第三十四話




 A級探索者クラン『アンセム』の初期メンバーである神楽坂千鶴は、武門の名家である神楽坂家の分家の三女として生を受けた。


 神楽坂家といえば鎌倉時代から続く武家の血と剣術を現代まで引き継いだ旧家であり、要人の警護や個人的な用心棒の貸し出しを生業としている。神楽坂の『武』は金銭のみによって貸し出されることはなく、雇い主の義を神楽坂家が認めた場合にのみ貸与が許されることになっている。


 あまり深いところまで千鶴は教えられていないが、かつて世界が異世界と融合する以前から神楽坂家は『武』の一家であったし、世界融合後の現在においてもその地位と誇りは揺らいでいない。


 何故なら世界中に『迷宮』が現れた後、ほとんど即座に迷宮探索に乗り出した酔狂たちの一部が神楽坂家だったから。

 世界融合後の世界にいち早く順応し、他家よりもアドバンテージを取った――ところまではよかったのだが、この世に現れた迷宮はそれほど甘いものではなかった。


 どれほど研鑽を積んだ凄腕の剣術家であろうが、魔力親和性が足りなければ迷宮には適応できない。それでもC級ダンジョンまでなら技術のみで踏破していたらしいが、やはり限界が来て、淘汰が起きた。


 現在、神楽坂家の当主は――かつて血が薄いと蔑まれていた分家筋の、妾の子だ。

 驚異的な魔力親和性、そして当人の常軌を逸した研鑽もあり、当時の神楽坂当主の娘に婿入りして、後に当主に収まったという。

 かつては卑しい妾の子と呼ばれていた男が、異世界と融合した後の世界に神楽坂の誰よりも適応し、新時代の当主となったのは未だに神楽坂家に澱のような気配を残している。あのような生まれのくせにという嫌悪、それでもなお認めざるをえない強さに対する畏怖。今では単純な剣技においてさえ、誰も当主に敵わない。


 心技体。


 一般的な『道』は、それらを鍛えるとされている。『道』ではない神楽坂の剣術とて、それらなしには強くなれない。

 折れない心、練り上げた技、実行するための体。

 そして現在では、魔力親和性。


 心技体魔。


 神楽坂千鶴は、神楽坂家において魔だけが突出した忌み子だった。



◇◇◇



 三つ首ヒドラの左首へ向かって跳び、居合いで首を断ち切った。

 右の首はリーダーである斉藤恵美が両手剣の一撃で切断している。かつてはただの女子中学生だった少女が、今では千鶴に勝るとも劣らない威力の一撃を放てるというのだから、この世はなんて理不尽なのか、と内心で苦笑する。


 そう、きっと神楽坂家のほとんどの者が生涯を賭して研鑽した技術では、まだ二十歳という若輩の斉藤恵美に敵わない。たぶんあっという間に蹴散らされるだろう。そしてそれは、恵美を千鶴に置き換えても同じことだ。

 少女の頃、あんなにも恐れていた家の者たちのほとんどが、今の千鶴からすれば、ただの有象無象に過ぎない。


 それでも神楽坂が武家としての格を落とさなかったのは、ひとつは千鶴には及ばないまでも優秀な探索者を輩出しているから。もうひとつは、探索者だけで世界が回っているわけではないからだ。


 ――ああ、余計なことを考えている。


 そう思いながら、ほとんど無意識で、イルセリアが放つ『魔法矢』の余波を防ぐために身体中の魔力を防御に回している。

 コンマ五秒の時差もなく予想通りに『森の神の怒りミミングヴレーデ』の一射が撃ち込まれ――三つ首の真ん中がぶち抜かれて、衝撃波に吹っ飛ばされる。


 上空十メートルの高さを、真横に。


 こんなものを神楽坂家の一体誰なら無事にやりすごせるというのか。まともに練り上げた技術だけでは絶対にどうにもならない。

 が、千鶴はどうにでもできる。

 事前に備えていた魔力防御のおかげで、吹っ飛ばされはしたものの衝撃自体はそこまで感じない。自分の体が何処へ向かって飛んでいるのかも、理解できている。


「――ふっ!」


 小さく息を吐き、空中で無理矢理に身を捻って姿勢を制御し、激突するはずだった鉄塔の鉄骨に、全身のバネと魔力を使って強引に着地する。


 首を三本、断ち切った。

 ノウミダンジョンの『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』により出現したと思しきヒドラ種の魔物。S級探索者エルフのイルセリアによる指揮と射撃があったとはいえ、確かにこの手で首を断つことができた。

