
「それ、部長さんの悪口になってない?」
「だから、おまえが来れば抑止力になるんだよ」
「たまには行ってるだろ。却下!」
その様子に、幾乃がカメラを構えながら言った。
「宮本って文芸部だとどんな感じなの?」
「王様気取りで椅子にふんぞり返って漫画読んでるよ」
「うわあ。注意してくれる人がいないと態度でかくなるんだ。最悪〜」
そこですっと手があがった。井口さんだ。
「最悪といえば、宮本が学校に変なDVD持ってくるの割とやめてほしい」
「ああ、それはこいつの趣味だから。どうか許してやってほしい」
「あんたもだけど。秋吉」
「って、天坂さんスゴい顔してるよ」
久美子先輩に言われてハッと我に返る。
「え? あ、あぁ……。宮本の友達ってやっぱヘンだなと思って」
「おれ、そんなにヘン?」
「三輪くんじゃないよ。でもこんな連中とつき合ってたらそのうち朱に染まるよ」
すると宮本がニヤニヤして言った。
「大丈夫だよ。久美子先輩に浄化してもらえるもんな」
「おまえ、気持ち悪い言い方するなよ……すんません先輩」
三輪くんが久美子先輩を庇うように彼女の前に出た。俎上にあげられた側の久美子先輩は、意趣返しのように意地悪な笑みを浮かべて宮本を見た。
「そういう宮本くんはさあ。わたしの幼馴染みを狙っていると聞いたけど? ねえ三輪くん?」
「ああ、しょっちゅうそんな話してるな」
「え? いやそれは……」
宮本の動きが止まった。わたしは身振りで指示を出す。
——踊って!
「べつにおれは、変な意味で言ってないっていうか……」
宮本がぎこちなく両手を振る様を、幾乃がカメラで捉えていく。わたしは今度は三輪くんたちに手振りの合図を送る。
——もっとかませ!
意図が通じて、三輪くんもまた悪そうな顔で言った。
「自分のことになると打たれ弱いなコイツ」
「ていうか高望みしすぎでしょ」
「な。おまえはおれと暗い高校生活を送る方が似合うぜ。
「たしかに。文芸部同士だし、いいじゃん」
「え、みんなおれに厳しすぎない?」
散々な言われようの宮本に、トドメを刺すべく久美子先輩が近寄った。
「そりゃあねえ。わたしの愛すべき幼馴染みは、一筋縄ではいかないタマなワケですよ。そんじょそこらの馬の骨じゃあもうバッキボキよ」
自分の言葉に大袈裟に頷いてみせる。
「あの子を真人間に導いてくれるような人が現れることをのう、わたしゃ心待ちにしておるのじゃ」
「なぜ
「え?
久美子先輩はお菓子のCMみたいな動きでピョンピョン跳びはねながら続ける。
「茶化させてよ。あれ、どこに地雷が埋まってるかわかんないからさあ。一生爆発しながら生きてくんじゃないかって気がしてて」
「一人地雷原?」
「ていうか、一人で地雷原を駆け抜ける地雷みたいな感じ?」
「自走地雷ってこと?」
「待って、なんかわかんなくなってきた」
井口さんが頭を抱えた。
「さっきからみんなが言ってるのって、ミチカ先輩のことだよね?」
「そ」
「地雷云々って、盗撮魔の被害に遭ってたとかいう件のこと?」
「まあ、それもかな」
そういえば、あの件の始まりは宮本が若草ひかる(いまもドアの向こうからうっすら喚き声がする)に依頼を受けたことだったっけ。学校に潜む盗撮魔をとっ捕まえろっていう。あの一件を追っているうちに宮本と菜々子先輩はなんだかちょっとただならぬ雰囲気になった気がする。恋愛的な意味ではなく、まるでライバルのような緊張感があるというか……。
