第三十八話




 S市のホテルの一室、ベッドの中で微睡みを噛み締めていた神楽坂千鶴は、ドアが叩かれる音で目を覚ました。

 午前四時頃まで早坂透の映像を繰り返し見ていたせいで、たぶんかなり寝過ごしてしまった。千鶴は枕元の携帯端末を手に取り、時刻を確認する。


 午前八時四十五分。


 いつもならとっくに起きている時間だ。外出先ではやらないが、『アンセム』の拠点であれば朝の鍛錬を終えてシャワーを浴び終えた頃だろう。

 そんなことを考えながら、ぱっと目を覚ましてベッドから降り、部屋のドアを開ける。ドアを叩いていたのは御堂アイリだった。


「千鶴ちゃん、大変大変! トールさんが配信に出てる!」


「……なんだと?」


 寝起きはいい方だったが、アイリの言葉の意味が一瞬では理解できず、思わず問い返す。見ればアイリの手には携帯端末が握られており、その『配信』を視聴している最中なのだろう。

 ひとまずアイリを部屋に通してやれば、治癒魔法使いの聖女は慣れた手つきでホテルのモニターと携帯端末を接続し、配信画面を表示させた。


〈改めまして、皆様ごきげんようですわ! こーんな朝の早くからの配信に来て下さった皆様に感謝を! 九条礼子でございますわ! おーっほっほっほ!〉


 やたらと大きな声がスピーカーから響く。

 千鶴も知っているA級探索者にしてダンジョン配信者、九条財閥の令嬢――九条礼子が画面に向かって微笑んでいる。

 そのこと自体はどうでもいい。

 画面の中央にテーブルがあり、その左側に九条礼子が映っていて、右側に早坂透と聖剣使いのティアが映っているのが問題だった。


「トール様!? どうして九条の娘が、トール様と……!?」


「待って千鶴ちゃん。たぶん、そのことを今から話すんだと思う。まだ配信開始してすぐだから。配信の予告が出た時点で千鶴ちゃんを起こしに来たの」


「そ、それは……ありがたい。きっと私では九条がこのようなことをしているなど気づけなかっただろうからな……」


 ライブ配信については『アンセム』の活動で出演しているが、未だに千鶴は勝手がよく判っていない。SNSの運用も、アカウントは取らされたものの、やはりいまいち理解が及んでいなかった。


〈さて、視聴者の皆様も気になっているでしょうから、さくさく話していきますわよ。現在、私の前に座っているお二方は、絶賛大バズ中のトールニキ様と、聖剣使いのティア様でございますわ! よろしくお願いしますわぁ!〉


〈あー……どうも〉


〈どうもどうも。ティアだよ。あっ、コメントってトールの端末の画面から見ていいんだよね? ね、トール。ボクのこと『かわいい』だって! えへへ!〉


 つい十時間ほど前に目の前にいた人物が、今は全世界に向けてライブ配信をしている。そのことが千鶴には奇妙に感じられるが、それは『アンセム』のメンバーが配信に映っているときだってそう思うのだ。


“ごきげんようお嬢様”

“マジでトールニキじゃん”

“ティアちゃんかわいい”

“昨日の今日でどうやってお嬢がトールニキに接触できたんだ?”


 朝早い時間の配信だというのに、視聴者数は一万を既に超えている。それも『アンセム』の配信ではなく、九条礼子の配信だというのに。この調子だと、すぐに三万人から五万人くらいの視聴者数になるのではないか。

 やはりそれだけ、早坂透に対する注目度が高いのだ。


〈視聴者の皆様、そんなに言われても困りますわよ。順を追って話しますけれど、まず、皆様も存じていらっしゃるでしょうけれど――昨日の、A級探索者クラン『アンセム』の配信に、トールニキ様とティア様が出演されていました。私もその映像を視聴していましたわ〉


“S市の『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』な”

“あのクソデカヒドラの討伐、ヤバかったよな”

“S級のイルセリアもいたから、注目度半端なかった”

“俺はお嬢が推しだぜ。御堂アイリも推しだが”


〈そして! これは是非にともトールニキ様に会わねばと思いまして、こうしてコラボ配信を実現させましたの! ですから今回はトールニキ様とあれこれお話をしようという配信になりますわ! 視聴者の皆様も、気になることがございましたら、常識の範囲内で質問をお書き込みくださいませ!〉


 楽しげに笑いながら大きな声で話す九条礼子。

 現代の日本ではまず見ることのない金髪ドリルの髪型といい、薄青色のドレスといい、非常に浮世離れしているのだが、何故か奇妙な親しみやすさがある。


〈あー……そういや、九条さん? どっからどうやって来たんすか? ちらっと聞いた感じ、昨日の配信を見て俺とお喋りしようと思い立ったみたいなんすけど〉


〈S市の『迷宮暴走』であることは判っておりましたので、ヘリで来ましたわ! そこからトールニキ様の元へどうやって辿り着いたかは、企業秘密ですわ!〉


〈あっはい〉


 やや遠い目をするトールと、楽しげに笑うティアが対照的だった。


“ていうか呼び名が『トールニキ様』なの草”

