第二十六話
スガイダンジョン支所の自席で端末を眺め続けていた河合咲穂は、出入り口の自動ドアが開かれる音に気づき、少し遅れて、定時を過ぎていることにも気づいた。
もうとっくに午後九時を回っている。
定時から四時間以上も支所に居座っていた計算だ。
「まぁだ明かりが点いてると思えば、河合ちゃん、店仕舞いしてなかったのか」
現れたのは佐渡山課長だった。
昨日行われた県庁での会議で竜殺しの女剣士にぶっ飛ばされたのは視聴していたが、早坂透とティアが退室した後、めりこんでいた壁の中からなんでもないような顔をして出てきたところは配信に映っていた。が、その後はもう佐渡山の姿がカメラに写ることはなかったので、もしかすると割とダメージがあったのかなと少し心配していたのだが……見た限り、普段通りだ。
「課長……」
「やっぱり『アンセム』の配信を見てた?」
「ええ、まあ……」
やや緊張しながら頷けば、佐渡山は普段通りの気の抜けた笑みを浮かべ、雑に手を振った。本当に普段通りで、拍子抜けしてしまうほど。
「処分の件に関しては、さしあたり気にしなくていいよ。河合ちゃんを減給したりクビにしたりすれば済む話じゃなくなってる。そもそも早坂くん、たぶん河合ちゃんに対して怒ってないね。良くも悪くも、だけど」
「怒ってない……ですか」
確かに、会議の配信に映っていた早坂透は、河合咲穂や佐渡山浩二に対して怒っているふうには見えなかった。それどころか、どう考えても義憤を覚えて然るべきだった県議や市議、市長に対しても、早坂透はあまり怒りを見せなかった。
まあ、話が進まない点に関しては非常に不快そうだったが。
今日の配信では『アンセム』のS級探索者、エルフのイルセリアと口論になる一幕もあったが、あれに関してはイルセリア側が突っかかったからだろう。
いつもかったるそうな調子なので判り難いが、咲穂が早坂透の集めてくる魔核の量に言いがかりをつけたとき、彼は『配信』をして証拠を残すという選択をしたのだ。言われっぱなしになるタイプじゃない。イルセリアに対するように咲穂に対してキレなかったのは、仕事を続けたかったからだろう。
となれば、早坂透は今後もアンセムと仲良くやっていきたいなんて思っていない、ということになる。別に縁が切れても構わないから、ああやってイルセリアに対してキレてしまえたのだ。……まあ、たぶん。
「幸か不幸か……いや、明らかに不幸だな。我らが××県S市は、今や日本中の注目の的だ。笹森議員も、まあとんでもない科白を吐いてくれたもんだ」
「課長、ブチキレてましたもんね」
「お恥ずかしい限りだよ。でもまあ、元探索者としてはねぇ……さすがに、腹に据えかねた。もうおっさんなのに、自制が利かなかったよ。ははは……」
「大丈夫だったんですか? 壁にめり込んでましたけど」
「はっはっは。これでも元A級なんで、あれくらいは、ね。それに『竜殺し』の方もかなり手加減してくれたみたいだし。いやぁ、あの状態で早坂くんたちが退室するまで黙って待ち続けて、その後で壁から出てくるの、マジ気まずかったよ」
「でも、おかげで課長はネット上でバッシング受けてないみたいですよ」
「不幸中の幸いってやつだねぇ。それで『アンセム』の配信はどんな感じ? カミオカダンジョンに潜ってるんでしょ?」
時間も忘れるほど集中して視聴していたのは事実なので、咲穂は小さく溜息を吐き、説明してやることにする。
「今はちょうど十四階のボス部屋に入って、休憩中ですよ。ボスがいなかったんです。常識外れに強力なボスが出た後のボス部屋って、たまにボスが湧かなくなる場所になるそうで、それじゃないかって」
「さすが、詳しいね」
改めて端末に目を落とせば、配信は切れていないが画面には『休憩中』のテロップが流れており、音声も拾っていない。チャット欄でたまにメンバーの誰かが視聴者に語りかけるための書き込みをしているのは、アイドル探索者らしい気配りといったところか。リーダーの恵美の書き込みが多く、治癒魔法使いのアイリが次点、エルフのイルセリアも偉そうなことを書き込んでは視聴者にいじられている。千鶴は文字入力が苦手らしく、滅多にコメントを書き込まないが、たまに千鶴の発言を恵美が代わりにコメントしてくれることがある。
彼女たちのそういうところが、咲穂は好きだ。
自分たちみたいな名もなき視聴者から「元気をもらっている」と、臆面もなく言ってのける。「力になる」と、それこそ力強く言い切ってくれる。
「視聴者のことを考えて、夜の十時あたりまでは休憩すると思います。深夜帯の視聴者もいるので、たぶんそこから中層を抜けて下層に行くんじゃないかと。まだ休憩はするでしょうけど、そろそろ配信は再開すると思いますよ」
「ふぅん……なるほど。それじゃあ河合ちゃんも店仕舞いして、帰ろうよ。なんなら送っていくけど……いや、車通勤か」
「ええ、はい。佐渡山課長は、これからどうするんですか?」
県議を引っ掴んで引っこ抜いて床に叩きつけたのは、はっきりと配信に乗ってしまっている。ことによっては県議から訴えられることもあるだろうし、市の迷宮課の課長であるからには、市長の判断で処分されるかも知れない。
まあ、それは咲穂も同様だ。現場からの異常に関する報告を、勝手な判断で握り潰した――名前までは配信で言っていなかったが、調べればすぐに判ることだ。
「さて、ね。上の方だって風向きを読むだろうし、世論次第じゃないかねぇ。ぶっちゃけ、こんなに注目されるなんてことは初めてだろうから、上手く立ち回れるかは疑問だけど、立ち回ることはしなきゃならんでしょ」
「まあ……そうですね」
SNSのアカウントを消して『なかったこと』にする、みたいな対処ができる状況じゃない。これから自分たちが、この町が、一体どうなるのか……。
そんなもの、咲穂に判るわけがない。
はぁ、と溜息を吐いて『アンセム』の配信を一旦閉じる。それから仕事用の――仕事などないが――端末を操作して電源を落とし、支所の『店仕舞い』をこなしていく。毎日の業務だけに、大したことを考えなくても身体が自動的に動く。
あれこれ済ませて、最後はセキリティを起動し、裏口から出た。
佐渡山も結局最後までつき合ってくれたが、お互い奇妙な気まずさがあって、ちょっと笑ってしまう。
「佐渡山課長。結局、明日も普通に出勤するしかないんですよね……?」
「まあそうなるねぇ。俺の方も市長か副市長あたりからなんか言われるまでは、通常業務だよ。といっても、カミオカダンジョンに『アンセム』が潜ってる間は、ノウミダンジョンの方も閑古鳥――……あぁん?」
不意に佐渡山が言葉を途中で切り、スガイダンジョンの入口側へ視線を向けた。
既に夜の帳は降りていて、ライトアップされているわけでもない迷宮の入口など支所からいくら近いといっても、形すらおぼろげだ。
なにが気になったのか咲穂にはまるで判らず、佐渡山が目を細めて視線を注ぐスガイダンジョンの方をなんとなく見てしまうが、やはり暗闇があるだけ。
どうしたのか、と声をかけようと思った。
一体なにが気になるのか、そう訊こうとして――ゾッとした。
身体の内側から凍らされているような悪寒。
息を吸って吐くことですら
「これは……ヤバい、か……?」
明確に佐渡山の表情が歪み、次の瞬間には咲穂の身体が持ち上げられた。気がつく間もないほどの一瞬で、荷物みたいに担がれて――ぐっ、と重力を感じる。
遊園地の絶叫マシーンに乗ったときみたいな、急加速感。
地面が離れていく。咲穂を担いだまま佐渡山が跳躍したのだ。なんだってそんなことをするのか全く意味不明だったが、足元を巨大なナニカが高速で通り過ぎて、ああ――アレを避けるために咲穂を担いで飛んだんだ、と判った。
でも、判らない。
なんで巨大なナニカが、こんな場所に? なんで佐渡山はそれに気づいた? いや、それは彼が元A級探索者だからか。咲穂が悪寒を覚えるよりも何秒か前に『巨大なナニカ』に気づいていた。
とんでもない破壊音が響き、一瞬前までスガイダンジョン支所だった建物が、子供が蹴っ飛ばした砂の城みたいに崩壊している。
「くそっ! マジかよ。グレイトワーム……つーか、
毒突く佐渡山の声音が切羽詰まっていた。
腹が立っているというより、明確に余裕がない。
そして、そんな余計なことを考えてしまうくらい、咲穂は混乱していた。目の前の状況が整理できず、とりあえず判ることだけ把握しているのだ。
ダンッ!
と、佐渡山が着地した。そりゃあ、跳んだなら降りるしかない。結構な高さまで飛んでいたようで、着地の衝撃がひどかった。肩に担がれている咲穂の口から、どうしようもなく「ぐぇっ!」なんて声が漏れてしまう。
「大丈夫か、河合ちゃん!」
「大丈夫じゃないです! なんなんですか、あ――キャアアァ!」
言ってる最中にまた飛んだ。浮遊感。真下を大蛇が通り過ぎ、そこにあった全てのモノを挽き潰したのが判った。
あまりにもデカい。
まず大蛇の頭がちょっとしたプレハブ小屋くらいある。いや、もっとあるかも知れない。胴の長さは、高速で動き回っているし――こちらもあちらも、だ――おまけにうねうねしているのでやはりよく判らないが……たぶん十メートルくらい? もっとある? たぶんもっと。判らない。なにも。なにもかも。
「舌噛むなよ!」
着地、そしてまた跳躍。佐渡山に担がれた状態で、景色が目まぐるしく変わっていく。すぐに方向感覚が消え失せ、吐き気がきた。けれど降ろせとはとても言えない。あのバケモノに食われるか、挽き潰されるだけだ。
「佐渡山だ! ああ! 迷宮課の課長の佐渡山だよ! 現在スガイダンジョンから巨大モンスターの出現を確認した! おそらく『
恐るべきことに、咲穂を担いだまま大蛇の突進を避けつつ、佐渡山は迷宮課の緊急回線に通信を入れているらしかった。
もはやグロッキーになっている咲穂だったが、その会話の行き先に安心が待っていないことは、なんとなく理解できた。
だって、佐渡山がこう怒鳴ったのだから。
「カミオカダンジョンが消失して、ノウミダンジョンの『暴走』も確認された!? 応援は先に確認されたそっちに行ってる!? 冗談じゃねぇぞ!」
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