 しかし、だ。


「……っ、なんだ? なにか……」


 神楽坂の家の者としての直感が、千鶴に安心を与えてくれない。なにかしらの違和感、見落としに気づいていないような不安感。

 千鶴と反対側に吹っ飛ばされていた恵美が、千鶴のようにその場に着地はせず、ノウミダンジョンの迷宮支所……ヒドラによって破壊されたその跡に向かって、なにやら叫んでいるのが見えた。


 要救助者の探索と救助だ。

 誰よりも先に、人助けを――当たり前みたいに選択できる。

 ひとつ歳上の彼女の、アンセムのリーダーとしての資質だ。

 恵美が示す方向になら、殉じてもいい。


 つい数日前にカミオカダンジョンで御堂アイリを見捨てられなかったときだって、千鶴はその決断に不満なんてなかった。

 あの場で恵美がああすると言った以上、命を優先して生き延びたところで、きっとろくな人生ではなくなるのだろう。そういう奇妙な確信があった。いつからかはもう覚えていないが、千鶴はそのくらい恵美に信を置いているのだ。


 だがそれは道を示す『しるべ』としての信頼であり、状況判断においてはやはり甘いところがある。違和感や危機感を知覚するのが、千鶴より一拍も二拍も遅い。


「リーダー! 離れろ!」


 思わず叫んだが、声が届いたかのかどうかは、判らない。

 恵美は千鶴の方ではなく、ヒドラの死体の方を向いて、死体から五つ首のヒドラが産まれて――腹を割いたその血液が、鉄砲水みたいに恵美を押し流してしまう。


「なんで……」


 確かにヒドラの首を三つ、断ち切ったはずなのに。

 いや、違う。勘違いしていた。私たちは変異したカミオカダンジョン十四層に出現したドラゴンにさえ手を焼いていたのだ。そのドラゴンや黒騎士を生み出していたカミオカダンジョンの魔力がスガイダンジョンとノウミダンジョンに流入し、どちらも魔力の許容量を超えたから『迷宮暴走』が起きたという考察だったはず。


 千鶴や恵美の攻撃で、簡単に首を断ち切れたのがおかしい。


 ならばあのヒドラは……三つ首だったのが五つ首に、その五つ首を同時に断ったなら、今度は八つ首に?


 ぞっとして、ヒドラを見る。

 生まれたての五つ首は、生みの親である三つ首の身を破って産まれたからか、全長は少し小さくなっているが……その分だけ、魔力が凝縮している。肌で感じる魔力総量だって増していて、とてもではないが太刀打ちできる相手ではない。


 鉄塔の鉄骨を足場に、千鶴は膝を曲げたままの状態で腰の刀に手をやり、いつでも抜けるようにと魔力を込める。


 居合いの型。


 千鶴個人としては比較的得意としている剣技――配信の視聴者なんかはよく神速の抜刀だなんだと持てはやしてくれるが、実際のところ、普通に構えてから斬った方が速いに決まっている。

 そもそも居合いだの抜刀術だのは、咄嗟に刀を抜いて一撃入れる技術であり、普通に構えた状態よりも速く刀が振れるなんてのはフィクションで、デタラメだ。


 そして――A級探索者としての神楽坂千鶴は、もはやフィクションの登場人物みたいな力を持っていて、デタラメな剣技を扱える。


 鞘の中で魔力を圧縮させ、抜刀の瞬間に解き放って加速させる。刀の加速と同時に、解き放った魔力そのものが刃と化し、斬撃の威力も高める。そんなデタラメは、神楽坂の剣術には存在しない。


 けれども――そのデタラメが、アレに通じるのか……?


