第四十二話




 早坂透と九条礼子たちがスガイダンジョンの地下八階を歩き出した頃――。

 河合かわい咲穂さきほは佐渡山浩二に連れられ、県庁から少し離れたビルに来ていた。


 昨夜の『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』のせいでスガイダンジョンの駐車場に停めていた自家用車は潰されてしまって、結局その後はS市の迷宮課から応援が来て、自宅まで送ってもらうことになった。

 咲穂自身はシャワーを浴びてからすやすや寝入ってしまったが、翌日午前十時に迎えに来た佐渡山はろくに寝ていないのが歴然だった。なにしろ『大蛇』の攻撃によって引き裂かれたスーツがそのままだ。


 翌日になったら迎えに来るなんて言わなかったのに。

 意外と言えば意外だったし、やっぱりな、という気持ちもあった。


 佐渡山課長の肩に担がれて死の付近を飛び回っていたあのとき。

 たぶんあのときに、これまでの河合咲穂は死んだのだ――ある意味において。


 リアルに死を覚悟したとき、さしたる後悔がなかった……自宅に戻ってシャワーを浴びている最中にそのことを思い出し、己のに愕然とした。生き延びて安全が確保されてから振り返っても、あのときの感覚がまったく否定できない。

 自分はそんなにもつまらない人生を歩んでいたのだ、と。

 いてもいなくても変わらない――それは他人にとっての自分という意味でなら、大抵はそういうことになるだろう。でも、自分にとっての自分が、いてもいなくても変わらないようなモノなのだと認識したのは、さすがにショックだった。


「つき合わせて悪いけど、それなりに意味があるかと思ってね」


 言って、どんなテナントも入っていないように見える鉄筋コンクリートのビル、その入口というか裏口のようなドアを開け、佐渡山は勝手知ったる調子で中に入ってしまう。置いて行かれても仕方ないので、咲穂はその背中を追う。


 場所としては郊外の――そもそも県庁の場所が郊外にあるので、そこから近いこの場所もまた然り――両隣が空き地になっている寂れた場所だ。近くのコンビニまで車で五分かかる。住宅街とも言いにくいし、商業区域とも評せない位置。


 佐渡山は当たり前みたいに地下への階段を降りて行く。

 降りきったところですぐにドアがあり、佐渡山はノックをするでもなくノブを捻ってドアを開けた。


 地下室は――がらんとした、コンクリート打ちっぱなしの、いかにも地下室という広めの空間だった。壁や天井にはなんだかよく判らないパイプがいくつも走っていて、後から取りつけたと思しきLED照明がひやりとした空間を照らしている。


 中にいたのは、数人。


 A級探索者クラン『アンセム』のリーダー、斉藤恵美。その隣にS級のエルフ、イルセリア。二人の傍にはマネージャーの浜松菜々美。

 その三人から少し距離をとった位置に、革ジャンにハンチング帽の男。

 男のすぐ近くに――手錠をかけられた笹森武県議がいた。壁を伝っているパイプを通して、後ろ手に拘束されている。椅子もなく立ちっぱなしで、はたしてどれくらい拘束されていたのかは判らないが、見るからに憔悴している。


「『狩人ハンダー』の相馬そうま賢吾けんごさん、か」


 佐渡山が言って、なんとなくというふうに肩を竦める。

 相馬と呼ばれた男は、佐渡山に視線を向けてから指先でハンチング帽のつばをなぞり、片方の口端だけ持ち上げる、ちょっとクセのある笑い方をした。

 隣に立っている佐渡山課長も随分と背が高いが、相馬と呼ばれた男もかなり背が高い。体つきもがっしりしているし、見た目からして強めの威圧感がある。


「元A級の佐渡山か。隣の女は誰だ?」


「部下ですよ。ちょいと社会見学って感じですかね」


「相変わらずだな、おまえは。舞阪まいさか、今の発言はだ?」


 ちらりと相馬の視線が動く。

 今の今まで気づかなかったが――地下室の入口、佐渡山と咲穂が突っ立っているドアのすぐ近くに、スーツの女が立っていた。長い黒髪をまっすぐに伸ばした、陰気な印象の女だ。咲穂と同じくらいの身長だが、腰の位置が咲穂よりもずっと高い。心なしか顔も小さく見える。


 でも、美人というよりは、やっぱり陰気な印象の方が強かった。美人ではあるのだが、纏っている雰囲気が暗すぎる。

 かなり至近距離にいるのにまったく気づかなかったのは――その雰囲気のせいか。壁に背を預けて立っているのが、まるで壁に溶け込んでいるよう。


「今のはクロね。社会見学ではないわ」


 古い木管楽器みたいな声で、舞阪と呼ばれた陰気女が言う。


「なんだ、あんたが出てきたのか。いや……まあ、そりゃあそうか。河合ちゃん、この女は舞阪理沙りさといって、他人の嘘を見破るって異能力スキルを持っている。迷宮庁の職員で、A級探索者だ。人呼んで『天秤ライブラ』の舞阪」


「あ――どうも。河合咲穂です」


 ぺこりと一礼したが、無視された。全く腹が立たなかったのは、咲穂がこの地下室においては最も場違いだという自覚があるからだ。

 ……どうして佐渡山は自分をここに連れて来たのだろう?