井口さんが久美子先輩とおんなじ振り付けをしながら首を傾げた。
「いまの久美子先輩の口ぶりだと、ミチカ先輩が被害に遭ったのは先輩自身にも問題があったからみたいに聞こえたんですけど。そんなことってあります? 盗撮なんて、する側が完璧に悪いに決まってると思うんですけど」
「あ、誤解させたならごめんね。それはその通りだよ。盗撮するのが悪い」
幾乃のカメラは久美子先輩と井口さんに寄っていく。
「わたしが言いたいのは、ミチカは大きな目的の達成のためには多少ケガしてもいいやって思っている節があるというか、なんていうんだっけ、そういうの。ええと、Tボーンステーキの骨もいただく的な……なんだっけ」
「肉を切らせて骨を断つ?」井口さんが手刀の動きと共に言った。
「ああ、それそれ」
「ウソ、よくわかったないまの」
三輪くんが驚いた。ほんとにそう。でも久美子先輩は「邪魔だ」みたいに三輪くんに手を振って黙らせる。
「ミチカはさあ。勝つためにダメージを負うことが必要だったら、平気でそうする奴ってこと」
いけない、久美子先輩がだんだんシリアスな顔になってきた。つられて井口さんも神妙な表情を浮かべる。
「でもそれって……わかんないけど、何かの目的を達成するために自分から盗撮魔に盗撮させたってことですか?」
「んー、そのケースのときにそうだったかは知らないけれど、そういうことをやりかねないってことが言いたかった」
わたしは身振りで二人に「笑って!」と合図する。いち早く反応した井口さんは、半笑いみたいな表情を無理やり作るとほとんど反射みたいに言い放った。
「うっわ、陰険——」
咄嗟に口元を塞ぐ。
「——あっ、口が過ぎました。ええと、なんだろう、その……」
それから一拍おいて、
「あぶなっかしい、ですね」
と、はにかんだ。
そのとき、わたしはなんで自分がそんなことを言ったのかよくわかっていない。井口さんの言葉が、第三者から見た菜々子先輩の人間性を非常に端的に言語化していたから驚いたのとか、宮本の話から飛躍して久美子先輩が坪手さんの話をしだしたらいやだなとか、そういうのが入り交じったのだと思う。
「じゃあ、今回のケガも……?」
「ケガ?」
久美子先輩はわたしに振り向き、怪訝な顔をした。
「何それ、聞いてない」
「いや、手を骨折して……それで合宿が中止に」
「えっ、そうなの?」
その口調に嘘の感じはなかった。そもそも嘘をつく理由もないだろう。
わたしと宮本は、カメラの中と外にいるのに思わず顔を見あわせた。
他の人はともかく、久美子先輩も菜々子先輩のケガのことを知らなかった。ちょっとおかしい気がする。ここ数日全然連絡を取り合ってないとかならそういうこともあるかもしれないけれど……。
「昨日も電話で二時間喋ったのに」
じゃあ確定でおかしい。
井口さんがボソリと言った。
「それも『肉を切らせて』の一環だったりして」
対して宮本が、思い出したように両腕を揺らして踊りながら言った。
「そんなことはない。だって合宿がなくなったんだぞ」
「合宿したくなかったんじゃない?」
「さすがにそれは……だったら病気でもなんでも、他にいくらでも理由はつけられるだろ」
