第三十六話




 トールが十七歳のときまで、早坂一家は夏休みになると父方の実家――トールにとっては祖父母の家に行って、墓参りをするのが定例になっていた。


 祖父母は大らかで善良で、どちらかといえばトールの父よりもトールの母と仲良くしていた記憶がある。トールの父は口数が少ないタイプで、祖母は「あの子はよう判らんのよ」と笑っていた。母にとっては義理の親の家なのだが、居心地の悪さは感じていないように見えた。母が既に両親を失っていたせいもあるかも知れない。


 田舎と都市部の中間あたりに祖父母の家はあり、田畑とショッピングモールが同じ町に共存しているような場所だった。


 畳の匂いがする客間に布団を敷いてもらって、そこで寝ていると祖父母が飼っている猫が二匹、わざわざトールの寝ている布団に入って来るのが定例になっていた。

 昔から動物のことは好きでも嫌いでもないが、その猫のことは結構好きだった記憶がある。馴れ馴れしくないくせに、気がついたら傍にいて、寝てるときだけ布団の中に入って来る。トールが目を覚ましたら「なんだもう起きたのか」とばかりに離れていって、日の当たる窓際で二匹並んでのんびりしていた。


 ――あれ、暑かったんだよな。

 ――ちょうど、今みたいに。


 そんなことを思った瞬間、ひどい違和感を覚えて目を覚ました。


 見慣れた天井と、背中に感じるシングルベッドの感触。ほとんどトールの首元にかじりつくような体勢で寝ている猫獣人の子供、ミカ。それから、何故かトールの左腕を抱き枕みたいにしているエルフの女、イルセリア。

 ミカの頭の猫耳がトールの顎のあたりをくすぐっていて、それで祖父母の家の猫のことを夢に見ていたようだ。


「……いや、なんでだよ」


 どちらもすやすや眠っているので気を遣って小声でツッコミを入れたが、すぐに気遣う必要がないのに気づいた。

 眠るときは一人でベッドに入ったはずなのだ。人の腕を抱き枕にしているエルフなどは、とっておきの寝袋があると自慢していたくらいだ。


 やれやれと溜息を吐き、まずは首元にへばりついているミカを右手で引っぺがし、上半身を起こしながらエルフによって抱き枕にされている左腕を引き抜いた。

 何故かどちらも不満げな顔をして「むぐぅ」みたいな息を洩らしたが、目は覚まさなかった。トールとしては起きてもらっても構わなかったのだが。


 どうでもいいか、と欠伸をしつつ、ミカに布団をかけてやって、ついでにエルフをベッドから蹴り落としてから――やはり目を覚まさなかったが――リビングに戻ると、町娘姿のティアがテレビを見ていた。


「あっ、おはようトール。二人はまだ寝てるの?」


「あー……おはよう。俺、一人で寝てたはずなんだけど、なんであいつら、俺に引っついて寝てたんだ?」


「ミカがトールのベッドで寝るって言い出して、イルセリアがじゃあ自分が見張ってやるとか言ったんだよ。害意はなさそうだったから、放っておくことにしたんだ」


 口を挟むのも面倒だったしね、とティアは肩を竦める。

 意外――というべきかどうかは判らないが、妙に淡泊だな、とトールは思った。そういえば昨日の朝、高級そうなホテルでトールがイルセリアの態度に腹を立てたとき、この聖剣使いの少女は「エルフってこうなんだよ」と言っていたか。


「おまえ、エルフとなんか関わりっつーか、確執っつーか、あんの?」


 冷蔵庫からコーヒー飲料を取り出し、コップに注ぎながら訊いてみる。

 ティアは彼女にしては珍しく、明確な苦笑を見せた。


「そりゃあ……まあ、あるよ。すごく揉めたこともあるし、すごく認められたこともある。ボクが知ってる範囲で言うと、イルセリアはかなりマシな方かな。そういえば彼女は聖樹国アルフヘイムから来たって言ってたっけ。もしかしたらボクのことを知ってる人もいるかもね。エルフって長寿だから」


 この世界が異世界と融合した際、オーストラリア大陸の東北東に出現したアトランティス大陸――位置的にはムー大陸なのだが、仮にアトランティスと呼ばれているうちに定着したらしい――そこにいたのが、エルフという人種だ。

