第二十八話




 河合咲穂は死にそうだった。二重の意味で。


 スガイダンジョンから出現した『大蛇オロチ』が暴れ回っており、ほんのわずかにでも巻き込まれたら一般人の咲穂は即死する、というのがまずひとつ。

 だって、五両編成の電車が縦横無尽に猛スピードでのたうち回っているようなサイズ感なのだ。鎌首をもたげたら、ちょっとしたビルを見上げるような高さもある。


 とにかく、デカい。

 それが、おそろしい速度で動き回る。周囲の全てをぐちゃぐちゃにしながら。


 そんな咲穂を肩に担いだ課長、元A級探索者の佐渡山浩二が、大蛇の攻撃というか身動みじろぎというか、とにかく大蛇の暴威を避け続けている。

 飛んだり跳ねたり、どうやってかは判らないが空中でなにかを蹴っ飛ばして軌道を変えたりして――冗談みたいな速度で、動き回って。


 そんな速度に、ただの事務員である河合咲穂はそろそろ耐えきれなくなりそうだ、というのが、もうひとつ。


「やば……やばい、です、課長……っ!」


「喋るな! 舌噛むぞ! つーか現状なにをどうしようがヤバいんだよ!」


 内臓がぐるぐるして平衡感覚も消え失せた咲穂は、既に顔面蒼白だった。もはや身体中に力が入らず佐渡山にしがみつくことも叶わない。佐渡山が咲穂を確保する手を離した瞬間に死が確定するだろう。


 怖い――と思う暇もない。

 具合が悪い。気持ちが悪い。意味が判らない。


 なんでこんなことに。

 どうしていきなり


「逃げ……逃げられ、ない、ん、です……か……」


「あのバケモノを引き連れて逃げろってのか!? 町中に被害が出るぞ!?」


 ああ、だからダンジョン入口の近くでバケモノ相手に闘牛士マタドールをやっているのか。もう目の前すら覚束ない意識の何処かで、咲穂は今更ながらに気づく。


 初手でなりふり構わず逃げることも、たぶんできたのだろう。

 けれど佐渡山はやらなかった。

 そして――そんな佐渡山を、恨めない。

 だって課長は咲穂を見捨てて闘牛士をやることだって出来たはずなのだ。たぶんその方が佐渡山自身は楽だっただろう。なのに咲穂を肩に担いで、二階建ての家屋よりも大きなバケモノを相手に時間稼ぎをしている。


「莫迦……です、ね……」


「その方が気持ちよく生きられるんでね。いや、まあ、この場合は気持ちよく死ねるって感じか。悪いね、河合ちゃん。たぶん、もう五分も保たない」


 とんっ、と軽い着地。

 咲穂にはどういう空中機動をとっていたのかは把握も理解もできなかったが、とんでもない速度で動いていたくせに、着地が軽すぎるのは不可解だった。元A級冒険者ともなれば、そういうものなのかも知れないが。


「一時間くらい逃げ回った気分だが……まあ、八分くらいか。そろそろ『大蛇』も俺を害敵と認識したか、あるいは面倒な相手だと感じて無視するって感じになるな。前者ならこっからが本番で、後者ならこっちからちょっかいかける必要がある」


「……逃げる、のは……?」


「嫌だね」


 即答だった。けれど、頼むから逃げてくれという気持ちには、咲穂はあまりならなかった。自分でも不思議だったが……たぶん、どうせ佐渡山がいなければとっくに死んでいたからだ。それはもう、間違いなく死んでいたはずだ。


 ならば――巻き込まれても、仕方がない。

 本当は嫌だけど。


 でも、嫌なモノが訪れてどうしようもないのは、人生だ。こういうことだって起こりうる。ものすごく不本意だが、佐渡山に一度助けられた分だけ、いくらかマシではないか。なんだかよく判らないうちに『大蛇』に潰されていた、なんて結末よりは、だいぶ……いや、ちょっとマシだ。


「来るぞ!」


 ぐっ、と佐渡山が全身に力を込めたのが伝わって、どうにか咲穂は顔を上げた。

 やめておけばよかった。


 何故なら、遠近感の狂った巨大すぎる蛇が、全身からバチバチと紫電を放ちながらこちらへ突っ込んで来るのが見えてしまったから。


 次の瞬間には、気を失いそうな加速感。

 内臓がひっくり返るような気分と、首のあたりにひどい痛み。交通事故に遭ったみたいな衝撃があったのだろう。ただ佐渡山が移動しただけで。


 次いで、轟音。


 大蛇の巨体が地面を抉り、突進のせいで周辺の木々を薙ぎ倒し、身体中に纏っていた紫電が、舞い上がった土煙に当たってと嫌な音を立てている。


「くっそ! マジか! 一瞬で魔力防御をぶち抜かれた!!」


 思わず、といったふうに佐渡山が絶望を口から吐き出す。

 ああ――もう、どうしようもない。

 八分なら四百八十秒、九分なら五百四十秒、もしかして十分間稼げたのであれば、六百秒も。それだけの時間で、この『大蛇』がどれだけの人を殺し、町を壊し、自然を壊すのかなんて判らないが、値千金の時間だったはずだ。