 社会見学というのは、舞阪の能力によれば嘘らしいが。


「そんなことはどうでもいい。本題に入るぞ」


 相馬と呼ばれた男が言う。佐渡山と同い年くらいに見えるが、三十五歳近辺になると五歳くらい前後しても咲穂にはいまいち判らない。


「笹森武、だったわね。つまらない地方都市のくだらない権力者」


 あからさまな侮蔑の言葉を口にしたのは、『アンセム』の協力者であるS級探索者エルフ、イルセリア・リュミエステルだ。

 咲穂くらいの『アンセム』ファンともなれば、彼女が正式メンバーではなく協力者であることを知っているし、怜悧な印象と尊大な態度とは裏腹にアンセムのメンバーに好意的で、今も隣に立っている斉藤恵美に気を払い続けているのが判る。早坂透とは相性が悪いというのも……それはまあ、全世界が知るところだが。


 さておき、名を呼ばれた笹森武は、壁を走っているパイプを使って手錠で拘束された状態で、ぎろりとエルフを睨んだ。

 が、予想していたような暴言は吐き出されなかった。表情には恨みで人が死ぬなら大量殺人も辞さぬとばかりの憎悪が浮かんでいるのに、なにか言うことはしない。


「さすがに学習したようだな。いいぞ、許可するまで口を開くな」


 ハンチング帽のつばを指先でなぞりながら相馬が言う。ひどくサディスティックな物言いで、年下のそういう態度にこそ笹森みたいな権力者は腹を立てそうなものなのに、大人しく黙っているのは……なにかあったのだろう。

 、とか。

 それが試験勉強でないことくらいは咲穂にも理解できる。


 なんで自分がここに連れて来られたのかは理解できないが。


「笹森議員の弁では、昨夜、自分の事務所で酒を呑んでいたところ、内閣情報調査室を名乗る男が笹森の事務所を訪ねて来て『迷宮』を消し去るアイテムを渡された、ということです」


 場を進行させたのはアンセムのマネージャー、浜松菜々美だ。アンセムには他にも何人かマネージャーがいるが、元B級探索者である彼女は、今回のように現場へ同行する頻度が高い。実力的には既にA級の斉藤恵美たちレギュラーメンバーには劣るようになっているが、それでも経験という面ではいろいろ頼りになる、らしい。

 つい先日の県庁で行われた会議でも、市義や県議や市長を相手にして、全く怯む様子もなかった。


「そういう話だったな。肯定なら肯定と言え。否定なら違うと言え」


「……肯定、だ!」


 犬の調教師みたいな言い方をする相馬に、笹森はそれこそ呪い殺しそうな眼差しを向けながら、必要最小限の答えを返した。


「シロよ。少なくともその男の認識においては嘘を吐いていない」


 陰気な女、舞阪理沙が言う。これには誰もだからどうという反応をせず、浜松菜々美が首肯をひとつ見せてから、続けた。


「その自称内閣情報調査室の男は、あれこれぐちゃぐちゃにしてしまえば先日の醜態を有耶無耶にできる。ぐちゃぐちゃになった後には陣頭指揮を執る権力者が必要になる。そうすれば市義も県議も市長も必要だと大衆が理解する――というようなことを言っていたそうですね」


「笹森」


「……肯定だ!」


「シロ。嘘を吐いていない」


「そして笹森県議は自称内閣情報調査室の男から渡された『石』を使ってカミオカダンジョンを消失させた。その男は、カミオカダンジョンを消せばスガイダンジョンとノウミダンジョンが『迷宮暴走』を起こすと判っていた」


「肯定する!」


「シロ」


「そしてカミオカダンジョンから弾き出されたアンセム……というよりは、聖剣霊のティアに『迷宮消失』の犯人だと看破され、捕まった……まあ、ここは嘘かどうかはどうでもいいことです。事実ですので」


 菜々美が感慨を見せずに言い終えた次の瞬間、何故か相馬が拘束されている笹森の腹を蹴りつけた。、という汚い嗚咽が洩れたが、そのことで表情を変えたのは斉藤恵美だけだった。

 咲穂自身は――正直言えばそのこと自体になにかを感じる、ということはなかった。頭の中にいくつもの疑問符が浮かんでしまって、無数の問いに意識が持っていかれて、笹森が蹴られた程度では心が動かなかったのだ。


「残念ながら、その男は少なくとも自分の中の事実を口にしている。その男の認識の中では、嘘を吐いていない」


「しかし……内調の男ですか。先輩はどう思います?」


「そんな莫迦なと思いたいが、俺みたいな地方公務員じゃあ真偽を判断するだけの材料がないってのが本音だね。相馬さんはどう思う?」


「内閣情報調査室は内閣官房直属の情報組織だろう。内閣が替わる度に風向きがころころ変わるような場所の連中が、そういう危険な手を打つとは思えんが」


「むしろ迷宮庁の方がやりそう」


 舞阪がぼやくように言う。そこに一定の真実味を感じて咲穂はぎょっとしてしまったが、同じく迷宮庁所属であるはずの浜松菜々美が首を横に振った。


「うちの管轄で目論むなら、もうちょっとまともな方向でやりますよ。そもそも迷宮を消すようなアイテムですか? そんなものがあるなら、カミオカダンジョンで消費なんて絶対にしないはずです」


