第二十七話




 瞬間、世界が入れ替わった――ような感覚を、トールは覚えた。


 一瞬前までカミオカダンジョン十四階層のボス部屋で休憩を取っていて、もう少し休憩はするけど配信は再開しよう、なんてタイミングだった。

 そのはずなのに、何故だか夜空の下にいる。

 足元は土と草。整地だけされてアスファルトもコンクリートも敷き忘れたような、真っ平らな地面。夜のひやりとした空気。何処からか響く虫たちの声。


 つまり、外に出ている。


 あまりにも意味不明だった。

 周囲を見回せば『アンセム』のメンバーもトールと同様「全く意味不明です」という表情をしている。エルフのイルセリアですら困惑と動揺を隠せていない。唯一、撮影係の新宮紗凪だけが持っている撮影用カメラを動かし、きょろきょろと周囲を撮影していた。その撮影根性にトールは少し感心してしまったが……そんな場合ではない……いや、どうだろう。そんな場合なのか?


 はっとして、なんとなく手に持って配信をつけっぱなしにしていた携帯端末を見てみれば、新宮紗凪の撮影している『自分たち』の様子が配信上に映っている。


“なんぞコレ?”

“急に外に出た?”

“ボス部屋で休憩中だったはずだろ”

“全員困惑してる”

“いや、ティアちゃんが”


「――!」


 わざわざ大声を出して走り出したティアが、あっという間に五十メートル先まで辿り着き、そこにいたらしい何者かを殴りつけたようだった。


 トールとしては未だに事態の推移が理解できず、間抜けのように突っ立っていることしかできなかったが……それでも、頭の片隅が動き出してくれた。

 どうしてティアがいきなり走り出して誰かを殴りつけたのか。

 そいつが『悪いやつ』だからだろう。

 ここは考えるまでもないことだ。殴るべきだと考えたから殴りに行った。ではティアが『封印』と言ったのは……『迷宮』を『封印』したということか?


 カミオカダンジョンが封印されたから、中にいた自分たちが外に……?


 しかし、迷宮を封印?

 なんのために? 誰が? そもそもどうやって?


「トール! こいつ、あの会議のときにいたやつじゃないかな!」


 殴り倒した相手の襟首を掴んで引き摺りながら走って戻って来たティアは、質の悪い配達員よろしく、そいつをトールへ向かって放り投げてきた。

 スーツの、初老の男だ。

 本当に手早く的確に失神させられたようで、殴られたはずなのに外傷が見当たらない。白目を剥いており、どうやら呼吸しているらしいことは判るが、気絶した初老の男というものはなんとも不気味だな、と場違いなことを思った。


「あー……っと、誰だっけ。いたと思うけど」


 がりがりと頭を掻きながら記憶を辿るが、顔と名前が一致しない。

 少し待って、カメラが倒れている男を映したのを確認してから、トールは端末を見た。コメントの方が当てになるという判断だ。


“笹森武じゃねーか!”

“なんでこんな場所に炎上中の笹森議員が?”

“よく忘却できるなトールニキ”


「笹森議員だそうだ」


“コメントでカンニングすんなwww”


「俺、途中で帰ったし。なんでこいつ炎上してんの? いや、炎上してる理由は判るんだけど……つーか……なんでこいつ、こんな時間にこんな場所にいるんだ? ていうか、カミオカダンジョンは……?」


「だから、この男が『封印』したんだと思うよ。状況証拠的に、この男しかいない。もしくはこの男をここまで連れて来た誰かが犯人っていう線もあるけど――」


「トールくん!」


 話し合うトールとティアに割り込む形で『アンセム』のリーダー、斉藤恵美が大声を出した。それもただの大声じゃない。悲壮、とでも表現すべき声音と表情だったので、さすがにトールもぎょっとする。

 恵美が手に持っているのは、携帯端末だ。

 たった今、何処かと通信したのだろう。


「ねえ、落ち着いて……落ち着いて聞いてね? ノウミダンジョンと、スガイダンジョンが……『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』を起こした、って……」



