第三十五話




 深夜というよりは早朝、午前三時四十四分。

 佐渡山浩二はになったノウミダンジョンの入口で、まだ暗い空を眺めながら煙草を咥え、着信を告げる携帯端末を眺めて嘆息した。


 やや逡巡し、ひとまず紫煙を肺に送り込んでから吐き出し、諦める気配のない着信に顔をしかめてから、仕方なく通話に出る。


「はいよ。まともな人間なら寝てる時間だぜ、菜々美ちゃん」


「もしもし。お疲れ様です。そちらの状況は?」


 嫌味と皮肉を混ぜたジョークに浜松菜々美はまるで反応せず、言いたいことだけを言ってきた。あるいは、言うべきことを、か。


「ノウミダンジョンに入ったままだった探索者の救出を終えたとこ。上層まで自力で戻って来てくれてたから、楽ができてなによりだったさ」


「迷宮支所の被害状況は?」


「ぐっちゃぐちゃに潰された上にヒドラの血でめちゃくちゃ。そして被害者は、なんとゼロだ。どうやら『アンセム』がカミオカダンジョンに再探索リトライする日だったから、全員定時退社してたらしい。これはノウミダンジョンに潜ってた探索者を救出したときに聞いた話だけどね」


「それはよかったですね」


 他人事の言い方だったが、事実他人事なので仕方がない。佐渡山はまた紫煙を肺に送り込み、溜息と一緒に吐き出した。


「いやはや、さすがは国家の支援を受けたA級探索者クランだよ。前回は助けられ、今回も助けられ、なんと大した結果は出してないってんだから。結果っていうなら、厄介事だけ起こしてくれた感じだぜ? いやぁ、大したもんだ。はっはっは」


「めちゃ嫌味言うじゃないですか。こっちはこっちで巻き込まれた感すごいんですけど。ていうか、なんですかあのは」


 苛立ち――よりも、むしろ恐れを孕んだ声音。

 それでちょっとだけ、佐渡山の溜飲は下がった。

 本当に巻き込まれて不満だと思っているわけではないのが、つき合いのおかげで理解できたから。彼女なりの強がり、といったところか。


「おいおいおい。俺、言ったはずだぜ。早坂くんは悪いやつじゃない。筋の通った子だってさ。もしかして、怒らせちゃった?」


「……朝の時点で、普通に帰られそうになりましたね」


 かつて同じクランで探索をしていて、自分でも判っているミスを申告するときと同じ言い方を菜々美はした。

 お互い大人になったと少し前には思ったが、だからこそ佐渡山は同じ口で言える。大人になったところで、ガキだった頃の自分とはそこまで変わらないのだ。単に大人になると周囲がガキ扱いしてくれなくなって、大人の顔をする必要が生まれるだけのこと。思ったよりもまともな仮面を被れている気はするが、いかんせん、自分の仮面は自分では見えないのである。被っている間は。


 なので佐渡山には、浜松菜々美が今どんな表情をしているのか――ひどく簡単に想像できた。どうしても脳裏に浮かんでしまうのは、かつての少女だったが。


 ……まあ、少女の頃なら可愛げがあったかも知れないが、いい大人になってまでやらないで欲しい、というのが本音ではある。


「菜々美ちゃん、早坂くんの地雷踏んだの?」


「……確かに、失礼な態度を取ってしまったのは、認めますけど……でも、竜殺しの女剣士に意識を割いちゃうのは、仕方ないじゃないですか」


「菜々美ちゃんが早坂くんにどんな態度を取ってたかは知らんけどさ、まあ結果的にはカミオカダンジョンに一緒に潜ってくれたわけだし、スガイダンジョンの『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』も鎮圧してくれて、その足でノウミダンジョンにとって返して、あのクソヒドラをぶった斬ってくれたわけだ。よかったじゃない」