 そんな――と語尾を濁す。

 まあ、確かにダンジョンを消し去るようなアイテムがあるのなら、もっと厄介だったり邪魔だったりするダンジョンを消した方がいいはずだ。ダンジョンを潰すと別のダンジョンが現れる可能性があると言われているが、それを考慮してもなお、消してしまいたいような迷宮というものが存在するのだから。


「では、次の問題は、ふたつだ」


 また帽子のつばを指先でなぞりながら、相馬が言う。


「ひとつはカミオカダンジョン消失によって暴走し、暴走が鎮圧されたスガイダンジョン、ノウミダンジョンの調査。まず間違いなく変異しているはずだ。階層が深くなっているかも知れん。魔導通信中継器を持って行くべきだな。まあ、これに関しては俺の仕事ではないから、そちらで勝手にやってくれ」


「ノウミの方は『アンセム』で引き受けます。中継器は予備があったはずですが、調査名目であれば深追いはしないで、カミオカダンジョン調査のために呼んでいたS級クランを待ちます。その後は、ノウミダンジョンの変異次第ではバトンタッチ。県知事との折衝は……『先生』に任せてしまいましょう。迷宮庁からの応援が到着次第、そちらにはスガイダンジョンの探索に当たってもらうということで」


 いいわよね、と浜松菜々美がイルセリアと斉藤恵美に振る。どちらも首を縦に振って同意を示し、相馬へ視線を動かした。


「もうひとつが本題で、俺の仕事だ。聖剣と妖刀の持ち主、トールとか言ったか。『迷宮暴走』によって発生した魔物を斬り伏せた掃除屋について」


 トール……早坂透。

 スガイダンジョンで発生した『大蛇オロチ』をティアが倒し、その足でノウミダンジョンに文字通り駆けつけて、早坂透が妖刀でヒドラを倒した。

 言葉で説明すればあっさりしたものだが、状況はそんな簡単ではなかった。


「トールについては、私がこの目で確認したわよ。あの男は、変に刺激さえしなければ、おかしな真似はしないわ。少なくとも悪党ではないわね」


「シロ。だけどクロ。本音がありそう」


 端的に突っ込む舞阪に、イルセリアは小さく舌打ちをした。それから少し迷うようにして、声のトーンを少し落として、言う。


「……あいつは、いいやつよ。私の態度で怒らせたけど、根に持ってなかった……いえ、根には持ってるわね。ただ、それで私を『悪』だとか断じなかったし、憎みもしていなかったわ。あの態度はムカついた、それはそれ、っていう感じだった」


「シロ」


「だとしても、俺と舞阪がこの目で確認する必要はある。ついこの間まで掃除屋をやっていたようなガキに持たせておくには、あまりにも過ぎた玩具だ」


「好きで拾った玩具でもないでしょうがね。相馬さん、俺からも言うが、早坂くんはまともな子だよ。ちょいとばかり頑固ではありそうだが」


「まともであるか否かと、危険であるか否かは、実のところ直結しない。関係はするがな。おまえたちの証言は参考にするが、いずれにせよ、重ねて確認する。これは決定だ。必要とあらばやつの聖剣と妖刀は没収する」


「……魂と接続しているとか言ってたわよ?」


 目を細めて殺気を飛ばすS級のエルフにも、相馬は全く動じなかった。


「必要とあらば、だ。やつが問題ない人物であると判明すれば、あの戦力は探索者として貴重であるのは間違いない」


「シロ。だけど、ちょっといい?」


 今の『シロ』はイルセリアを落ち着かせるためのものか。それはともかく、というふうに舞阪理沙は面倒そうに手を挙げた。その手に握られているのは携帯端末で、近い位置にいた咲穂には画面がちょっとだけ見えた。


 配信だ。

 咲穂にとっては見慣れた、迷宮探索配信。


「その早坂透と、九条のお嬢様がスガイダンジョンに調査に入ってる。一分前に私のところに連絡が来た。九条のコネを使って迷宮庁から許可を取ったみたい」


 九条――というのは、A級探索者の九条礼子のことか。

 なんだって『迷宮暴走』を鎮圧した翌日に、支所も壊滅しているようなスガイダンジョンで九条礼子と一緒に探索配信なんかしているのだ。


 頭が痛くなったような気がしたが、すぐ隣に立っている佐渡山課長の方がよっぽど頭が痛そうだったので、ちょっと同情してしまった。


「あいつ……ついさっきまで家にいたのに……なにをやってるのよ……」


 ぼそりと呟くイルセリアの声音は、普通に怖かった。

 一体なんだって自分はここにいるのだ、と改めて咲穂は思ってしまう。


 答えがそこらへんに転がっていたりはしなかったが。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る