◇◇◇



 、と。

 通電している二本の銅線を直接繋いだような、乱暴な覚醒。何処か他人事だったトールの意識が――当事者になった瞬間、自分でも驚くほど冴え渡った。


 あるいは『妖刀カゲツ』の経験か。

 もしくは『聖剣ライトブリンガー』と接続しているが故か。


 そんなことは確認のしようもないので一切考えず、トールは瞬間的に空を確認し、月の位置を見つけ、周囲をぐるりと見回してから走り出した。


「トール!? 何処に行くのさ!?」


 ティアが驚きながらもついて来る。きっと彼女は緊急事態に慣れているのだ。聖剣を振るっていた生前、それこそ数え切れないほどの修羅場を潜ってきたに違いない。


「スガイダンジョン」


 答える間も惜しく、端的に吐き出して、走り続ける。

 すぐに目的の場所に着いた。駐車場だ。さっきまで立っていた場所がカミオカダンジョンの入口があった場所、と仮定して駐車場の位置を割り出したのだが、ほとんど勘任せだった割に正解だった。


 ポケットからキーを取り出し、ロックを開けて後部座席に鉄筋鈍器を放り投げ、運転席へ滑り込む。ティアも助手席のドアを開け、背中に担いでいたライトブリンガーを身体の前に回し、抱きしめるようにしてシートへ身体を滑らせた。


 エンジンをスタートさせ、シフトレバーをバックに入れた瞬間、ばんっ! と窓を叩かれた。小さな掌。エルフのイルセリアだ。全力疾走したトールに追いつくことなど造作もないのだろう。


「スガイダンジョンに向かうと言ったわね!」


 窓を開けさせる手間を惜しんだのか、イルセリアは車内のトールに聞こえるような大声で言った。トールの方は怒鳴るのが面倒なので普通に頷いた。


「私たちはノウミダンジョンの『迷宮暴走』鎮圧に向かう。先に終わった方が、もう片方に向かう。いいわね!」


「いいよ! そうしよう!」


 勝手に返事をしたティアだったが、文句を言うのは後回しにした。イルセリアが車から離れてくれたので、今度こそアクセルを踏み込んで方向転換し、シフトレバーをドライブに戻して出発させる。

 気は急いていても、プロのドライバーでもあるまいし、アクセルべた踏みで車を制御することは出来ない。制御できる範囲で、どうにか急いだ。


 カミオカダンジョンの駐車場を出て、市道から県道へ。ノウミダンジョンへ向かうにもスガイダンジョンに向かうにも、ここからだと十五分はかかる。

 法定速度を無視して、道が空いていれば……それでも十分。


 六百秒で、一体どれくらいの被害が出るか。

 もちろん『迷宮暴走』の種類や規模にもよるだろう。

 現状、なにも判らないのだから、気にしても仕方がない。


「道がぐにゃぐにゃしてるせいで、もどかしいね」


 ヘッドライトが照らす夜の県道に目を細め、ティアが言った。


「ああ」


 と、トールはそれだけ答える。山の多い日本の県道は曲がりくねっているのが当たり前で、それをもどかしいなんて思ったことはなかった――今の今までは。


「スガイダンジョンの『迷宮暴走』を、どうにかするつもりなんだろ?」


「ああ」


「どうして?」


「……あぁ?」


「だって、トールには義務なんてないだろう? 昔のボクみたいに、聖剣の使い手なんだから魔を討ち払うべし、みたいなことだって言われてない。大きな力を持ってるんだから大きな責任があるはずだ、なんてことも、今はまだ言われてない」


 ティアの口調には、何処かしら厭世観が漂っていた。

 おそらく彼女は彼女が言ったようなノリで責任を押しつけられてきたのだろう。そんなふうに察することはできるが、その責任を放り投げなかったのはティア自身じゃないか、とも同時に思ってしまう。


 本当に嫌なら――心底から知ったことかと思ったなら、なにもかもを何処かに消えればいいのだ。


「『封印』ってのは、なんだ?」


 と、だからトールはちょっとずれたことを訊いた。

 ティアは酸っぱいものでも口に含んだような顔をして、頷く。


「『迷宮』を消し去るアイテムがあるんだよ。……っていうか、ボクのいた世界では存在したんだ。そもそも『迷宮』は最奥の迷宮核ダンジョン・コアを壊せば消えるんだけど、外側からその迷宮核を機能停止させる、みたいなアイテムがあった」


「それで、なんでカミオカダンジョンが消えたらノウミダンジョンとスガイダンジョンが『迷宮暴走』を起こしたんだ? 関係あるだろ、たぶん」


「勘で言うけど、たぶん三つの迷宮は繋がってるんだ。トールがスガイダンジョンの転移罠を踏んだのにカミオカダンジョンに出たのは、なんていうか、魔力的に繋がってるからだと思う。たとえば全体で六十の魔力を、三つの迷宮で共有してるとして、カミオカダンジョンに三十の魔力容量があったとすれば――」


「カミオカダンジョンが消えたせいで、その三十の魔力が残りふたつのダンジョンに流れた。容量オーバーしたから『迷宮暴走』が起きた、ってことか」


「たぶん、ね」


 迷宮を放置し続けると『迷宮暴走』が起きる、という理屈とも整合性は取れている。とにかく迷宮が持っている容量を超えさせると拙いのだ。

 そういう意味では、トールが底辺掃除屋として低階層の魔物を狩り続けていたのは無意味ではなかったと言えるが――まあ、そんなこととは無関係に、こんなことになってしまったので、やはり無意味だったかも知れない。


「ねえ、トール。さっきの答えを聞いてないんだけど」


「なにが?」


「なんでスガイダンジョンの『迷宮暴走』をどうにかしようって思ってるのか」


「あそこ、俺の家の近くなんだよな」


「……は?」


 ぽかん、とティアが間の抜けた顔になった――ような気がした。かなりの速度で車を走らせているので思いっきり助手席を見ている余裕はなかったが。

 だからというか、トールはティアの表情や彼女が抱いている困惑には構わず、少しだけ強くアクセルを踏み、思ったことを口から垂れ流す。


「家からスガイダンジョンまで、車で十五分くらいだ。途中にある二十四時間スーパーは、仕事帰りによく使ってた。もうちょっと行けばコンビニもあるしな。オンボロアパートの隣室には猫獣人の親子が住んでて、なんでか知らないけど母親の方は俺に馴れ馴れしい。水商売をやってて、夜にはたまにミカを俺に預けてくる。ミカはあの年代のガキにしては大人しくて、なんつーか、思慮深いって言うんだろうな。自分の生まれとか境遇がそうさせてる、と思う。あいつの環境を改善したりは俺にはできないけど――まあ、悪くない隣人だ。別になにをしてやるわけでもないけど、寂しいガキをちょっと預かって、そのガキは親が帰ってきたら勝手に家に戻る。ほんのちょっとだけイイコトをした気になる」


「……トール……」


 ティアがどんな表情をしているかなんて、トールは気にもしなかった。県道を時速九十キロで進む自動車が、ひどく遅く感じるという事実に苛ついていた。


「十七の頃、祖父さん祖母さんの家に親と出かけたら『迷宮暴走』に巻き込まれた。かなり小規模だったけど、俺以外の家族は全員死んだ。暴走の鎮圧に当たった探索者に恨みなんかねぇよ。もっと上手くやれたはずだなんて思ってない。できる範囲で、みんな、自分のやるべきことをやったはずだ。俺たちは基本的には『よかれと思って』毎日生きてるんだからな。、なんてのは寝言だ。なんだっていう、それだけの話だ。俺も、おまえも、他のみんなも」


 目の前には、無数の選択肢がある。

 ついこの間までの早坂透であれば、いつだって掃除屋なんか辞めて、まともな就職をするために職業訓練校に通うこともできた。

 でも、そうしなかった。


 探索者にとっては旨味のないD級ダンジョンであろうが、誰かが入って魔物を倒さなければ、いずれ『迷宮暴走』を起こす――その可能性が増える。

 早坂透がトールとして掃除屋を続けていれば、わずかなりともその可能性を減らせるのだ。別にトールがやらなくても他の誰かがやっただろう。けれど現実として、三年間、市の迷宮課は早坂透にスガイダンジョンの清掃を委託し続けた。


 探索者にはなれなかったが、それでもダンジョンに関わって、ちっぽけな自分の役割を果たし続けていた――誰になにを思われようが、それでよかった。


 自己満足だ。

 自分を満足させて、なにが悪い?


 今回、エルフに腹を立てたのに安い土下座ひとつでアンセムに同行したのだって、別に彼女たちを心から許したからじゃない。そこまでトールの心は広くない。結局のところ、話を呑めば自己満足の続きができるからだ。

 じゃあ最初から怒るなよと我ながら思うが、どっちもトールの本音なのだ。

 魂を売ってまで奉仕活動をしたいわけじゃないが、ちょっとの我慢もできないほどじゃない。ムカついたから怒りを示した。ひとまずの謝罪があって、金が払われた。そうして、迷宮探索に同行できた。


「俺の両親も『迷宮暴走』が起きるなんて判ってたら、祖父さんの家になんか行かなかっただろうさ。祖父さんと祖母さんを事前に避難させることもできたはずだ。でもそうはならなかった。当たり前だ。ただの一般人に未来なんか見えるわけがない。あんなもん、誰にも、どうにも、できなかった」


 軽自動車のエンジンが、高回転に悲鳴を上げ始める。

 いつの間にか、時速百二十キロ近く出ていた。



「――



 凜、と胸の奥まで響くような、勇者の声。

 けれどトールは助手席を見なかった。

 道の向こう、ようやく視認できる距離まで近づいたスガイダンジョンの入口――三年間通い続けたトールの職場で、なにか巨大なモノが動いているのが見えた。


 街灯などほとんど存在しない夜闇の中だというのにそれが見えたのは、魔物が体外に洩らしている魔力が大気中のなにかしらに干渉して光を放つからだ。


 ダンジョンの壁がそうであるように。

 本質的に――この世と相容れないとばかりの、発光現象。


「巨大な蛇型の魔物だね。土着信仰をベースにした幻想種だ。大抵は理性なくひたすら暴れ回って、その巨体で周囲を破壊するし、でっかい口で身近なモノを喰い漁る。厄災を具現化したような魔物だよ」


 言って、ティアは走行中だというのに助手席のドアを思いっきり開き、あろうことか派手な音を立てて引き千切った。

 一瞬前まで自動車のドアだったものが道路に打ち捨てられ、こっちが高速で移動しているせいで、あっという間にはるか後方へ。


 前方には、二階建ての家屋よりも巨大な『大蛇』。

 急に掘り当てられたミミズみたいに激しくのた打ち回り、ティアが言うようにそれだけで周辺の木々だのアスファルトだのが壊されまくっている。通い慣れたダンジョン支所は、とっくに壊滅状態になっているようだ。


「おい――!」


 なにをしやがる、と思った瞬間には、ティアは聖剣を抱えたまま身を翻し、軽自動車のルーフに陣取った。時速百二十キロで走る自動車の屋根の上に。


「トールから離れすぎるとボクの現界が解けてしまう。だから、あのデカブツにぶつかるくらいの気持ちで近づいて! 絶対に倒すし、トールのことも守るよ!」


 そんな無茶苦茶な、と思う気持ちが、三分の一。

 残り三分の二は――こいつが言うならできるんだろう、という納得。


「アンセムに感謝だな。金もらっといてよかった」


 言って、トールはもうはっきりと目視できる巨大な『大蛇』に向かって、アクセルを踏み込んだ。





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 モです(挨拶)。

 ここから29日まで毎日更新になります。

 27、28日は0:00に更新、29日は0:00、08:00、12:00の三回更新です。


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