“執事が訂正しなかったとみた”

“お嬢は一回インプットしたら訂正に時間かかるタイプだからな”

“ゴールドベアのこと、オールドバーって言い続けてたからな”

“草”


〈まず、今回このような配信を行うことにした理由でございますが、現在トールニキ様は日本中……いえ、世界中からの注目を浴びていると存じます。おそらくはトールニキ様を利用したいと考える者も現れるでしょう。ですので、大きな力が動く前に、先んじて九条財閥の令嬢である私、九条礼子がトールニキ様の個人としての意思をお伺いしたいと思いましたの〉


〈大きな力、ねぇ〉


〈あまりピンと来ていらっしゃらない?〉


〈あー……まあ。つい先日までD級ダンジョンで掃除屋やってたD級探索者未満だったんで、そんな注目されてるってのは、ピンと来ないっすね〉


〈トールニキ様は『アンセム』のことは、あまり存じていらっしゃらなかった?〉


〈まあ、お恥ずかしながら〉


〈私が言うことでもありませんけれど、彼女たちは国家の支援を受けて探索者として育成された、いわば探索者のエリートで、その活動が配信を通して国民に認知されておりますから、認知度で言うなら日本のトップですわ〉


〈テレビとかでも見かけてたから、なんとなくは知ってたっすけど〉


〈その『アンセム』を、トールニキ様は二度もお助けになられましたわ!〉


 ぱんっ、とテーブルを叩いて、九条礼子はずいっとトールに顔を近づける。なんて無礼な女だ、と千鶴は眉を寄せたが、隣で配信を見ているアイリは特になんの反応も示さなかった。


〈結果的には、そうなる……んすか、ね?〉


 不満や不服というよりは、かなりどうでもよさそうな言い方をトールはした。ティアが少し呆れたような顔をするのも仕方がないだろう。

 己の功績に、無頓着すぎる。


〈ええ、ええ、それはもう! 前回の『アンセム』の配信で、探索者免許……仮免許が発行されたと斉藤恵美様が仰っていましたけれど、すぐに本免許が発行されることでしょう。そこで、トールニキ様にお聞きしますわ。今後は探索者として活動していくことになる――のでしょうか!?〉


〈あー……まあ、そうなるんじゃねーすかね。スガイダンジョンの掃除屋よりは、迷宮に潜って魔物倒して魔核取って来た方が社会貢献になるだろうし、ぶっちゃけ掃除屋やってるより金になるし〉


 答えるトールの口調はごくごく静かなものだ。答えそのものはやや皮肉っぽいのだが、それが彼のパーソナリティなのだろう。

 早坂透がどのような人生を送ってきたのかなど、千鶴は知らない。千鶴がどういう人生を送ってきたのかをトールには知りようがないのと同様に。


“ぶっちゃけ草”

“でも実際そうだろ”

“S級上位をやれるんだったら掃除屋なんかやってる場合じゃないもんな”

“それに、あのS市のために黙々と働き続けるってのもな”

“お嬢の配信でそういうのやめようぜ”

“笹森武、どうなることやら”


〈視聴者の皆様には言っておきますけれど、S市の政治の行く末については私の関知するところではありませんわよ。その話題に関しては、トールニキ様もあまり関心はなさそうに感じますけれど、いかがです?〉


〈まあ、そこについては、そうっすね。税金は払ってる側であって、税金で飯食ってる側じゃねーんで〉


〈ティア様は、いかがです? トールニキ様と同様に、探索者として迷宮に入るのでしょうか? それとも、あまり気は進まない?〉


〈ボクはトールが迷宮に入るなら同行するよ。トールが行かないなら行かない〉


〈なるほど。ちなみに私の執事の丈一郎は、当初は迷宮に入るのを嫌がってましたわね。あんなに楽しいのに……不思議ですわ〉


“草”

“出た、お嬢の執事の苦労話”

“中学のときからお嬢の迷宮探索につき合わされてた苦労人”


〈いやぁ、今となっては忌々しい思い出っすよぉ〉


 画面外から声がした。

 軽くとぼけたその口調は、九条礼子の執事のものだ。


〈変な執事で申し訳ありません。話の続きなのですけれど、おそらくトールニキ様は今後、様々な探索者クランや企業、国からのちょっかいがある、と考えられますわ。八時間前に思い立ってヘリを飛ばしたので判りませんけれど、ひょっとすると九条の当主であるお父様も、トールニキ様と懇意にしたがるかも知れません〉


 確かに――それは、その通りだ。

 そういう政治的な考え方に疎い千鶴でさえ、そう思う。イルセリアですら即殺不可能なS級上位の魔物を、早坂透は刀の一振りで斬り伏せたのだ。

 常軌を逸している――どころの騒ぎじゃない。

 探索者というものは、そもそも常軌を逸しているのだ。そこからさらに数段以上も飛び抜けて逸脱している。極端な話、早坂透がその気になれば『アンセム』を皆殺しにすることだってできるだろう。


 そのような人物を、世界が放置しておくか?

 そんなわけがない。


〈へぇ……そうなんすか〉


 答えるトールの口調は、あまりにもいいかげんだった。

 まるで自らの価値など認めていないかのように。


“他人事で草”

“いや、確かにちょっと前まで一般人だと想像つかないだろうけど”


〈ですが! 私は思いましてよ!〉


 ダンッ、とテーブルを叩き、九条礼子が声のトーンを上げた。トールとティアが普通に驚いていたのは、千鶴にとっては少し意外だった。大抵の物事には動じないのだと思っていたから。

 あのヒドラを斬り伏せた後でさえ、早坂透はなんだか他人事みたいな顔をして、ティアに文句を言っていたくらいなのだ。


 もちろんそんな千鶴の驚きには構わず、九条礼子は続けて言った。


〈『アンセム』の配信で拝見させていただきましたけれど……非常に申し訳ありませんが、トールニキ様は、ずっとつまらなそうでした! 迷宮は! 迷宮探索は! 面白いことなのですわ! もちろん探索とその成果が人類に貢献しているのは事実ですが、そのためだけに私たちは迷宮に潜っているわけではありませんの!〉


 言いながらテンションが上がったらしく、九条礼子はその場で立ち上がり、カメラが映している範囲からフレームアウトしてしまう。

 画面に映っているのは九条礼子の胴から下だけになってしまい、トールは立ち上がった礼子をぼんやりと見上げていた。


〈あんなつまらない顔をするのであれば、トールニキ様、貴方は誰の頼みだって聞くべきではありませんわ! 自分のために! 己のために! 貴方はダンジョンに潜るべきなのです! 何処の誰になにを依頼されようが、どんな金を積まれようが、どのような建前を見せられようが! そんなものに、トールニキ様は動かされるべきではありません! 今日の私は、なによりもそのことを伝えに来たのですわ!〉


 カメラのフレームから外れているせいで、いつも以上に大きな声を出す九条礼子がどんな顔をしているかは、判らない。ただ……トールは大声で捲し立てる九条礼子を止めなかったし、不快そうにもしていなかった。千鶴たちと一緒にいたときみたいな、つまらなそうな顔を、していなかった。


〈――だって私たちは、魔物を倒すだけで『迷宮暴走』の抑止に一助し、迷宮から様々なものを持ち帰ることで既に社会貢献をしているのです! もちろん探索者としての位が上がれば『迷宮暴走』などの際に招集に応じる義務も課せられますけれど、だからといって社会のために人生を捧げるなど、ちゃんちゃらおかしいですわ! そんなの、この私が、九条礼子が認めませんことよ!〉


 なんて……なんて清々しい宣誓なのか。

 世界と自分が、まるで等価であるかのような。

 社会に対してなんの引け目もないかのような。

 いや――等価だし、のだろう。


 すとん、と九条礼子が腰を下ろし、トールと同じ高さに顔を合わせる。

 そして呆然としたままのトールに右手を差し出し、綺麗に微笑んで、言った。


〈トールニキ様。私と一緒に、迷宮を探索してみませんか? 迷宮は、楽しいのですわよ。この私が、迷宮探索の先輩として、トールニキ様に教えてさしあげます〉


 迷宮が楽しい?

 千鶴はそんなふうに思ったことは、ない。

 迷宮探索は義務だ。高い魔力親和性を示した神楽坂千鶴は、探索者を養成する国家プロジェクトに参加することになった。『アンセム』のメンバーに出会えたのは幸運だと思っている。彼女たちと一緒にいるのは楽しいことだし、嬉しいことだ。斉藤恵美がリーダーであることは、千鶴の誇りだ。


 でも――楽しくなんか、なかった。


 神楽坂の剣術が、魔力によってどんどんデタラメになっていくのが、デタラメにしていった方が強くなるのが、千鶴には……嫌だった。


「千鶴ちゃん……大丈夫?」


 そっと千鶴の手を握ってきたアイリが、そんなことを言う。

 だとすれば、今の自分は大丈夫じゃない様子なのだろう。


 画面の中のトールが、しばらくの沈黙を置いた後に、苦笑を洩らして九条礼子の右手に己の右手を差し出した。

 交わされる握手を眺めながら、千鶴は胸の内側で煮えたぎる黒い泥のような感情を自覚しないわけにはいかなかった。


 ぐらぐら煮えて、ぼこぼこ沸き立つ粘性の高い液体が――身体中をねっとりと這い回る感覚。鼻の奥がつんとして、喉の奥に丸い石でも埋め込まれたような不快感。身の内側は煮えているのに、手足の指先が冷えていく。


 これは――嫉妬だ。


 九条財閥の令嬢である九条礼子に対する、醜く身勝手な嫉妬。

 私は楽しくなんかない。

 私だって、早坂透とあんなふうに握手をしたい。


 私の神様。私の剣神。私の――。


 そんなふうに思ってしまう自分の醜さに、反吐が出る。

 どうして自分はなのだろうと、自分自身に辟易する。


〈いいっすよ。あんたにだったら教えてもらいたい。こちらこそ、よろしく〉


 画面の中の早坂透が、ほんのわずかだけ、笑った。

 考えてみれば、彼が笑うのを見るのは、初めてだった。




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