第二章
第三十三話(第二章プロローグ)
……どうしてこうなった?
早坂透――トールは、どうにか帰宅したオンボロアパートの自宅の台所で、水を張ったミニ寸胴を火にかけながら、コンビニで買ってきたお茶だのお菓子だのを摘まんでいる女たちをチラ見して、深々と溜息を吐いた。
トールが食卓に使っているテーブルを囲んでいるのは、三人。
聖剣ライトブリンガーに取り憑いている女剣士ティアについては、まあいい。ライトブリンガーはトールの魂に接続しているらしいので、聖剣霊とでもいうような彼女については、仕方がないと割り切れる。
現界しないで姿を消しておくこともできるらしいが、そうしろと言う気はない。ちなみにその聖剣はリビングの入口脇に立てかけてあるが、それもまあいいだろう。
次に、隣室に住んでいる母子家庭の子供、猫獣人のミカ。
年齢は……小学校低学年くらいだった気がするが、確証はない。
時間としてはすでに深夜なのだが、どうやら母親が出勤らしく、例の『
これからは掃除屋をやっていた頃のように定時帰宅することもなくなるだろう。
とはいえ、これからについてはトールにも全く判らないのだが。
そして――銀髪のエルフ。
イルセリア・リュミエステル。
なにかの映画から出てきたみたいな、ぞっとするような造形美の女……外見だけでいうなら少女とさえ表現できるだろうが、ティアが言うには「あれで百歳超えてても不思議じゃないよ」とのこと。
エルフという種族は『世界融合』後にオーストラリア大陸の東北東あたりに浮上したアトランティス大陸に現れた者たちだ。
独自の文化があり、文字があり、言葉があり――かなり高い知性がある。つけ加えるなら、やたらと高い自尊心も。
ノウミダンジョンまで迎えに来たA級探索者クラン『アンセム』のワゴン車に乗せてもらい、自宅へ送ってもらったわけだが……エルフは途中でコンビニに寄れと言い出し、あれこれ買い込んだ挙げ句、トールと一緒に車を降りたのだった。
「なに見てるのよ。こんなボロ家に私が存在していることを疑わしく思う気持ちは察して余りあるけれど、現実を疑うのは愚か者のやることよ」
目が合った瞬間にそんなことを言い出す。
トールは美人に罵られるのが好きという嗜好はないので、普通にイラッと来て舌打ちをしたが、イルセリアは重ねて噛みついては来なかった。
やれやれと溜息を吐き、沸かしている湯に塩を入れ、中華鍋を取り出して潰したニンニクを放り込み、オリーブオイルを加えて加熱する。オイルの温度が上がってニンニクの香りがオイルに移るのを待ち、常備してあるホールトマトを放り込む。
乾燥パスタをミニ寸胴へ放り込み、中華鍋でトマトを加熱して酸味を飛ばしている間に、サラダも作ってしまう。といっても適当に野菜を切ってマヨネーズを軸に調味料やらなにやらを混ぜてつくったドレッシングをかけるだけだ。
そうこうしてる間にパスタが茹で上がる一分前になったので、中華鍋の中で煮詰まったトマトソースにパスタ湯を加え、まだ固いパスタを放り込む。面倒なので無化調鶏ガラスープの素を雑に追加して旨味を足し、ソースの濃度を調整しながら鍋を振り、なんとなく乳化したような気がするあたりで、用意しておいた皿にパスタを盛りつけ、粉チーズを振り、乾燥バジルを散らす。
「できたぞ」
と声をかければ、待ってましたとばかりに猫獣人の少女ミカが自分の分の皿を確保した。自分もいいのかな、というふうな顔をしてティアが寄って来たので、皿を指差してやれば、素直に運んでくれた。
イルセリアは座ったまま動かなかったので、仕方なく自分の分と合わせてテーブルまで持って行ってやる。
「スパゲティ・ポモドーロってやつね。一人暮らしの独身男性の、およそ二割くらいが料理に凝るっていうけど……なによ、それなりに美味しいじゃない」
皿が配置された瞬間に食い始めて、そんなことを言う。
いつも両手を合わせて「いただきます」をしてから食べるミカは、イルセリアの食事作法に驚いたような顔をしていたが、トールが相手をせずに両手を合わせているのを見て、小さな手をちょっと慌てて合わせてくれた。
「いただきます」
「いただきます。トールのパスタ、好き」
「美味しそうだね。ボクも、いただきます」
日本式の儀礼も二回目ともなれば慣れたもの、とティアも手を合わせたが、もしかすると子供の前でのみ行われる儀礼と思っているかも知れない。ハンバーグレストランで食事したときも、車の中でコンビニの惣菜パンを食べたときも、トールは手を合わせていただきますなんて言わなかったからだ。
子供の前でくらいは、ちゃんとした方がいいだろうと思っていたのだが……まあ、今更ティアの前でちゃんとしても仕方がないだろう。
「トール。なんか、有名人になったってお母さんが。トール、有名人?」