「結果的には、そうですね」


「ちなみにだけど、うちの河合ちゃんって迷宮支所勤務の子、早坂くんに冤罪かけて、冤罪晴らされた後も態度悪かったみたいだけど、別に復讐とかされてないよ」


「んなっ――!?」


 予想通りのリアクションに、佐渡山は普通に笑ってしまった。

 確かに、今の早坂透の状況を知っているのなら、彼に冤罪をかけるだなんて自殺行為、冗談にしては趣味が悪すぎる。

 しかしつい数日前までの早坂透は、D級探索者未満の掃除屋だったのだ。無論、だからといって雑に扱っていいわけはないのだが、忖度される立場でなかったことは確かだ。そしてたぶん、そのように扱われることは早坂透の日常だった。


 誰に尊重されることもない日々。

 けれど腐らず、他人に迷惑をかけずに生きていた。

 それだけでも本来は賞賛されるべきではないか。


「だって……大して実力もないやつが運よく伝説級レジェンダリーのアイテムを手に入れて、棚ぼたで得た力で活躍して調子に乗るなんて、よくあるとは言いませんけど、ちょいちょいあったじゃないですか」


 かつて探索者だった頃、菜々美が言うような『幸運者ラッキーボーイ』はたまに現れた。大抵は図に乗って分不相応な迷宮探索に乗り出して死ぬか、あるいは本当の強者を見分けられずに自滅していた。


 しかし、だ。

 佐渡山は大仰な溜息を吐き、少しだけ考えてから、言う。


「あのね、だからB級止まりだったんだよ、菜々美ちゃんは。それともアイドルのマネージャーやってるうちに勘も錆びちゃったわけ? 俺たちが見てきたようなやつらとは決定的に違うでしょうが」


「……なにが、ですか?」


「早坂くん、かったるそうではあったけど、調子に乗ってはいなかっただろ。自分は強い、自分は力を得た、自分を従わせられるやつなんかいない――そういう図に乗った態度じゃなかったと思うけどね。賭けてもいいけど、早坂くん、聖剣と妖刀なしでもあの会議ではあの態度だったはずだぜ」


「……そう、かも知れませんね」


「菜々美ちゃんさ、俺に『遠慮しませんから』なんて言ってたけど、俺だっていつまでも後輩の浜松菜々美をフォローはしてやれないぜ。アイドル探索者のマネージャーってのは、モンスターペアレントって意味じゃないだろ」


「……あの子たちは、希望なんですよ」


もあるから、判らないでもないけど、その菜々美ちゃんの気持ちは、軽んじられる早坂くんになんの関係があるわけ? まっ、彼はああ見えてかなり優しいみたいだから、菜々美ちゃんやアンセムにわざと不利益な行動を取ろうってことはしないだろうけどね。でもそれはきみらに対する配慮じゃなくて、早坂くんの矜持だよ」


「矜持……ですか」


「言ったろ。筋の通った子だって。我が身の不幸を笠に着て『自分はこれくらい不幸だったからこれくらいのことをやっても許されるはずだ』なんて、早坂くん、言わなかったでしょ。もし言ってたんならお詫びして訂正するけど、そこんとこ、どう思うわけ? 不幸な過去を引き摺ったままの浜松菜々美ちゃんとしては」


「…………」


 返事はなかったが、これだけ言えばさすがに響いたはずだ、と佐渡山は嘆息しておく。もしそうでなければ、さすがに知ったことではない。

 調子に乗ったやつが自滅するところなんて、何度だって見てきた。それがかつての仲間であって欲しくはないが。


「俺としては、早坂くんは怖くないね。例の竜殺しの方が、どういう常識の中で物事を判断するか判らないから、よっぽど恐ろしい。ところで菜々美ちゃん、そういう愚痴を聞かせるために電話してきたわけ?」


「……一応、報告と、連絡と、相談がありまして……」


「あと愚痴ね」


「そういうネチネチしたところ、変わらないですね、先輩」


「菜々美ちゃんも、甘えん坊なところは変わってないね」


「うちのイルセリア、早坂透の家に泊まってます」


「はぁ?」


 今度は佐渡山が大きめのリアクションを取るはめになった。

 が、それで菜々美が喜ぶかといえば、そうでもなかった。なにしろ『アンセム』の鬼札ジョーカーが、菜々美ふうに表現するところの『厄ネタ』の家に転がり込んだという話なのだから、気が気ではないはずだ。