「そもそも本当に骨折したの?」
「それは見たよ」
手をあげてわたしが答える。数日前に駅前で、三角巾で腕をつった菜々子先輩がバスから降りたのを見た。
宮本が驚いた顔でこっちに向いた。
「おまえ、それ初耳」
あ、しまった。
わたしは宮本からのメールで知ったことになっているんだった。本当に嘘がヘタクソだわたしは。
「なんか情報がぐちゃぐちゃなんだけど。整理しようぜ」
秋吉くんが言って、踊りながら指を立てた。
「宮本たち映研は合宿に行くはずだった。それが、先輩のケガで中止になった。でもそのケガした先輩は、合宿に行きたくなくてわざとケガしたかもしれない。そういう話?」
「だから、わざとケガはありえねえって。骨折だぞ?」
「フリかもしれないだろ」秋吉くんの言葉に、宮本は踊るのを忘れて腕を組む。
「天坂に見られたのは偶然だろ、さすがに」そしてわたしに問う。「その日その時間に駅前に行くって、あらかじめ誰かに知らせていたのか?」
「そんなわけないでしょ。たまたまだよ、たまたま」
「本当に?」
念を押されると不安になる。あの日はたしか、わたしの脚本が完成して、部室で二条先輩と井口さんに見せて……。それから買い出しでホームセンターに行って、ちょっとお茶して解散して……。わたしはその後の予定を誰にも話していない。
「うん。あの時間に駅前にいたことは、わたし自身も予定していなかったことだもん」
「ならやっぱりそうだ。先輩は骨折のフリをしてなんていない。だから合宿を中止したかったわけでもないし、合宿に個人的に行きたくなかったって根拠もない」
「よくわからん」三輪くんもまた踊りを止めて、頭をかいた。
「骨折は本当なんだな? じゃあ何が嘘なんだ?」
「嘘なんてどこにもねえんだよ! 聞き分けのない奴らだな!」
宮本が声を荒らげた。
そのとき、わたしは一瞬だけ宮本の顔から表情が消えたのを見た。
宮本?
声をかけようとしたけれど、その隙間もなく彼は拳を振りあげる。
「おまえら動きが疎かになってるぞ! さあ踊れ! 楽しそうに、そして激しく!」
みんなは渋々踊りを再開する。話題が途切れて、全員が黙る。そこに秋吉くんがボソリと言った。
「なあ。これ『天の岩戸』なら、アメノウズメは誰がやるんだ? 久美子先輩? 井口さん?」
すぐに二人が反応した。
「やだよ、わたしは部外者だし」
「わたし目立つのこの世でいちばん嫌いウーマン」
そしたら、すぐさま宮本がこっちを見た。
「天坂、入れ!」
えっ、わたし?
周りを見ると、幾乃が手振りで「GO」と示している。このとき、わたしは自分のテンションのおかしさを実感した。普段なら絶対にやらないのに、踊りを止めちゃダメだって気がして、みんなの輪の真ん中に文字通り躍り出た。
そしてあとは、さっき言った通りだ。ジャンプしながらクルリと回って、たぶんスカートがブワッてなったけどどうでもいい。音楽なんてかけてないのに聞こえてくる太鼓みたいなリズムに身を委ねて、一心不乱に踊る——。
誰かの声がした。
「他の奴も天坂に続け! 盛り上がれ、なんか喋れっ」
そうだ、我に続け。
誰かの声がした。
「全然元気そうじゃない?」
わたしのこと? おかまいなく。
誰かの声がした。
「やっぱ違うかなあ」
わたし、何か変?