もっちゅもっちゅとパスタを咀嚼する合間に、ミカがそんなことを言い出した。どうやらミカの母親はSNSを見るタイプらしい。
「あー、なんかバズったらしいぜ。でも、そのエルフの女の方がよっぽど有名人だ。S級探索者で、めちゃ美人だろ。なんで俺ん家で飯食ってんのか知らねーけど」
「なによ、口説いてるわけ? 私が美人だなんて判りきっていることを言われて喜ぶ安い女だと思ってるなら大間違いよ。もう少し言葉を考えることね」
「うるせーな、口説いてねぇよ。自意識過剰なんじゃねーのか。あと、口の横にトマトソースついてんぞ間抜け」
「んな――っ!?」
肌が白いせいで、頬が紅潮するのが判りやすかった。人の家のティッシュを何枚か取り出して口元を拭き始めるイルセリアを「へっ」と笑ってやるが、よく考えると、かなりどうでもよかった。
「つーか、なんでおまえ、人の家で飯食ってんの?」
「貴方がつくったからに決まってるでしょう」
「もし俺が本当にそんなことを聞きたがっていると考えてそう答えたんなら、エルフ様の高潔かつ深淵なる知能に両手を挙げて降参するしかねーな」
「……貴方、罵倒の語彙は豊富なのね?」
呆れたふうに目を細めて、しかし意外というべきかイルセリアは怒気を見せず、そんな問いより食事の方が重要とばかりにフォークを動かし、パスタを口に運んだ。
ちらりと横目でティアを見れば、トールとイルセリアの遣り取りなど知らん顔で食事を続けており、ミカの方は口いっぱいにパスタを頬張りながらトールたちを眺めている。興味はあるようだが、なにを言い合っているのかは判らないらしい。
いや、それはトールにも判らないのだが。
「トールに、イルセリアだっけ? 別に仲良くしろなんて言わないけど、子供の前で喧嘩なんかしないでよ」
呆れたふうなティアである。
もちろんトールだって判ってはいるのだ。そしてどうやらイルセリアの方も、猫獣人の少女をちらりと一瞥してばつの悪そうな顔をしているあたり、判ってはいるらしい。問題は、判っていてもどうしようもないことがある、ということだ。
「……貴方たち……というよりは、トール……早坂透だったわね。私は、貴方が危険であるかどうかを見極めるために来たのよ。アンセムのお守りがメインではあったけどね。あの子たちが変な男に騙されてないかっていう気持ちも、あったわ」
丁寧にフォークでパスタを巻き取って口の中に放り込み、それをきちんと咀嚼して飲み込んでから、エルフは言う。
「まあ、そりゃあ、その心配は判らなくもないけどな。だったらおまえ、危険人物かどうか判らないやつのつくった飯を食ってるってわけか」
「私を殺せるほど強力な毒なんて、それこそS級ダンジョンに潜らないと手に入らないわよ。つい最近までD級ダンジョンの上層で掃除屋をしていたような男が、しかも見るからに貧乏なやつが、どうやってそんな毒を手に入れるのかしら?」
「……さぁな。そんなん知るか。それで? 有り余る知性と高潔さと、他人へ審判を下す権利をお持ちのエルフ様から見た俺の判定はどうなんだよ? 仮に危険だとしたら、どうするつもりだ?」
言って、トールはフォークから右手を離し、わざとらしく左掌に近づけてみせる。いつでも妖刀『禍月』を取り出せるぞ、というアピールだ。
イルセリアは、しかしそんなトールに軽く肩を竦め、フォークと口を動かして皿を空にする作業へ移行した。
少なくとも、この場でやる気はないらしい。
あっても困るが――あるなら対処はするつもりだった。
「……エルフ、トールのこと、嫌い?」
じとり、とミカがイルセリアを睨む。イルセリアは猫獣人の子供の真っ直ぐな問いと視線に、わずかだけ戸惑ったような顔をした。
「んーっとね、このエルフはトールにいっぱい悪口言って、トールを怒らせたんだよ。好きでも嫌いでも、悪口言われたら、嫌な気持ちになるでしょ」
助け船なのか追撃なのか判らないことを言うティアである。当然、ミカの視線は鋭くなり、エルフの視線はついっと逸らされた。
どうやら子供にまで高圧的になるほど終わってはいないようだ。
「…………」
「……エルフ?」
「…………」
「……エルフ、トールにごめん、しない?」
「…………」
「……エルフ、トールのこと、嫌い?」
「……ご……」
「……エルフ?」
「……ご、ご、ぐ――ぐぎぎ……! ごめ……が、はぁ! はぁ! ご、ご、ご……うぐぐぐぐ! ご、ご……――うううぅぅ!」
「ドン引きだよ。無理すんなクソエルフ」
両拳を握り締めてぶるぶる震わせながらどうしても謝罪の言葉を吐き出せないイルセリアに、トールは素直にドン引きした。そこまで無理して謝られても困る。
まあ、ちょっと謝られたくらいで許す気もないのだが。
「それで、イルセリアから見たトールは、どうなのさ?」
ティアの問いは、仕切り直しというべきか、助け船というべきか。
