第三十話




 聖剣ライトブリンガーを即席の背負子しょいこにして、聖剣使いの女剣士ティアに搬送されている早坂透――トールは、半ばパニック状態だった。


 まず、地を蹴る一歩の威力が尋常じゃない。


 おそらくは魔力的な作用で土やアスファルト、ガードレールや電柱の頂点、建物の屋根なんかには衝撃がそこまで伝わらないようにしているのだろう。そうでなくては足場を破壊してしまって高速移動のための運動エネルギーを稼げない。


 そうして生み出した運動エネルギーが人間二人分を移動させ、その初速はおそらく音速を超えている。何故ならティアの眼前に魔力障壁みたいなものが展開されており、障壁にぶち当たった大気が左右に引き裂かれているのが見えたから。


 、と踏んで、、だ。


 意味不明だが、とにかくそんなふうにして進む。

 もちろん音速なんていつまでも超えてはいられない。足場を蹴ることで推力を得ている以上、滞空中は常に速度が下がり続けることになる。これを解決するには滞空時間を減らせばいいように思うが、ティアはそうできるときはそうしている。


 そうできないときは――障害物があって飛び越えた方が早いときだ。


 スガイダンジョンを出発した時点では山林を駆け抜けたので、より顕著だった。木々より高く跳び上がり、枝を蹴散らしながら足場にしやすい樹木を見つけて、次の一歩。山林を抜ければ県道に出て、アスファルトを蹴ったかと思えばまた山の中。今度は山腹に立っている送電塔を蹴っ飛ばして加速。


 そうやって、とにかくひたすら真っ直ぐに、ノウミダンジョンを目指す。


 市街地に出てからは移動の衝撃波で人を轢き殺さないよう、建物の屋根や屋上を足場にすることが増え、やや速度が落ちた。おそらく音速を超えると衝撃波で建物のガラスを割るからだろうが、まるで冗談だ。

 人はこんなふうに移動しない。

 こんな速度で動いて、なにも壊していないのもおかしい。いや、木々は蹴散らしたし、アスファルトは割っていたかも知れないが。


 おまけに――それらを理解できる自分自身が、トールにとっては異常事態だ。

 なんでこんなことが理解できるのか。


 視界の横を流れていく景色は、電車の車窓映像を十倍速で流しているような状態だ。なにもかもが速すぎる。


 なのに、なんとなく理解わかる。


 電柱の頂点を踏み、ビルの壁面を蹴り、景色が『目まぐるしい』なんて言葉では足りない速度で流れていく。

 本当に……車で移動するより、ずっと速い。だったらスガイダンジョンまでの道程もこうして移動すればよかったはずだが、ティアとしてはトールが『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』の鎮圧に向かう必要があるとは思っていなかったのだろう。ティア自身の考えはともかく、たぶんトールの気持ちや考えを尊重したのではないか。


 今朝、高そうなホテルで女エルフ相手にキレたせいかも知れない――そんなふうに思って、トールはティアにしがみついたまま、苦笑してしまう。


 あれを『善い』と思っているわけじゃない。ティアにも言ったことだが、トールの言い草は『悪い』ものだった。ムカついたから莫迦みたいな悪口に乗って阿呆みたいに悪口を返した。あれが早坂透なのだから仕方ないではないか。


 スガイダンジョンに向かうことにした、ティアに語った理由だって本音だ。嘘ではない。そしてノウミダンジョンに向かおうとするティアに乗った――文字通り、乗って移動しているわけだが――それも、嫌じゃなかったからだ。


 止められるなら、止めてやる。

 そこに、ごちゃごちゃした理由なんか要らない。


 損得なんて知るか。利用されているかもなんて、どうでもいい。ティアに引っかき回されている? それが本当に嫌ならトールはやらないし、腹が立ったのなら怒るだけだ。これまでの生活が送れなくなる――そんなに守りたい生活じゃない。


 早坂透の祖父母と両親は『迷宮暴走』で死んだ。

 天災のようなものだ。なにかを、誰かを、激しく恨んでいるわけじゃない。世界を呪うほどの元気もない。政治を憎むほど物事を知らない。これもティアに語った通りだ。大抵のやつは、やれることをやっている。そうしないという選択肢も、そうするべきだという選択肢も、各々が自分の判断で選んでいるのだ。

 配信でクソみたいなコメントを書くやつ、コンテンツに不満しか言わないやつ、SNSでゴミに等しい意見を書くやつ、偉そうな顔をして他人を俗物扱いするやつ、それに対して真正面から反論する中卒の掃除屋……。

 誰にだってそうしないという選択肢はあるのに、そうしないことは選んでいない。自らの意思で、そうしている。


 結局のところ、トールの家族が死んだときだって、みんなが自らの意思でそうするべきだという選択肢を選んだか、もしくはそうするべきでないと判っていながらそうしないわけにはいかなかったか、ということになる。