「まあそれはいいんです。どうせあのエルフを制御することはできません。『アンセム』にだって、好意と好奇心で協力してくれてるわけですし。なにしろS級探索者ですから。彼女が好き勝手するのは仕方ないと諦めてます。ええ、イルセリアのせいで早坂さんを怒らせたのも、あの場について行くと言って聞かなかった彼女を止めなかった私の責任ですよ。報酬の話をする前にキレないで欲しかったですし、そんなキレてんのになんでお泊まりOKなのか意味不明なんですけど」


「早口じゃん……」


「早坂透のおかげで、うちのメンバーめちゃくちゃですよ。千鶴はなんか使いものにならなくなってるし、恵美は落ち込んでるし、アイリは……まあ、普通ですけど」


「早坂くんのおかげで死なずに済んだ、ってところは考慮してる?」


「してますよ! だからって崇め奉るつもりがないってことです。ただ……その……何処かのタイミングで、きちんと謝りたいと思います。それはそれで重要案件ですけど、いいかげん本題入りますよ、佐渡山先輩」


 遅いよ、と思ったが混ぜっ返すと進まないので佐渡山は我慢した。かつて同じクランでダンジョンを探索していたときも、大抵はそうしていた気がする。

 かつてのようにはフォローしてやれないが、そこはもう仕方がない。お互い大人になったのだ。自らの行いで溜めたツケは、自ら支払うときが来るだけのこと。


「竜殺しの女剣士ティアによれば、笹森武県議がカミオカダンジョンを消滅させたそうです。実際、笹森議員は消滅したカミオカダンジョンの入口付近でティアに発見され、彼女によって確保されました。現在はこちらで拘束しています。午前十時には迷宮庁から職員が派遣されて、本格的な事情聴取を行います」


「消滅って、どうやって?」


 県会議員であろうが国会議員であろうが、言ってしまえばD級未満の一般人だ。それがなんだってダンジョンをひとつ消滅させられるのか。


「とりあえず本人の証言……っていうか妄言ですかね。それによれば、内閣調査室の男が笹森の事務所にやって来てダンジョンを消す石を寄越したとのことです」


「はぁ? いや……でも、それ、妄言なのか? だって実際にカミオカダンジョンは消えてるんだろ。笹森議員当人にダンジョンを消す手段なんてあるわけがない以上、第三者から『手段』を渡されたって考えるのは自然なんじゃないのかい?」


「そうなんですよ! 妄言のくせに筋が通っている! おかしいんですよ!」


「内閣調査室って……ええっと……内閣情報調査室のことか。地方都市の迷宮課の課長には遠すぎる存在だよ」


「国家公務員の私にだって遠い存在ですよ。私、迷宮庁の所属ですからね。もし万が一にも笹森の証言が正しければ、政府による人為的な『迷宮暴走』ということになります。おまけに、笹森が犯人だってティアは配信上で口走ってるんですよ! 確認しましたけど、ばっちり配信に乗ってます! SNSに疎い先輩ではピンと来ないでしょうけど、もうトップトレンドですよ!」


「ええっと……つまり、いわゆる『祭り』になってる?」


「なってますよ! 大衆向けに道理の通った説明をしなきゃなりません! おそらくこの状況では『アンセム』と迷宮庁がメッセージを発信して、それから内閣総理大臣による記者会見ってところでしょうね! 大手メディアもSNSも、どう転がるかなんて全く判りませんよ! ただでさえお祭り騒ぎなのに!」