 他の、たとえば獣人やドワーフ種なんかはかなりに地球上に現れたらしいのだが、エルフだけは都市と文明をまるごと抱えて地球に現れたという。


「あれでマシな方とか、どんな終わってる民族なんだよ……」


「エルフ同士だと、それなりに当たり障りなくやれるみたいだけどね。でも、よく家に上げるの許可したよね。車から一緒に降りて黙ってついて来るから、もしかしたら、なにかのタイミングで斬り殺すんじゃないかと思ったよ」


「やんねーよ。ムカついてるけど憎んでるわけじゃねーし、家の前にミカいたし。なんか思惑あってのことかとも思ったし、あと面倒くさかった。ミカには優しいみたいだったしな。そこ間違えてたら『禍月』抜いてでも叩き出してたけど」


 変な話、最初にミカの母親からミカを押しつけられたときだってトールは受け入れてしまったのだ。今では悪くないと思っているが、初めは普通に困っていた。ミカの方はかなり早い段階でトールに懐いたが、子供に懐かれるのは慣れていなかった。

 今のところイルセリアを「悪くない」と思えるビジョンは見えないが、家に上げるくらいなら殺すみたいな気持ちにはなっていないし、自分とミカの飯をつくるならついでにつくってやっても構わない。そんなものだ。


「その……ごめんね、トール」


 心苦しい、と明確に判る態度でティアは言った。しかしトールにとっては謝罪の意味がよく判らず、首を傾げるしかない。


「なにが? 俺の魂を半分使ってることか?」


「それ、不可抗力だし。ボクの意思でトールの魂を半分も使ってるわけじゃないよ。それはそれで申し訳ないんだけど、そうじゃなくて、あのホテルのとき……トールを怒らせたでしょ」


「あー……」


「あのとき、ボク、トールのことを悪く言うつもりじゃなかったんだよ。エルフと口論するなんて、ギルドで初心者に絡んでくる定番のチンピラ冒険者に道徳を説くくらい無意味だとか、犬や猫に算術を教えるくらい莫迦げてるとか、口論するくらいなら一発ぶっ飛ばした方がいいとか、ちゃんとトールに言えばよかった。どうせ実力を示せば黙るんだから、ってさ」


 アンセムと一緒に迷宮探索をしているときは普段通りの態度だったので、トールとしては例の件について蒸し返されるのは、ちょっと意外だった。


「あー……まあ、俺もムカついてたから、そういう説明をのんびり聞いてる気分じゃなかったしな。別に、いい」


 というか、ティアによるエルフ評がかなり酷かった。

 言われてみれば犬や猫を相手に微分積分を必死で教えてるやつがいれば、まず止めるだろう。あまりにもアホくさい。まあ、微分積分については人に教えられるほど覚えていないが。二次関数すらもはや怪しい。


 このあたりは価値観の違い、世界観の違いだろう。

 まさか優れた知性の持ち主というエルフのことを『動物と同じなんだから口論しても仕方ない』なんて思っているとは、想像の外すぎる。

 まあ、実際に接してみた今となっては、しっくりきてしまう評価だが。


「でも、ごめん。ボクって結構そういうところがあるみたいでさ。生きてるときも、そういうので結構、人を怒らせてたと思う」


「それも別にいい。俺だって譲れねぇと思ったら誰に怒られようが譲らない。おまえのそういうところは、うぜーと思うときもあるけど、あー……別に、大嫌いなわけじゃない。なにもかも譲り渡してへらへらしてるよりは、いい」


「うん。ボクはトールのそういうところが好きだよ」


「あっそ。エルフの知り合いがこっちにいたら、会いたいって思うか?」


「んー……別に? ボクって向こうの世界じゃとっくに死んでるわけだし。今はライトブリンガーに取り憑いてるオバケなわけだし? 聖剣の所有者であるキミと共に在るのが、今のボクの存在価値だよ」


「『存在価値』ねぇ」


 へっ、とトールは鼻で笑い、コーヒー飲料を一気に飲み干した。脳に糖分が補充される感覚がするのだが、きっと気のせいなのだろう。


「むぅん? なんだか言いたいことがありそうな感じだね?」


「存在価値だとか存在意義だとか、よく聞く話だけど、それって『誰にとっての』なんだよ? 誰かにとっての価値の有無で、自分の偉さだとか凄さが決められるってことだろ。そういうのは、あんまり好きじゃねーよ」


 無価値な人間――トールは、社会的にはそういう位置づけにいたという自覚があった。それは主観的にも、ある程度は同意できる話だ。

 自分は大した人間じゃない。

 それほど有意義なことはできないだろうし、社会貢献にだって別に興味はない。世の中が善くなればいいとは思うが、世を善くしようとは思っていない。


 大抵の人間は、たぶんそうだろう。

 だからこそ――そういう無価値な人間を、無価値だからという理由で全員死滅させてしまえば、あっという間に社会は回らなくなるはずだ。

 これは極論だが、おまえは無価値だなんて価値観こそが極論なのだから、反対側に振って反論したっていいはずだ。


 無価値なやつを皆殺しにしたら社会が困るのであれば、そいつらは実は無価値じゃない、ということになる。それが理屈というものだ。

 あるのだ、価値は。

 ほんのわずかでも、たとえ代わりがいようとも、必ずある。そうでなければD級ダンジョンの上層で何万匹もの魔物を掃除し続けることなんて、できやしない。


「じゃあ、トールは聖剣を使わないボクにも価値があるって言うのかい?」


「あるに決まってんだろ。少なくとも、おまえは初めて会った猫獣人のガキに優しくできるからな。それが無価値だってんなら、この世全てのガキに優しくしなくていいってことになる。いいわけねーだろ、そんなもん」


「……っ、すごい……ね、トールは」


 目を丸くして、本当に驚いたような顔をするティアだった。トールとしては普通に当たり前のことを言ったつもりだったので、すごい点がどこにあったのかは判らなかったが、さほど深掘りしたい議題でもなかった。


 なんとなくテレビの画面を見てみれば、時刻は午前七時半。

 流れているニュース番組では、タイムリーなことにS市の『迷宮暴走』についての報道がされている真っ最中だった。


「おー……さすがに、全国ニュースになってんのか」


「といっても、さっきから見てるけど、なんかふわっとした報道だよ。たぶん、対応を決めかねてるんじゃないかな。だけど『アンセム』の子たちの配信もあったしさ、隠しきれる事態じゃないから、対応については明言してないんだよ」


 というティアの口調は冷めていて、トールとしては彼女の生前に思いを馳せないわけにはいかなかった。

 勇者として王族に見つかって、王族の命令で剣を振っていた――そんな話だったか。であれば『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』のように、大被害が出る事態に出会したこともあるだろう。実際に被害が出てしまったことだって、おそらくは、あるはずだ。


 スガイダンジョンの前で佐渡山と河合咲穂に声をかけたとき、ティアは「そんなのいいから」と言った。生きてるんだから後でいくらでも話ができる、と。

 もしかすると、急がなかったせいで間に合わなかった――そういう経験があったのかも知れない。ようするに、常識が違うのだ。


「トール、今度こそ偉い連中に首輪をつけられるかもね」


 平坦な言い方だった。

 トールは中身を空にしたグラスを流し台でさっと洗いながら、少しだけ考えて、それから、ぼんやりとテレビを眺めるティアに言う。


「おまえは首輪を外す気がなかったし、鎖を引き千切る気もなかっただけだろ」


 あらゆる力は最終的には暴力へ帰結する――そんな言説をなにかで読んだ覚えがある。確かに、とトールは思ったものだ。権力も財力も政治力も、軍だとか警察だとか自衛隊だとかの暴力に支えられている。それなしには成立しない。

 現在では、国家の武力は、国家が抱えている探索者の量と質にかなり依存しているのだが、これは人間一人の侵入を完全に防ぐ手段が事実上存在しないからだ。


 かつては冷戦と呼ばれる時代があって、世界は核の脅威に晒されていたという。

 核爆弾の威力を防ぎきれる探索者なんてそうはいないだろうが、そんなものを使わずとも、たとえば国会議事堂にA級探索者を数人送り込めば、同級以上の探索者が守っていない限り、そこにいる国会議員を惨殺することができるだろう。


 構造的には冷戦と同じ、核抑止の概念と似たようなものだ。

 やったらやり返される。

 反撃という口実があれば遠慮なんかしなくていい。

 だから、先手を打てない。

 そういうことだ。


 そもそも『迷宮』という脅威かつ資源の宝庫が世界中に発生した以上、抑止力になるほど育った探索者を戦争で使い潰すのはあまりにも惜しい、という事情もある。そんなことをさせている場合じゃないのだ。やっているところもさせているところも、残念ながら存在するようだが。


 さておき。

 ティアという存在を抑止できるだけの暴力が、彼女を擁していた王国とやらに存在していたのかは、かなり疑わしいとトールは思う。

 結局のところ、彼女の善性によってティアの首輪は外されていなかっただけだ。

 まあ、たぶん。


「トールは、首輪を受け入れない?」


 テレビから視線を外さずにティアは問う。

 トールはグラスをひっくり返して水切り台の上に置き、雑に肩を竦めておいた。もしかすると出来のいい首輪なら気に入るかも知れないし、質が悪ければ普通に嫌がるだろう。そんなものは、そのときになってみないと判らない。



◇◇◇



 それから。

 なんとなくインスタントのコーヒーを二人分つくってテーブルに置き、ニュース番組からニュースふうバラエティに変わったテレビをだらだら眺めることに。

 どっかの公園で変な鳩がおっさんの腕振りに会わせて踊っていたり、どっかの店のジャンボパフェが絶品だとか、アナウンサーの女がどうでもいいようなチャレンジをやらされていたり……そういうのを見ている限り、世界はひどく平和だった。


 いや、たぶん実際の平和度というか、平和指数というか、そういうのは昨日と同じなのだろう。もっと言うなら、二日前も三日前も、この世の何処かでは今まさに地獄が始まっていて、地獄の渦中で、誰かの肉親が無慈悲に死んでいるのだ。


 ひでぇもんだな、とトールは思った。

 思う以上のことはなにもなかったけれど。


 そうして、だらだらテレビを眺めているうちに寝室からミカが現れ、寝起きの不機嫌そうな顔でトールに近づいて来た。


「おはよ……トール、ごはん……」


 そんなわけで猫獣人の子供にハニートーストを提供し、寝ぼけ眼のまま甘ったるいパンをがじがじ食べるミカを眺めているうちに、これまた寝室から寝起きのエルフがやって来て、不機嫌そうな顔で手に持っている携帯端末を見せつけてきた。


「昨日の件で、呼び出しがあったわ。ものすごく面倒だけれど、メグミたちに押しつけるのも可哀想だから、応じてあげることにする」


「朝飯は食うか? 焼いた六枚切りのパンにはちみつ塗ったやつ」


「……食べる。着替えて来るから、用意しておいて」


 それから三分後には、ネグリジェ姿で寝起きのむっつり顔だったエルフは、例の高級そうな衣服に身を包んで戻って来た。ちょうどパンが焼けたタイミングだ。


「トール。お母さん、戻って来るから、帰るね」


「トール。たぶん後で連絡行くと思うけど、ちゃんと応じなさいよ」


 猫獣人の子供とS級探索者のエルフは、揃って口の端にパン屑とはちみつをつけた状態でトールの家を出て行ったが、もう好きにしてくれよとトールは思った。


「つーか、なんであの高潔エルフは人の寝床に潜り込んでたことにはノータッチだったんだよ。なんか言うだろ、普通」


「……まあ、トールもその件を追求するより朝ごはん勧めるんだから、あんまり言えたもんじゃないと思うけどね」


 ティアのありがたいツッコミを受けつつ、なんだかんだ散らかってしまった部屋を片づけ、さすがにそろそろネットニュースの方も確認するかと端末の電源を入れた瞬間、ピンポーン、とインターホンが来客を知らせた。


「忘れ物か? いや……あのエルフは呼び鈴鳴らさない気がするし、ミカは普通にそのまま入って来るだろうから……佐渡山さんあたりか……?」


 やれやれ、と溜息を吐いてから玄関へ向かい、扉を開ける。

 


「たのもー、ですわ! トールニキ様でございますか?」


 トールはそっと玄関の扉を閉めた。

 なかったことにならねぇかな、と思った。

 ならなかったけど。






----------

モです(挨拶)。

本話の投稿から、月水金の投稿間隔に戻ります。

よかったら今後も楽しんでね。

あと、近況ノート書いておいたので、そちらでざっくりコメント返信してます。

読んでいただいて、あざます!

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