 三つ首の身を破って現れた五つ首は、水場から上がった犬みたいに身を震わせ、周囲に血を振りまいているが、きっともう五秒もしないうちに動き出すだろう。

 首をもたげ、両足と尻尾で意味不明な直立をして、二十メートル以上はありそうな蛇の頭を振り回し、S級上位相当の魔力を破壊のためだけに注ぐはずだ。


「……っ!」


 斬れない。斬れるイメージが湧かない。

 さっきと同じように突っ込んで跳び上がって居合いで首を斬る? 不可能だ。突っ込んで行った瞬間、首が鞭みたいに動いて引っ叩かれる。動きの遅い羽虫をハエ叩きで打ち落とすみたいに。


「ぐ……っ……うぅ……!」


 ぎりぎりと歯を食い縛り、居合いの構えを維持したまま、けれど千鶴は動くことができない。死地に飛び込む決断を下せない。

 恵美――リーダーが行けというなら、飛び込めるのに。

 イルセリアが指示してくれるなら、安心して退けるのに。

 アイリが『言霊』を届けてくれたなら、なんだってできるのに。


 今にも暴れだそうとする巨大なバケモノを、見ているだけ。


 、私は――。

 一秒が数十倍に引き延ばされたように加速した意識の中、さらにその内側から、ぽろりと弱音がこぼれ落ちる。


 、おまえは――。

 一滴、また一滴。心の何処かに落ちて、染みていく。


 瞬間、なにか、光が。


「――――え?」


 遠くからなにか、光るモノが飛んできた――と思った瞬間には大量の光をぶち撒けながら五つ首の斜め上あたりで停止する。

 空中で物体が停止するなんてことがあるわけもないのに、加速した意識の中の千鶴には、そう見えたのだ。


 一瞬よりもまだ短い時間だけわずかに遅れて、ものすごい音がした。


 音速を超えて飛来したからだ。夜を拒否するような強烈な光は、おそらく魔力で空気抵抗を掻き分けていたから。それと同時に、減速するために逆噴射みたいに魔力を放出して、慣性と速度を殺しきった。


 故の、空中静止。


 大量の光をぶち撒けていたのは竜殺しの女剣士が使っていた例の聖剣……その名の通り『光招くものライトブリンガー』。

 そして聖剣の上に立って赤黒い妖刀を振り上げているのは――



「あ……ぁ……あぁっ!」



 ! と、まるで脊髄に歓喜を注射されたような恍惚が、千鶴の体内を駆け巡る。全身が震えて、堪らず声を出してしまう。


 だって、あんなにも美しい。

 なんて綺麗な――一文字斬り。


「あ……あぁ……ああぁぁぁ……っ!」


 鞘の中に込めていた魔力が霧散してしまう。届くはずのない位置からの斬撃が、どういうわけか五つ首をまとめて薙ぎ払っている。あんなふうに刀が振られたなら切断されて当然だと言わんばかりの有様。

 明らかに道理を無視した斬撃だったのに、千鶴は一切の疑念を抱かなかった。あの斬撃であれば切断を免れるわけがない、とすら思った。


 早坂透。


 カミオカダンジョンで助けられたときの一刀。

 そして今、音速を超えた速度でかっ飛んで来る聖剣の上に乗りながらの一刀。


「――トール様! あぁっ! やはり貴方は――」


 神楽坂のどんな者よりも極まった一閃。

 神だ。

 彼こそが、剣神だ。



◇◇◇



 その後のことを、千鶴は正直よく覚えていない。


 いつの間にか浜松菜々美が運転するワゴン車に乗っていて、恵美は生きていて、何故かイルセリアが途中で降りて、ホテルに戻って……それから千鶴は『アンセム』の配信アーカイブを確認した。あのときカメラを持っていたイルセリアの位置からなら、トールの飛来が撮影できていたのではと考えたからだ。


 予想は当たっていたが、収穫は少なかった。

 確かに引いた画角からであればトールが音よりも速く飛んできたのは判るが、さすがに遠すぎた。どれだけ拡大しても、あの一閃を確認することは叶わない。


 ただ、主観的には百秒くらいに感じていた『三つ首から五つ首が産まれて、トールに斬り殺されるまで』の時間が、実際には十九秒にも満たなかったことが判った。五つ首が出現して恵美が血に流されてからだと、実に四秒。


 この四秒間を、千鶴は何度も何度も繰り返した。

 脊髄に打ち込まれた歓喜の余韻が消えるまで。


 ……そのせいで、イルセリアがトールの家に泊まり込んでいるという事実に、しばらく気づけなかったのだけれど。




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