 もちろん、全くの無駄だったかも知れない。

 でも、この『大蛇』が発生させる秒間被害額を考えたら、結構なものだろう。もちろん咲穂が稼いだ時間ではないが……大功労者である佐渡山浩二と一緒に殺されるのなら、まあ、そんなに悪い死に方でもないのだろう。


 だって、後悔が――なさすぎる。

 あれをしておけばよかった、これをしておけばよかった、そういうものが咲穂にはないのだ。そりゃあ、死にたくはないけれど、ここでたとえば魂を売ったら生き延びられるなんて選択肢があれば迷わず選ぶくらいには死にたくないけれど。


 そんな選択肢なんて、現れない。

 普通はそんなものだ。


 轟音と共に反転し、再度こちらへ突進しようする『大蛇』の姿を眺めて、咲穂は胸の奥で覚悟を決めた。ろくな人生ではなかった。他者にを与えられなかったという点が特にひどかった。今更になってそんなことを思う。


 アンセムの子たちみたいに、誰かになにか、善いモノを与えるべきだった。少なくとも、そうしようとするべきだった。自分の境遇と立場に不満を抱きながら、かといって職を変えるでもなく、迷宮支所で延々と配信者を眺めて……気まぐれで早坂透に冤罪をかけたりして、あまりにも愚かだった。

 私は、自分の価値を稼ごうと思うことすらせずに生きていたのだ。

 そのことだけは、後悔と言えるかも知れない。

 もちろん、本当に今更だ。

 それに……ちょっとそう思う、くらいの軽い気持ちだ。死の間際に心の中を引っ繰り返して残ったのが、そんなちっぽけな気持ちだっていう、それだけのこと。


 はぁ、と息を吐いて、ぎゅっと目を瞑る。

 できれば一瞬で、あんまり痛くないのがいい。致命傷を受けてしばらく生き延びてしまうのだけはやめて欲しいけど、そんな心配は要らないだろう。

 あんなモノが突進してきたら、もう無理だ。



――――」



 なにか、声が。

 胸の内側を揮わせる、凜とした声が。



◇◇◇



「――――!!」



 声がした。

 と思った瞬間には、目を瞑っているはずの咲穂の目の前が真っ白になるほど大量の、すさまじい光がぶち撒けられた。


 次いで、衝撃。

 なにか爆発したような音――いや、音なんて聞こえない。耳がおかしくなった。けれど身体に伝わる衝撃が、何事か起きたのだと咲穂に理解させる。


 頭がと揺れている。

 身体の何処かをぶつけたような気もする。

 いつの間にか、佐渡山のスーツの感触が消えている。

 衝撃で一緒に吹っ飛ばされて、佐渡山が咲穂を担いでいられなくなった……?


 ということは、どっかに吹っ飛ばされて、咲穂は地面に転がっているということになる。目は眩んだまま、頭はくらくらしたまま、それでもどうにか手探りで周囲を触ってみれば、ざらざらした砂利や土の感触があった。


「――、――――、――ッ!」


 誰かがなにかを叫んでいる、ような。

 まだ耳が聞こえない。でも、眩暈は治まってきた。

 頭痛を堪えるみたいに額へ手をやって、どうにか目を開ける。



 ――



 そしてまた、あまりにも眩い光と、衝撃波。

 風圧が物理的な衝撃となって咲穂の身体に襲いかかり、せっかく眩暈を堪えて顔を上げていたというのに、また前後不覚になって吹っ飛ばされる。


 次に訪れたのは、また衝撃と、轟音。


 なにか巨大なモノが……たとえば『大蛇』の巨体が、上空に吹っ飛ばされた後に地面に激突したら、このくらいの感じになるかも知れない。

 それに……音が聞こえてきた。

 まだちょっと聞き取り難いが、なにも聴こえない状態ではなくなった。


 目を開ける。

 やっぱり地面に転がっていたので、身体を起こす。


 見知ったスガイダンジョン入口付近の広場が……もう、めちゃくちゃだ。アスファルトのほとんどは捲れたり、ひび割れたり。周辺の木々は強烈な竜巻の後でもこうはならないというくらいに薙ぎ倒されている。電柱も電線も、ダメ。

 濛々たる土埃が舞い上がっていて、ちょっと呼吸したら咳をしそうになるほど。


 そんなの向こうに――『大蛇』の死骸。

 魔物である以上、死が訪れた後は、光る塵を撒き散らしながら消えていって……その跡地に、軽鎧の女剣士が、立っている。


「りゅ……『竜殺し』か!」


 気づけば咲穂のすぐ近くで咲穂と同様に身を起こしていた佐渡山が、女剣士に向かって言った。夜闇と土埃の中でもはっきり判る白金色の髪に、ひどく神聖な青白い光を帯びた西洋剣――聖剣ライトブリンガー。


「サドヤマだね。もしかして、現場に居合わせて時間稼ぎをしてた?」


「……あ、ああ……。だが、なんであんたが……」


「ごめん、急いでるから、また後で。トール! こっちこっち!」


 佐渡山との会話など些事、とばかりに竜殺しの女剣士――ティアは、持っていた聖剣を腰の後ろあたりで保持し直し、トールの名を呼んだ。


 トール……早坂透?


 はっとしてティアが声をかけた方を振り返れば、そこには見知った軽自動車が、交通事故の後みたいな有様で、辛うじてエンジン音を響かせている。


 運転席のドアを開けて降りて来るのは、無論――早坂透。


「おまえ、俺のことも守るとか言ってただろ! 放置じゃねーか! 生まれて初めてエアバッグなんか味わったぞ!」


「そんなの後でいいって! とりあえずこっちの『迷宮暴走』は大物が一体のパターンだったっぽいよ。久しぶりに五割以上の力で聖剣を使った。あれだけの魔物が出てきたんだから、魔物の大軍が溢れ出す感じにはならないはずだよ」


「あのクソデカブツを二発で処理してまだ五割かよ?」


「でっかいから力一杯で斬りかかっても当たるんだよ。人間サイズだとそうはいかない。魔王級だとごりごりの削り合いになるからね……って、それはいいんだよ!」


 早く早く、と早坂透を急かすティア。

 まるっきり佐渡山と咲穂のことなんて意識の埒外だ。


「つーか、佐渡山さんと……河合さんか。巻き込まれたのか。大丈夫すか?」


 と、早坂は普通に佐渡山と咲穂へ声をかけてきたが、返事をする暇はなかった。


「そんなの後でいいって! 生き残ったんだから後でいくらでも話せるよ! ノウミダンジョンに向かわなくちゃ! ほら、急いで!」


「急ぐもなにも……車ぶっ壊れたよ。バックしようとしたらギア入らなかったし、エアバッグ出ちまったし、おまえは助手席のドアぶっ壊して引き千切っちまうし。どうやってノウミダンジョンまで行くんだ?」


「ノウミダンジョンって、ここからだとカミオカダンジョンを挟んで反対側にあるんでしょ? 車って便利だけどさ、あんなに道がぐにゃぐにゃしてるんじゃ、速度が出てもあんまり意味がないよ。ボクが走った方が速い」


 言って、ティアは腰の後ろで地面と平行に保持した聖剣を見せびらかすようにする。犬が尻を振っているような調子だったので、場違いな愛らしさがあった。


「……それ、マジか?」


「特等席ってやつだね。聖剣に腰を降ろして、勇者に運んでもらうだなんてさ、あっちの世界でもなかったことだよ。ほら、乗って乗って!」


「……あー……まあ、仕方ないか」


 逡巡は、ほんのわずかだけ。

 早坂は意外なほどの躊躇のなさでティアが腰の後ろで保持している聖剣に乗り、変則のを決行した。ティアの方が早坂の姿勢をあれこれ指示してポジションを調整した後は、もう、あっという間。


「いいかい、ボクの方で固定してるから落ちないと思うけど、トールの方でもボクのことをちゃんと掴んでてね! 油断してるとひっくり返ると思うからさ」


「おい、いきなり全力疾走すんなよ? こっちだってオバケに背負われて移動するのなんて生まれて初めてなんだか――」


 

 と言い切る前に、ティアは走り出した。


 なにかのコミックで見るみたいな、土煙を巻き上げて、呼吸一回する間に、もうずっと遠くまで……おそらくだが、本当に車より速く走っている。


「…………」


「…………」


 たっぷり十秒以上、咲穂と佐渡山は無言を維持した。

 ティアが言うように「そんな暇はない」のが本当のところなのだろう。『迷宮暴走』が起きて、佐渡山が時間稼ぎをしたら奇跡的に駆けつけた竜殺しの女剣士が『大蛇』をあっさり屠ってくれたが……問題が片付いたのであれば事後処理が必要だし、そもそもノウミダンジョンの方でも『迷宮暴走』が起きているという。


 でも、咲穂がやるべきことは、特になかった。

 とりあえずは、命があるという当たり前を噛み締めるくらいだろうか。


 あるいは、上司の指示があれば……定時は過ぎているが緊急事態なので仕方がない。残業するのも悪くないかな、と咲穂は思った。


 まあ、その……職場は壊滅状態なのだけれど。




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