誰かの声がした。
「これなんの音?」
たしかになんの音? 顔をあげると、全員の目がゴミ置き場のドアに定まっていた。
ドン、ドンドン、ドン……と壁を叩く音。そしてよく聞くと、叫び声がする。
全員が同時にあることを思い出した。
「——ねえっ、なんなのこれ? 開けてってば、ちょっとぉ!」
「やべっ、忘れてたっ」
宮本が慌てて合図を出す。幾乃はゆっくりとわたしたちの輪を横断し、ドアに近づく。鉄扉に接写するくらいのところで、カメラに映らないよう屈んだ宮本が静かにドアを開ける。
刹那、涙目の若草ひかるが飛びだしてきた。
「——開いたっ! 開いたよ! なんなのコレ! なんでわたしこんな目に——臭い! なんかまだ臭いサイアク!」
喚く彼女に一切答えず、宮本がドアから離れる。
幾乃が振り返り、カメラがわたしたちに向く。わたしたちは踊りをやめ、一斉に万歳し始める。
バンザーイ。
バンザーイ。
バンザーイ。
ひたすら繰り返していると、やがて宮本が「カット!」と叫んだ。
そのまま若草ひかるに拍手を送る。
「撮影終了! ご苦労さん! いやあ、最高の演技だったぞ。さすがプロの役者だ!」
「ちょっとなんなの! 宮本マジ最悪! 大っ嫌い!」
「みんな、迫真の演技をみせてくれた彼女に盛大な拍手を!」
「人の話を聞けよォ!」
怒髪天を衝く若草ひかる。その顔を見て久美子先輩が「えっちょっと待ってうそっ」と声を跳ねさせた。
「ね、あなたって例の元アイドルの子?」
「え? はあ……まあ」
鈍い反応の若草ひかるに、久美子先輩はたたっと駆け寄ってガッと両手を掴んだ。
「すごっ、ほんとキレーっ! なんか感動しちゃう」
場を収めるための計算……いや、たぶん素でやってる。だって目がキラキラしてる。
若草ひかるはすっと怒りを鎮め、口元に笑みを称えた。
「わーうれしー。ありがとーございますっ」
見事な切り替えだった。もう何百回と繰り返してきたのか、すっかり身に染みついているようだ。
大変な人生だな。
そのどさくさに紛れて宮本が手をパンッと強く叩いた。
「撮影終了! お疲れ様!」
こうして撮影は終わった。予定は大幅にオーバーして午後二時近くになっていた。
「腹減った〜」
秋吉くんが言ってみんなを見まわす。
「飯は? 食う?」
「このあとみんなでどっか行く?」と三輪くんも同調する。
「宮本たちも来るだろ?」
「そうだな」宮本は答え、幾乃に手を伸ばした。
「忘れる前に、データだけもらえるか?」
幾乃はカメラからメモリーカードを取り出して宮本に渡した。その向こうでは久美子先輩が若草ひかるにひっついて逃さないようにしている。井口さんが幾乃に駆け寄って「わたし、カメラ勉強したいかも」なんて言ってて、それから宮本に「ね? 今度撮影するとき、わたしやりたい」と振り向く。宮本は「おう」と生返事を返しながら、受けとったメモリーカードを胸ポケットにしまった。井口さんは「約束だよ」と念を押して宮本の顔をのぞき込んだ。
そのとき、わたしはこの光景を忘れないと思った。
それは青春的な意味じゃない。もっと別の理由からだ。
そうか、だから。てことは——。
「ねえ、天坂さん」
秋吉くんが話しかけてくる。
「え? ああごめん、何?」
「連絡先、交換しない?」
「えっと……ごめんいまちょっと何もわからなくてあれだから」
とてつもなく曖昧に秋吉くんをほったらかし、わたしは備品の詰まった段ボール箱を抱えると、みんなからそっと離れた。宮本が気づいてわたしを見る。
「どうした天坂。メシ行かねえの?」
「言い忘れてたけど、ちょっと予定があるんだよね」
一人でみんなを見送って、箱とビニ傘を部室に置いて、それからわたしは何を思ったか。
さっき、一瞬だけ宮本は表情をなくした。
なんのとき? 菜々子先輩の骨折がわざとかどうかって話のとき。わたしが見たのは偶然なんだし、わざとのわけがない。でも、たしかに引っかかった。それは湿布の薬剤みたいに首筋から体内にジワジワと染み込んできた。たぶん宮本とわたしは同じタイミングで同じ違和感を覚えた。たとえば久美子先輩がやって来て三輪くんといちゃつき始めたあたりとか、わたしが踊り散らかしているときとか。
宮本も気づいて、あの小賢しい男はわたしからそれを隠すために、さっき早々に撮影データを受け取ったのだ。
なんのことかって。
菜々子先輩の手の骨折。階段から落ちたとかなんとか。
わたしは、その事故が、事件かもしれないと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます