第二十九話




 B級以上の探索者になると、ほとんどの者は自分で走った方が自動車を利用するよりも速い。もちろん、人力である以上はタイヤを転がすみたいにトップスピードを維持するのは難しいのだが、斉藤恵美が探索者養成学校で訓練をしていた頃、当時A級だった探索者の『先生』がこんなことを言っていた。


 ――我々は、でかいノミとかバッタみたいなもんだ。


 十代の女の子になんてことを言うんだ、と当時は思ったが、確かに言われてみれば、似たようなものかも知れない。

 漫画やなんかでたまに見る設定だが、ノミという虫は体長の二百倍もの距離を跳躍するという。人間サイズなら一跳びで三百メートルだ。


 かつては、そんな莫迦な、と思っていた。

 今では――本気を出せばそのくらいかな、と思ってしまう。


「配信は続けてるわね? カメラを私に寄越してちょうだい。サナギは危険だから、その偉そうなスーツの老人を確保して、車で待機。ダンジョンが消えたこの場所が、皮肉だけれど、おそらく最も安全よ。ナナミは支所の職員と協力して、やるべきことをやりなさい。すぐに私たちのバックアップに戻ること」


 駐車場から戻ってきた銀髪エルフのイルセリアが、有無を言わさぬ調子で恵美たちに告げる。冷たくて、鋭くて――頼りがいのある声音。

 少女みたいな外見の彼女が、恵美たちよりずっと歳上の女性なのだと理解できる、自信と確信を含んだ言い方。


「メグミ、アイリ、それからチヅルは私について来なさい。ノウミダンジョンで起きている『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』の鎮圧に向かうわ。魔物の大軍が溢れ出すタイプの暴走だったら、とにかく手分けして処理することになるけど――たぶん、大物が出ると思うわ。覚悟しておきなさい」


「……それは、どうして?」


 アイリが疑問符を浮かべる。恵美は状況の推移に頭が回らず、とにかくイルセリアの言葉を咀嚼するので精一杯だ。

 こういう切羽詰まった状況では、意外にというか治癒魔法使いである御堂アイリの方が肝が据わっている。


「通常の『迷宮暴走』とは違うからよ。ゆっくりと魔力が溜まっていって閾値を超えたのであれば、たぶん閾値のぎりぎりまで予兆があって、ダンジョン内の魔物が増えたり強化されたりするんだと思う。予想だけれどね」


 撮影係の紗凪から配信用のカメラを受け取ったイルセリアは、本体から伸びるベルトを使って顎の下、鎖骨と鎖骨の間あたりに固定させながら、言った。


「なるほど。今回は――笹森議員がどういうわけかダンジョンを消し去ったせいで、カミオカダンジョンと繋がっているスガイダンジョン、ノウミダンジョンにカミオカダンジョンの魔力が一気に流入した、ということか……いや、逆か。ふたつのダンジョンが『暴走』した以上、みっつのダンジョンは繋がっていたと考えるのが、順番としては正しいのか。繋がっていて、魔力が流入したから『暴走』した……か」


 ふむ、と頷く侍ポニーテールの神楽坂千鶴。

 判ったようなことを言っているが、論理的な理解というよりは、ざっくりした把握であるのを恵美は知っている。「ようするにこういうこと」を千鶴はあまり外さないが、細かい部分は大抵の場合、おざなりなのだ。


 だいたい、聖剣使いの女剣士――ティアが言っていたことが事実とは限らないではないか。いや、けれどティアの言の真偽に拘らず、実際にカミオカダンジョンは消え失せていて『迷宮暴走』の報告がある。


「おそらく」


 端的に頷いたイルセリアは、ポケットから携帯端末を取り出し、ふっと小さく笑んだ。それから、配信の視聴者へ向けて続ける。


「見てるみんな。聞いてるわよね。緊急事態よ。なにもかもが不明瞭だけど、S市の三大迷宮のひとつ、私たちが潜っていたカミオカダンジョンが消え失せて、残ったスガイダンジョンとノウミダンジョンで『迷宮暴走』が起きてるって情報が入ったわ。スガイダンジョンにはトールと聖剣使いの女が向かった。私たちはこれからノウミダンジョンに向かう。ただ、ここにいる私たちでは情報の確認が取れない。今は……八万人も視聴してるのね。集合知に頼るわ。状況を調べたり、近い場所で配信を見てる人はコメントしてちょうだい。サナギとナナミで精査して、アイリに伝えるわ。アイリは伝えるべきと思った情報を私たちにフィードバックしてちょうだい」


 エルフの怜悧な眼差しが、恵美を捉える。

 いつの間にか抱きかかえていた愛用の両手剣の柄を握り締め、ふぅ、と息を吐いて、吸って――それから、はっきり首肯を返す。


「いいわ。行こう。私たちはイルセリアの指示に従う」


「安心なさい。このS級探索者イルセリア・リュミエステルが、貴女たちを守ってあげる。前衛の恵美と千鶴は、特に私の指示に従うこと。アイリは私の傍を離れないように。いいわね? じゃ、行くわよ」


 コンマ五秒でお互いに頷き合い、各々が武器を握り締めて、跳んだ。

 一跳びで、三百メートル。


 そりゃあ、かつてのクラスメートたちも恐れるよね――と、恵美は心の何処かで苦笑を洩らした。



◇◇◇



 目一杯の力を込めて跳躍すれば、本当に三百メートルくらい前進できる。トップスピードはたぶん秒速百メートルくらいで、しかし発射された銃弾が徐々に運動エネルギーを損失するのと同様、次の一歩を踏むまでの間に速度が落ちていく。


 なので平均すれば時速百八十キロくらいの移動速度だろうか。


 その気になればA級探索者は一時間くらいそのスピードを維持できるが、カミオカダンジョンからノウミダンジョンまでの直線距離――車じゃないので道路を使う必要がない――は、そこまでの時間を必要としなかった。


 迷宮というものは一般論が通じないので、どういう場所に現れるのかが定まっていない。たとえば東京の名物迷宮である『新宿ダンジョン』なんかは駅の構内に入口があるし、富士山の四合目に入口を構える『冨士山ダンジョン』もある。


 S市のカミオカダンジョンは郊外の山の麓あたりに入口があり、スガイダンジョンは県道沿いの、ちょっと標高の高い位置にあるらしい。


 そして、ノウミダンジョン。

 最悪なことに、町の中にあった。


 ダンジョン入口の直近は、さすがに駐車場と迷宮支所くらいしかないようだが、そこからちょっと区域を外れれば、地方都市の繁華街だ。

 そして、件のノウミダンジョン入口あたりに、巨大なナニカがいた。


 二キロ先からでも視認できる。三つ首の蛇みたいなモンスターだ。一軒家ほどもある爬虫類の胴体から、全長三十メートルはありそうな蛇が三匹生えている。


「現地から情報! 推定S級上位、ヒドラ種! 地元の探索者数名がノウミダンジョン内に残留の可能性!」


 アイリの声が響く。いや、正確には違う。ここまで高速移動している最中では声という大気の振動はまともに機能しない。

 魔力によって『言霊』を恵美たちの耳に届けているのだ。


「大怪獣じゃない、あんなの……!」


 まるで八岐大蛇ヤマタノオロチだ。胴体は爬虫類のように見えるのに、何故か二本の足と長大な尻尾を使って直立している。胴から生えている三体の蛇はびたんびたんと地面を叩いているが――規模が大きすぎる。直近の迷宮支所も、周囲のほとんどの人工物も、とっくににされていた。


「あそこのビルの屋上に!」


 ヒドラから二百メートルほど離れた位置のビルが示された。高速移動の流れのまま、手近な建物の屋根に飛び移り、電柱の頂点を足場にして跳躍。ちょっと勢いをつけすぎたので、恵美は両手剣の腹を前方へ向け、空気抵抗を使って速度を落とす。


 着地成功。

 恵美よりも先に千鶴がビルに辿り着いていて、恵美にわずかだけ遅れてイルセリアとアイリが到着する。


 周囲は、ヒドラが暴れたせいか停電しているようだ。ちょっと遠くにはまだ街明かりが見えるが、近辺はひどく暗い。

 ただし、強力な魔物である証とばかりにヒドラの周辺が魔力干渉の光を放ち、その巨体が、夜闇の中で不気味に浮かび上がっていた。


「これなら氾濫してくれた方がマシだったわね。ヒドラ種だったら三つの首を同時に切り落とす必要があるわ。でもひとまず、アレの注意を引くわよ。一発撃ち込むから、行けそうだったら接近して首を落としてちょうだい」


 ジャコン! と担いでいた弓を展開させ、イルセリアは魔力の弦を引き絞る。放つのは実際の矢ではなく、魔力で形作られた魔法矢マジック・アローだ。

 S級ダンジョンの素材をアトランティスにあるエルフの国に持ち帰り、現代の人類では再現不可能な魔法技術によって地球の科学を参考にしつつ創られた伝説級レジェンダリーの弓だ、と自慢していたけれど……そりゃあ、自慢もしたくなるだろう。


 いわく――魔導弓『森の神の怒りミミングヴレーデ』。


 イルセリアがその華奢な身体を目一杯使ってぎりぎりと弦を引き絞り、魔力によって形作られた『矢』が目映いほどの光を放つ。次第に周囲へ拡散していた魔力が収束し、直視するのを躊躇うくらいの光量に。





 射撃と着弾が、ほぼ同時。

 銃弾よりも速く大砲よりも強烈な矢が、ヒドラの首をひとつぶち抜いて――夜空に一筋の光を曳いて、消えていく。


「今よ!」


 イルセリアが叫ぶが、言われるまでもない。魔導弓による射撃はおそらく恵美の全力での斬撃よりずっと強力だったが、見た感じ、あそこまでの威力がなくてもヒドラの首は斬れそうだ。

 千鶴と顔を合わせる時間も惜しみ、恵美はヒドラだけを見据えてビルの屋上を飛び出した。次の足場は、ビルよりちょっと低いなにかの店舗の屋根。その次は電柱の頭。そしてまた別の建物の屋根。


 それでもう、ヒドラは目の前。

 千鶴は左にいる。イルセリアがぶち抜いた首が、既に再生し始めている。恵美が狙うのは右の首。最後の跳躍。空気の壁を押しのけるような勢いで飛び上がる。


「はあぁぁぁ――!」


 裂帛の気合いと共に突っ込んで、両手剣を振る。

 技名なんてない。強いて言えば気合い一閃。遠近感の狂ったヒドラの巨体にゼロ距離まで詰めて、思いっきり首を斬った。


 そう――斬った。斬れた。切断できた。


 剣よりも太いヒドラの首を、明確に断ち切った感触。恵美は剣を振り切った状態で左を見る。千鶴が空中居合い斬りで左の首を落としたのが見えた。


「魔法防御!」


 アイリの『言霊』が届く。もちろん言われるまでもない。飛び上がって上空にあったヒドラの首を斬り、まだ滞空している状態では踏ん張りようもないが、それでも全身の魔力を集中させて衝撃に備える。


 時差は、一瞬のさらに半分。『森の神の怒りミミングヴレーデ』の矢が、再生し始めていた真ん中の首を吹き飛ばした。

 威力が高すぎて矢が着弾した瞬間にはものすごい衝撃波――たぶん、魔力による防御なしでは全身がバラバラになるような魔力衝撃――を受けて吹っ飛ばされるが、覚悟して備えていたので問題はない。


 癇癪を起こした子供がぶん投げた人形みたいに宙をぶっ飛ばされる。しかしA級探索者からしてみれば、衝撃波で吹っ飛ばされる程度、大したことはない。


 何故なら、空気抵抗というものがある。


 日常生活では感じることなどないが、高速戦闘下における大気というものは、壁なのだ。どんなに初速を出したところで、人間が受ける空気抵抗は半端ではない。これをどうにかするには魔力によって大気を掻き分けるような技術が必要になってくるが、まだ恵美は攻撃時の一瞬くらいしかできない。


 そして――こうして吹っ飛ばされているときの大気という壁は、クッションだ。

 あっという間に速度が落ちる。


 ぐるりと空中で姿勢を制御し、ぶつかりそうになっていた。全身のバネと魔力を用いた衝撃緩和。イルセリアとアイリがいるビルの屋上へ戻るか、ヒドラが出現したノウミダンジョン入口へ向かうか、わずかに迷って後者を選ぶ。


 ヒドラが暴れた時間はそれほど長くないはずだが、それでもノウミダンジョンに隣接している役所が潰されていて、周辺も荒れ果てている。いったいどれくらいの被害者がいるのか、そして今からどれくらい助けられるのか。


 恵美のそういった思考は、ほとんど言語化されない「そんな感じに思う」くらいの気持ちだったが、それだけに虚飾のない本音だった。

 国の金で探索者を養成する学校に入った。自分と同じ境遇の人たちがいて、親友ができた。国が雇っている『先生』や、元探索者である浜松菜々美たちの支援を受けてアンセムという探索者クランを結成し、リーダーをやって、楽しく活動している。


 だから還元しなければならない。

 恵美をバケモノ扱いした普通の人たちを、助ける義務がある。


「誰か――誰か、いますか!? 被害に遭われて、生きている方は――!」


 たったの三歩で吹っ飛ばされた分の距離を元に戻し、一軒家くらいに大きなヒドラの死骸を尻目に、被害状況を確認する。

 ひとまず、目につく範囲には被害者がいない。恵美は少し考えてヒドラが破壊した迷宮支所の跡を確認しようとして、違和感に気づく。


 なんで――


 ダンジョンが発生させた魔物は、死ねば魔核かレアドロップを落として消えるはずだ。それは『迷宮暴走』によって発生した魔物も例外ではない。


 なのに、振り返れば巨大な爬虫類みたいなヒドラの胴体が……まだ、倒れもせずに直立している。魔力の塵となって消える素振りもない。


「リーダー! 離れろ!」


 千鶴の大声が響いた。実際の声だ。

 ごく最近も聞いた覚えのある、悲鳴にも似た声。


「――――は?」


 見れば、ヒドラの胴体が膨れ上がって、破裂するところだった。

 一軒家と同じくらいの体積の胴体が内側から破られ、なにかの事故みたいに臓腑と血液をぶち撒けながら、先程より一回り小さな


 拙い、と本能的に悟る。

 体積が減ったのに、肌で感じる魔力の総量はむしろ増えている。つまり魔力の密度が高い。『森の神の怒りミミングヴレーデ』の一射で学習したのだ、もっと密度を高めないとぶち抜かれる、と。だから恵美や千鶴の接近に対してなにも反応しなかった……。


 思考はそこまで。

 津波みたいに押し寄せる大量の臓腑と血液を真正面から浴びて、恵美の意識は数秒間、掻き消えた。『迷宮暴走』の魔物の前で、数秒も。


 あっ、死んだな、と思った。




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