「おおぅ。そりゃあ、大したもんだ」


 なんだか他人事のようなリアクションを取ってしまったが、話のスケールが飛びすぎて、もう佐渡山では当事者意識の持ちようがなかった。

 こうなってしまえば『上』の決定によって佐渡山や河合咲穂の進退は勝手に決められるだろう。ぶっちゃけ、できることがなにもない。

 なんだか面倒そうな場に呼ばれはするだろうが……。


「で、迷宮庁所属の国家公務員様は、内閣に確認したわけ? 内調を名乗る人物が県議に迷宮封印アイテムをくれてやったという話がありますが、本当ですか、って」


「できるわけないでしょ! 本当だったらどうすんですか! ていうか、仮に本当でも『ああ、うちの職員の仕業だよ』なんて言うわけないでしょうが!」


「そりゃ、まあ、そうだけど、でも『祭り』の始末はするわけだろ。どういう調整を……ああ、いや、いい。聞きたくないね、そんな話は」


「日和りましたね、先輩」


「危険を感じたら撤退。探索者の常識だぜ」


「是非とも早坂透に伝えてあげてください」


 はぁ、と盛大な溜息が響く。気持ちは判らなくもないが、わざわざ察して慰めてやる気には、ならなかった。


「ああ、そういえば菜々美ちゃん。スガイダンジョンの暴走で発生したデカブツ。念のためにと思って、動画で撮っておいたよ。ネクタイピンのカメラも莫迦にしたもんじゃない。クラウド保存したデータがあるから、後で共有するよ」


「よくもまあ録画しておこうなんて思いましたね」


「こっちはこっちで必死だったもんでね。生きて帰れる気がしなかったから、どうにか敵のデータだけでも残す必要があった。ノウミの方のヒドラの映像も一応確認したけどさ、スガイダンジョンの大蛇も同様に、A級探索者でも無理なレベルのバケモノだった。現役の頃にクラン組んで挑んでも、ありゃあ無理だったな」


 手も足も出ないとは、あのことだ。

 突進の余波で元A級の佐渡山が構築している魔法防御を消し飛ばしてくるバケモノは、ランクで言うならどう考えてもS級上位だ。


 この規模の被害で済んだのは、奇跡である。


 早坂透がいなければ、今頃は大蛇もヒドラも市街を蹂躙し、『連鎖迷宮暴走チェイン・スタンピード』以来の大被害が生まれていたに違いない。都市ひとつが壊滅している時間でどうにか高ランク探索者を掻き集め、最悪のレイドバトルを挑むことになっていたのではないか。

 そうなったときに作戦立案に役立つのが、敵の情報だ。

 わずかなりとも、大蛇の情報を残して――おく必要があった。

 どうしても。

 それでもおそらくは、貴重な高ランク探索者の命が、何人分か犠牲になっていたはずだ。彼らが持ち帰る迷宮産出物のことを考えると気が遠くなるほどの経済的損失であり、彼らの存在が失われることによる民衆の意識変化が及ぼす社会への影響は、あまり考えたくないものだ。


「早坂くん、これから大変だろうなぁ」


 いつの間にかフィルターぎりぎりまで燃え尽きていた煙草を指先で摘まみ、魔法で燃やし尽くしてから、佐渡山は嘆息した。


「こっちはこっちで大変ですけどね。呼んでたS級探索者クランより、たぶん迷宮庁の職員の方が早く到着します。あと『先生』も呼びました。職員が到着したら先輩にも連絡行くと思うんで、寝ないで待っててくださいよ」


 言うだけ言って、通話が切られる。

 かつての仲間が変わったのか変わっていないのか……佐渡山は苦笑交じりに役目を終えた携帯端末をスーツの内ポケットへ戻し、ひとまず新しい煙草を一本取り出して、火魔法を使って火を着けた。


 昔は――とにかく迷宮に挑んでは強くなり、産出物を持ち帰り、新たな装備を手に入れて、また迷宮に潜ることを繰り返していた。

 それが今では、社会貢献がどうだ、民衆へのなんとかがこうで、上層部の反応がああでもないこうでもないと気にしなければならない。


 大人になるのがつまらないなんてのは、きっとこちらの問題でしかないのだろう。つまらない大人になっちまった、なんてことを佐渡山はできるだけ思いたくはないのだが、それでも楽しい環境に身を置いているとは言い難い。


 自分で選んだのに。

 こんなはずじゃなかった――なんて。


「へっ……社会が悪いよ、社会が」


 結局は、そんなつまらない言い訳を独りごち、歩き出す。

 東の空が紫色に焼け始めていた。迷宮が暴走しようが、妖刀がバケモノを両断しようが、太陽は昨日と変わらず働いている。


 時刻はそろそろ午前四時。

 ちょっとくらいは寝てもいいだろう、と佐渡山は思った。




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