「はぁ……はぁ……貴方たちね、人のことを危険人物と思ってるのかも知れないけど、私は
トールとしては常識というものの定義を見失いそうになる発言だなと思ったが、いちいち混ぜっ返しても仕方がないので黙っておく。
「ダンジョンは国が管理してるんだっけ?」
疑問符を浮かべるティア。口調は軽く、どうでもよさそうだった。
「大抵の国がそうだ。迷宮産出物――魔核やらモンスターからのドロップアイテムやらは、今はもう社会に欠かせないからな。探索者に対して、言うなら国のインフラを人質にして、国に寄与しないならおまえは犯罪者だ、って脅しかけるわけだ」
「それって探索者から反発とかなかったの?」
「昔はあったらしい。でも、働いたら税金取られるのって当たり前のことだからな。一流の探索者が得られる儲けから税金を抜くのに同意しないやつはほとんどいなかったそうだ。当の探索者だって、自分の報酬からあらかじめ税金引かれてる方が気楽だし、社会貢献って免罪符が得られる」
「ふぅん……? 強力な探索者の中には無法者みたいなやつだっていそうなものだけど……ああ、それは自浄作用が働いたのかな」
勝手に納得するティアに、トールは肩を竦めた。
「世の中は探索者と迷宮だけで出来てるわけじゃねーからな。S級探索者だってコンビニでペットボトル買うし、スナック菓子だって買う」
「コンビニ、便利だよねぇ。よくまあ『迷宮暴走』が起きた場所の近くで、普通に営業してたよ。ボク、びっくりしちゃった」
「……まあ、たぶん店長と連絡つかなかったんだろうな」
迷宮課の課長である佐渡山浩二が現場で時間稼ぎをして、ティアの活躍によってスガイダンジョンの『迷宮暴走』は大きな被害もなく鎮圧されたわけだが、そうでなければ周辺一帯はことごとく破壊し尽くされただろう。
もちろん近くのコンビニも、よく利用している二十四時間スーパーも、親から今日は帰れないと連絡を受けたミカだって――このオンボロアパートごと、ぐちゃぐちゃにされていたに違いない。
「ごちそうさま。悪くなかったわ。お風呂、借りるわよ。猫獣人も今日は親が帰って来ないのでしょう? 特別に、一緒にお風呂に入ってあげてもいいわよ」
「わたしもごちそうさま。……エルフ、ちょっと優しい?」
こてん、と首を傾げるミカに、イルセリアは小さく笑んだ。
あまりにも綺麗で貴さを感じる光景ではあったが、勝手に人の家の風呂を使わないで欲しかった。が、言っても仕方ないだろう。
「おまえ、着替えとかあんの? コンビニでジュースとスナック菓子しか買ってなかったと思うけど。つーか、泊まってく気かよ?」
「私くらいの一流探索者ともなれば個人用の
ドヤ顔を見せて立ち上がり、当たり前みたいにミカを連れて風呂場へ向かうエルフに、トールはもはやなにも言えなかった。
「……つーか、俺も風呂入りてぇんだけど」
「まあ、待つしかないね。ボクも入りたいけど、トールがお風呂から上がったら、今日のところは大人しく現界を解くよ。一人寂しく聖剣の中で虚無を感じながら意識を閉じることにする。生前の相棒だったわけだし、ボクにはお似合いの寝床さ」
「いや、なんでちょっと恨みがましいんだよ。俺が入った後なら好きに風呂入ればいいだろ。水道代気にするほどには貧乏じゃねーよ」
「うんうん、ボクはトールのそういうところが結構好きだよ」
判ったような顔をして頷くティアに、トールはちょっとだけムカついた。自分もまた巻き込まれたような顔をしているが、この聖剣霊が全ての原因……と言ってしまうと、それはさすがに言い過ぎになるが。
D級ダンジョンの上層で雑魚モンスターを倒し続ける掃除屋をやっていたら、あるとき転移罠を踏んで、危険地帯へ飛ばされた。
見たこともないモンスターに襲われ、逃げ込んだ先の部屋で、床に突き刺さっている剣を二本見つけた。なにも考えずに引っこ抜いたら、どちらも魂に干渉する神話級の武器で……片方の西洋剣には、かつてそれを操っていた女剣士の霊が取り憑いていた。それがティアだ。もう片方は赤黒い刀身の不吉すぎる妖刀。
なんやかんやあって、女エルフがトールの家で、隣家の猫獣人の子供と一緒に、風呂に入っている。
あまりにも意味が不明だし、そこに脈絡というものを見出して一本の道を引いていく作業は、今のトールには面倒くさすぎた。
「……どうしてこうなった?」
とりあえずそう呟いて、テーブルの上に放置された食器を流しに運んで洗い物を済ませてみたが、疑問に答えてくれる者はいなかった。
答えられても困るけど。
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モです(挨拶)。
今年もよろしくお願いします。
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