 自分だってそうなのだ。

 魔物に蹂躙されている町を見捨てて逃げ出した。そこには両親がいて、祖父母がいて、たくさんの他人がいたのに、助けに行こうなんて気には一ミリもならなかった。そのことに深い後悔があるわけじゃない。助けに行ったら無駄死にしていた。間違いなく無駄死にしていた。あの場にいたほとんどの一般市民がそうだった。


 テレビでもネットでも、無責任なことを言うやつがいっぱいいた。こうすればよかったはず、なんてしたり顔で語るやつがいた。魔物の奔流に立ち塞がった探索者クランの現場の判断を、あれは間違っていると『正しさ』の斧で両断するやつもいた。そのクランは全滅したのに。いくつかの家族を逃がして、魔物をいくらか倒して、それしかできずに死んだのに――愚か者だと言われていた。


 無責任に言いたい放題言うやつらばかりだ。物事にあれこれ言っているとき、あいつらは鏡なんて見ていない。どれだけ醜く歪んだ顔をして、どうしようもなかった連中の判断や失策や死をあげつらっているかなんて、誰も気にしていない。

 そういうふうに言わない、という選択肢だってあるのに。

 自分の意見は『正しい』のだからと、ドブ臭い口を開き続ける。


 そんなものを、いちいち恨んでいられるか。


 気にしていたら頭がおかしくなる。怒るだけ無駄だ。憎んだところで意味がない。どうせ『正しさ』には通じない。じゃあ要らない。正しさなんか要らない。おまえらの正しさなんか、知ったこっちゃない。いつからか無感動になって、誰のどんな言葉も、直接でなければ鼻で笑えるようになった。むしろ直接来るようなやつの方がちょっとまともじゃないかとすら思うようになった。殴られる可能性があるのだから。怒られる可能性があるのだから。罵られる可能性があるのだから。


 ああいうものに心を動かすな。

 どうせあいつらも、あの地獄で『正しさ』なんか振るえない。どれだけご立派な意見をほざこうが、安全圏で醜悪に笑っているだけだ。

 そんなものは知らない。知ったことじゃない。どうでもいい。


 ただ――それでも、ダンジョンに対しては思い入れみたいなものができた。


 天涯孤独になって、身の振り方を決めるとき、スガイダンジョンの掃除屋募集が目に入った。きっかけなんてそれだけだ。もし目に入っていなければ、職業訓練所に通って、本当のになっていたかも知れない。建設業者でも電気工事士でも、あるいは塗装工でも、ドワーフの板金屋に就職でも。


 なんでもいい。なんでもよかった。

 自分一人を食わせて生きられるのであれば。

 あまり他人に迷惑をかけず生きていられるのなら。


 しかし実際はこうなった。

 掃除屋を続けて不正を疑われたりもしたが、辞める気にはならなかった。結局は迷宮と関わりたかったのだ。誰にも認めてもらえずとも知ったことか。底辺掃除屋だとして、だからどうした。誰に迷惑をかけるわけでもないなら、構わないはずだ。


「ああ――もうっ! 街だと速度が出せない!」


 苛立ったふうにティアが叫ぶ。

 左右の景色は高速で流れているが、正面方向はむしろ遅延して見えている。

 建物の屋上を足場に跳び上がったその先……どうやら随分と高く跳んだようで、街を見下ろすほど高高度にいるが、そのおかげで見えている市街の一角が、ぽっかりと闇に閉ざされていた。

 おそらく『迷宮暴走』によって出てきた魔物が暴れたせいで、電線を切ったかなにかして、停電しているのだ。


 その夜闇の中心に、

 魔物が放つ魔力の作用で薄ぼんやりと光っていて、そのせいで巨大な魔物の姿だけが、闇の中に浮かび上がっている。


 わけの判らない『迷宮』が生み出した、破壊するモノ。

 死を撒き散らし、地獄を創り、悲鳴と絶望をもたらすモノ。

 異世界と融合したこの世界の、ある種の象徴。


 

 そのことだけは、どんなに無感動になろうが――許し難い。


「トール! 例の妖刀出して! 柄頭のなんか不気味な飾り紐を、ライトブリンガーの柄に括りつけて!」


 疑問を差し挟む余地のない要求に、トールはなにも言わず従った。

 背負われて高速移動している状態でティアから手を離すのは怖かったが、それでも左掌に右手を合わせ、ずるり、と勢いよく妖刀『禍月カゲツ』を引っこ抜く。傍から見れば、あまりにも不気味な光景だっただろう。


 ひどく悍ましい、赤黒い刀身。

 鍔は黒く、柄も黒い。柄頭の赤い飾り紐は、刀を握るトールの手首に絡みついている。その紐を引っ張ったら伸びたので、手首に巻きついている側を解かず、伸ばした分の紐をライトブリンガーの柄に括りつけた。解けない縛り方なんて知らないので、いいかげんなものだ。それでもトールが解けろと思わない限りほどけないのが、なんとなく理解わかる。これはそういうものなのだ、と。


 そんな作業をしている間に落下が始まり、妖刀と聖剣を紐で繋いだ頃には、次の跳躍に移っていた。


 、と跳んで、


 ほとんど真上に跳び上がったティアは、がっちりとトールを固定していた両手を解き、聖剣の柄を握って――ぐるんっ、と回転した。



「ぶった斬れ、トール!」



 言って、ティアは回転の勢いに魔力を乗せ、妖刀の飾り紐と繋がったままの聖剣を――妖刀と繋がっているトールごと、ぶん投げた。

 なんの躊躇もなく、もちろん事前の相談もなく、予告もなければ、阿吽の呼吸だってありはしない。ほんのわずかな前振りだけは、あったかも知れないが。


 とにかく、ファンタジー寄りの野球漫画のピッチャーみたいに、投げた。

 投げられた方としては、それこそ魔球みたいにぶっ飛ぶしかない。


「マジ、かよ……っ!」


 音速を超えた感覚。

 なのに空気抵抗が、ない。


 見ればライトブリンガーが蒼白に発光しており、魔力によって所有者であるトールを保護しているのだった。

 ということは、つまり、マッハの速度で空中をかっ飛んで――二秒もしないで五つ首のバケモノが、ほとんど目の前に。


 このときトールは、なにも考えなかった。

 空中で自分を引き摺っている聖剣の柄を左手で掴み直し、どうやってかは自分でも判らないが、ぐっと聖剣を引き寄せ、サーフボードみたいに聖剣の上へ乗った。何故か『禍月』の飾り紐がさらに伸びていて、音速空中サーフィンに支障がない。


 どうしてそんなことを?

 だって、聖剣に引き摺られているような姿勢では、刀を振れないから。


 ライトブリンガーが光量を上げる。

 速度が落ちる。だが、衝撃はない。前進していた運動エネルギーを相殺するために聖剣が魔力を迸らせているからだ。飛行機が逆噴射して制動をかけても機体がバラバラにならないのと、たぶん似たようなものだろう。


 とんでもない光をぶち撒けながら、空中で静止する――ほんの一瞬。


 もう五つ首のバケモノは、目の前。

 なにも考えずに『禍月』を振る。


 夜闇の中、赤黒い刀身が、まがつ月を描き出す。



 ――――



 物理的な作用でないナニカが、バケモノの首を五本、まとめて切断した。

 妖刀『禍月』は武器というよりは呪具であり、刀を振るという動作は魔法使いの詠唱や、呪術師が編み上げる術式に等しい。


 


 魂――物質世界と繋がっている神域に直接作用する呪い。故に、この世に存在している以上『禍月』による切断を免れない。


 在るなら、斬れる。

 それだけ。


「……いや、自分でもなんだかよく判んねーんだけど……これ、落ちるよな」


 莫迦みたいな速度で射出され、空中でバケモノを斬った。それはいい。しかしトールはティアではないので、高所から落下して負傷しないわけがないのだ。


 落下して地面に激突すれば、普通に死ぬ。

 が、トールは焦らなかった。


 何故ならば――、


「じゃじゃーん! ボクはトールから離れると現界が解けるけど、トールの近くに現界し直すことができるんだよ! 守るって言っただろ?」


 あははは! と場違いに笑いながら、落下中のトールの真横に現れた聖剣使いが、サーフボード代わりにしていたライトブリンガーとトールをひょいと掴み、なにをどうしたのかは判らないが、ふわりと一切の衝撃を感じさせずに着地した。


 そうして、よっこいしょっ、とばかりにトールを地面に降ろしたティアは、なんの屈託もない輝くような微笑みを浮かべて、言う。


「よくやったね。あの魔物が引き起こすはずの被害を、キミが食い止めたんだ。死ぬはずの人が死ななかった。壊されるはずのものが壊れなかった。奪われるはずのモノが、奪われなかった。キミのおかげだ。キミが守ったんだ。偉いよ、トール。ボクはキミを誇りに思う」


 これが五つ首のバケモノにトールを投擲した張本人でさえなければ、もしかしたら感動して涙ぐんだかも知れない。

 それくらい、ティアの言葉は他人の胸に浸透する響きがあった。

 きっと、生前はそうやって多くの他人を勇気づけてきたのだろう。

 遠くからではなく、後からではなく、いつだって――。 


 が、トールは右手の『禍月』が赤黒い霧となって消えるのを確認してから、五秒くらいかけてゆっくりと立ち上がり、聖剣使いの女勇者をじろりと睨み、言った。


「おまえの『守る』は、もうアテにしねーからな。おまえのおかげでとんでもねぇ目に遭った。俺はおまえをクソバカだと思う」


「――えっ!? あれ? 今のは感動する場面じゃ……」


「んなわけあるか」


「えぇ……おっかしいなぁ……こういうときって、だいたいみんな感極まるはずなんだけど。トール、どっかおかしいんじゃない? ボクはキミを疑問に思うよ」


 本当に不思議そうに首を傾げるティアに、トールはちょっとだけ我慢してから、結局は我慢できずに苦笑を洩らしてしまった。


 それで、終わり。

 ひとまずは。




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