四 フールズ・ゴールド〈ACT〉その2
さっきの続きだが、一つの座標には同時に一人しか存在できない問題。もしそれがパラレルワールド……多元的な宇宙の存在によって解消されるなら、同時に解決される問題。それは選択だ。選択肢の別ルートを並行してシミュレートできるのなら、この世のあらゆる勘違いは消えるだろう。だとしたら素晴らしいことだ。
ただし、一つだけ落とし穴がある。おれたちは日頃、どこで選択肢が出ているかなんて気に掛けない。大事なことを見逃したりちょっとしたすれ違いを繰り返したりして、結局は相手を理解し損ねてしまう。
だから気をつけなくてはならない。
知ったのはいつのことか。知ったことはいつのことか。
いまの現状を端的に言うならこうだ。
これだけ見れば単純だが、それを紐解くには出来事を無茶苦茶に、セーターを羊毛にするくらい解きほぐす必要があった。
それでおれはこう答えた。
映画を撮れば何かわかるかも。
真柴は「なんでそうなるの?」と不思議がったが、そのときすでにおれは漠然とながらこの道筋を考えていた。一年前に書かれて使われなかった天坂の脚本を使うこと。そのためにこの合宿を実現すること。
「なあ、撮影は終わり?」
少し風の出てきた中で、監督役の
「いや、まだだ」
おれは久美子先輩を見る。リネンのシャツの袖口をギュッと掴んで、怪訝な顔を浮かべる。
「あの、わたしよくわかってないんだけど……ええと、映研の部室にノートがあったんだっけ? それを
「そうです」
おれの答えに、久美子先輩は菜々子先輩を見て両手を合わせた。
「ごめんミチカ。あの頃、わたしちょっと宮本くんに聞きたいことがあったからさ。交換条件で教えたんだよね」
「ふうん。そうなんだ」と菜々子先輩は仏頂面で答えた。
「だって、映画の取材をしたいって言ってたから、そういうことならまあいいかと思って。それに行くのは宮本くんだけだと思ってたからさ。まさか女子も行くとは思わないじゃん」
久美子先輩が合掌したまま頭を下げた。それに合わせてイルカの髪留めも揺れた。
「それはわかったけど」言葉とは裏腹に、変わらず不服な表情の菜々子先輩。おれを軽く睨めつけて言う。
「久美子が
「そうですね。そっからの手数はだいぶ多いですが、先輩はもう見えているでしょ?」
「なんとなくは」菜々子先輩は鼻白んだ様子だ。「でも、なんで久美子がそんなことを舞ちゃんに言ったのかが全然わかんない」
菜々子先輩は久美子先輩を見た。久美子先輩も菜々子先輩を見て首を傾げる。
「わたしがいちばん何もわかんないよ。わたしの言葉が何? いまの流れを聞いて思ったのは、去年ミチカが骨折したのってやっぱ天坂さんのせいなのかなって……」
一年前、合宿直前に菜々子先輩が手首を骨折し、それで去年の合宿は流れた。おれは一歩前に出て、久美子先輩に答える。
「あいつが実行犯とかじゃありません。そしておれは、あいつのせいだとも思ってません。言ってしまえば玉突き事故みたいなもんです」
「なんだそれ? おい宮本」
「久美子先輩の言葉を端緒にして、天坂はある行動に出た。行動の結果、天坂は自分の愚かさを知り、その悔しさでひねくれた。だから誰かの『せい』とかじゃない。少なくともおれは、誰かの責任を問いたいんじゃないんです」
久美子先輩は周囲を見まわし「えぇ……」と困惑しながら答える。
「わたしはただ、ミチカが逆恨みされることを避けなくちゃと思っただけ」
久美子先輩は中学時代の菜々子先輩にいちばん寄り添い、いちばんサポートしていた人物だ。菜々子先輩が誰かに危害を加えられることについて、あるいはその逆についても人一倍過敏になっている。
「そのときに可能性が高かったのは、例の手術の奴と、天坂さんだったから」
まるで似て非なる世界に迷い込んだような顔で、口早に続ける。
「手術の奴は、中学のときにあいつがふざけてミチカの名前を呼んだせいだから完全に自業自得だよ。それでミチカに復讐したとしても、自分の立場がまた悪くなって誰からも同情されないよって伝えたし、本人もそれはわかってるって言ってた」
「天坂は?」
「坪手くんのところに入り浸ってるなら、ミチカを目の敵にしてる可能性があるじゃん? だから釘を刺そうと思ったけど、見当違いだったら余計な火種になりかねないから、ミチカに逆恨みしそうな別の奴の話をして反応を引き出そうとした」
「あいつの反応は?」
「特に何も。だから勘違いだって思って、それだけ」
「それでもう大丈夫だと思ったんですね?」
「そりゃそうじゃん? 思いつく可能性を二つとも除外できたんだから」
「そりゃそうです。でも、久美子先輩にも思いついてないものがあったら?」
そこに、菜々子先輩が割って入った。
「ていうか久美子。なんでわたしが『逆恨みされてる』なんて思ったの?」
「そりゃ、あの時期あんたが自分で言ってたじゃん」
「……そうだっけ?」
菜々子先輩はずっとほったらかしにしていたストールを拾いあげ、パンパンと砂を払う。
「久美子が舞ちゃんを疑っていたってのはわかったよ。あの子が坪手くんの家に行ってたことを知ってたのにわたしに隠してたことも」
「それはゴメンて」久美子先輩は再度、両手を合わせた。「でも裏でいろいろあったなんて知らなかったし。この合宿だって、天坂さんの書いた脚本を使うって知ってたらなんかセンサー働いたかもしれないけどさ」
「はい。知られないようにほんと気を遣いました。証拠はないし、気づかれてしらを切られても終わり。本人が、それが原因だと気づいてないことが条件です。だから気づかれないようにお膳立てしました」
おれは溜息をついた。無意識だったが、少し演技じみていた気がする。
「今回の合宿、めちゃくちゃ約束したことが多かったんです。菜々子先輩との約束で、菜々子先輩主演の映画を完成させる。天坂との約束で、あいつの残した脚本を使う。真柴との約束で、天坂の社会復帰の道を探る。
「あ、どうもありがとう」井口が照れくさそうに言った。「わたしだけ毛色が違くてすみませんね、なんか」
ともあれ、そのようなわけでおれに謎を解くモチベーションなんて一つもなかった。けれど約束を全部果たそうとした結果として、考えなくてはならないことが山のように生まれた。
「もし謎があるとしたら、それはどれかってことをずっと考えてました。誰かがトリックを仕掛けていた、とかならまだわかりやすかったかもしれないのに、そんなのも見当たらなくて」
菜々子先輩を見る。先輩が目で先を促したので、おれは言葉を継ぐ。
「坪手さんと菜々子先輩のこと。二人自身はそれをどう定義しているのか。そこがいちばんの謎でした」
「どういう定義? 特に決めてないけど」
「〝菜々子〟という名前の存在の意味。それって結局、本当のことを知りたい坪手さんと、本当のことを隠したい菜々子先輩、二人のゲームのキーアイテムだったんですよね」
「まあ……なるほどね。客観的に見たら、そういうことになるのか」
菜々子先輩はあごに手を当て、軽く頷いた。
「で、だから何?」
「ゲームは終わりです」
「なぜ?」
「まだ撮ってないシーン、ありますよね。井口、カメラ回せ」
「え? あ、うん」
井口がカメラを構えようとする。が、
「いや、宮本ちゃんと説明しろって」
三輪が声を荒らげた。
「全然わからん。久美子先輩が、なんか悪者っぽくされてねえか?」
「いや、そんなことはないんだ。説明はあとでする。そろそろ電車の時間も気にしなきゃだし」
「いや、納得いかないな」
「なあ、腹減ったんだけど」
「秋吉、おまえは黙ってろ」
「なんでだよ。合宿につき合えって誘ったのはおまえだろ。ぞんざいに扱うなよ」
「そうだ。秘密主義はどうかと思うぞ」
「だから秘密じゃなくてだな、ああもう」
皆が思い思いに口を開きだして収拾がつかない。全員まだ撮影が終わってないことを忘れている。おれが散々アドリブで喋り倒したせいではあるが。これでは不味い。いちばん肝心なシーンが撮れてない。せっかくここまできたのに。
そのとき——パン、と誰かが強く手を叩いた。予期せぬ空気の振動に、瞬間、全員が口をつぐむ。
反射で見れば、井口だ。
彼女はゆっくりとカメラを構え、はっきりと聞こえる声で言った。
「Salvation lies within」
誰も意味がわからなかったので、みんな黙るしかなかった。
さっきまであった風が止まり、静けさが辺りに舞う。しばしの沈黙の後、菜々子先輩がふてくされた子供のように口を尖らす。
「そっか。残ってるのって、わたしの捨てるシーンか。……で、何を捨てろって言う気?」
「名前です。
先輩はぷいっと横を向いた。
「やだ。命令されたくない」
「そう言うと思って、一つアイディアを用意してあります。おれじゃなくて天坂が考えたやつですけど」
天坂は「坪手さんは自分に執着する存在の〝菜々子〟ではなく〝ミチカ〟だけ残ってほしいと思ってる」と思っていた。ひょっとしたらスピリチュアルな観点からの考えだったかもしれないが、少なくとも、上手くいけば自分の付け入る隙もあるかもという打算があいつの脚本の土台の一部になったのは間違いない。その後、坪手さんにフラれたことでその打算は無意味になったが、彼女はそこからさらに脚本をブラッシュアップして〝菜々子〟の名前を捨てさせ得る一つの手段を用意した。
おれは砂浜に視線を飛ばし、適当に目についたサイズの近い小石を二つ拾いあげた。白地に淡い金色のまだら模様が入ったものと、水色のシーグラスのようなものだ。
立ち上がりながらそれらを二つの拳に一つずつ握りしめ、菜々子先輩に向けて突き出す。
「どっちだ?」
先輩の目が固まった。
「……何それ?」
「先輩が捨てるものを、先輩が選んでください」
「だから何それ」
「金色を〝菜々子〟、水色を〝ミチカ〟としましょう。どっちが当たりとかはありません」
天坂が脚本のディレクターズ・カット版に書き残していたこと。当たりを必ず当てる特技を持つ彼女だが、これならどうだ?
どっちも当たり。
「ん……んあぁー、もう」
菜々子先輩は頭をガシガシとかきむしったあと、大きく溜息をつき、おれを見て笑った。人が覚悟を決めたときの笑いだ。
「いいよ。一回勝負ね」
「もちろんです」
「わたしはどっちを選ぶかって? じゃあ、こっち——」
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