第二十二話




「ちょ――チヅル! なにをしているのよ!?」


 がたんっ、と音を立てて席から立ち上がったのは、トールが『有能高潔エルフ』と評したイルセリア・リュミエステルだった。

 マネージャーの浜松菜々美は事態の推移についていけないのか、焦ったような表情でトールとイルセリアと土下座女――神楽坂千鶴へきょろきょろと視線を彷徨わせていたが、彼女に構う者はいなかった。


 なにしろ土下座がキレイすぎる。


 ジャパニーズ・ドゲザというやつは、純日本人のトールであってもフィクションの世界でしかお目にかかったことのないものだ。気の遠くなるくらい昔、まだ祖父母が生きていた……ちょうど『連鎖迷宮暴走チェイン・スタンピード』が起きていた頃に、時代劇で見たことがあるだろうか。その祖父母は『連鎖迷宮暴走』の時代を生き延びたのに、随分と後に起きた『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』に両親共々巻き込まれて死んでしまったが。


「謝罪をしているに決まっているだろう! イルセリア! 貴様は私たちの恩人に、なんたる態度をとっているのだ! 菜々美もだ! おまえはどうして自分の用件を先に話した! 先にするべきことがあったのではないか!」


 土下座を維持したまま怒鳴る神楽坂千鶴の声が、めっちゃでかい。

 この時点でトールはかなりうんざりしてきて、一瞬前まで感じていた怒りなど霧散していた。リアルに、目の前で、女が自分に対して土下座しているという絵面は、なんというか――あまり気持ちのいいものではない。


「早坂様、本当にすみませんでした! 言い訳のように聞こえるかも知れませぬが、会議の様子を配信すること、早坂様の合意があるものと思い込んでおりました。まさか事後承諾だったとは……本日もわざわざご足労いただいたというのに、あまりにも無礼が過ぎる! 恥で死ねるのなら私は既に息をしておりませぬ! この腹を掻っ捌いて謝罪の代わりとしたいところではありますが、この神楽坂千鶴の命は国民のために使うと決めております。安い土下座になってしまいますが、せめて謝罪の意思だけはお伝えさせていただきたく! 腹を割くことはできませぬが、私にできることであれば、なんなりと申しつけください!」


 ものすごく滑舌がよく、腹から声を出しているものだから、侍ガールの謝罪は一流ホテルの一階ロビーに響き渡っていた。


「あー……神楽坂さん、っすよね。悪いんだけど、立ち上がってくれないすか」


「申し訳ありません早坂様。ですが謝らずにはいられないのです。私の同輩が、我々の命の恩人に対して……なんたる……なんたる暴挙を!」


「いや、声がでけーんだって。めっちゃ注目されてるし。女に土下座させてるやつみたいになってんだろ。立てよ、いいから」


 今度は怒りというよりは呆れが先にきて、トールの口調はぞんざいになった。いちいち気を遣って話すのが莫迦らしくなったのだ。


「はっ! それは確かに――申し訳ありま……せ、ん……」


 言葉通りにはっとして立ち上がった千鶴は、声が大きいことにも気づいてくれたようで、謝罪の言葉の途中で口元を抑えてくれた。


「その……申し訳ありません。私はどうも、感性が人と少しズレているようで……視聴者にもよく面白がられているようなのですが……」


「いいすよ、別に。謝意は受け取ったんで」


「ありがたく存じます。重ね重ね、早坂様には大変な迷惑をおかけしました。本来であれば感謝をお伝えするはずが、ご不快な思いをさせてしまうとは……本当に申し訳ございません」


 ぴしっと腰を折って頭を下げる神楽坂千鶴だった。

 なるほど、現代人としては確かにちょっとズレているのだろう。

 トールとしてはなんだって『早坂様』呼ばわりされているのか判らず、やや怖いのだが、エルフやマネージャーと比べれば好感度は相対的に高くなった。


「だから、もういいっすよ」


 ……どうでも。

 という、言外の意が伝わったのかどうかは判らないが、頭を上げた千鶴は一度トールから視線を切り、きっ、と強く菜々美を睨んで口を開いた。


「なにをしている、菜々美。約束を果たせ。話はそれからのはずだぞ」


「……あ、そ、そうですね! 申し訳ありません……! その、配信の件も……事後承諾になってしまい、本当にすいませんでした。言い訳になってしまいますが、早坂さんとの約束を忘れていたわけではありません。既に魔核と竜鱗の換金額は算出していますので、振り込み用のIDを教えていただければ、即時支払いが可能です」


「了解っす」


 ふぅ、と息を吐いて座り直し、トールはポケットから携帯端末を取り出し、個人IDナンバーのバーコードを表示させた。

 これは銀行口座や国税庁データベースに紐付けされており、金銭の授受に伴う税金の支払いが自動化される仕組みになっている。世界融合以前の前世紀には年末調整や確定申告という仕組みがあったらしいが、迷宮産出物が経済の根幹に関わってくるようになってから、どうにか税金を搾ろうと政府が考えたシステムだ。


 トールのような異世界世代では当然の仕組みになっているが、前世紀の慣例を知っている者からすると「便利で不便でムカつく」というのが実感らしい。結局は各種控除の申請を年度末にする必要があるとかなんとか。


 さておき。


 テーブルの上を滑らせたトールの携帯端末に、菜々美が自分の端末を突き合わせてデータの遣り取りを済ませる。端末を受け取って確認してみれば、銀行口座に千六百七十万円ほどの入金があった。


「…………」


 せんろっぴゃくななじゅうまん。


 その支払いをした菜々美は、なんでもないよう顔をしている。エルフの女はやはり軽蔑の眼差しのまま。ティアはやや心配そうにトールを見ており、神楽坂千鶴は当然とばかりに頷いていた。

 この大金に心を動かされているのは、トールだけだった。


「もちろん諸々の税を引いた額です。それと、その……話が前後してすみません。端末から免許の項目を確認してくだされば判るのですが、探索者免許の、仮免許を発行させました。迷宮庁の承認を得ていますので、もし今回の探索に同行していただいて、魔核を持ち帰り、迷宮支所に提出すれば、その時点で正式にD級探索者免許が発行されます。探索における収益は、アンセムと早坂さんで一対一の割合になるよう計算して支払いますし、今回の同行に関する謝礼は、別途お支払いします。魔核や竜鱗を売った金額ほどとはいかないのが恐縮ですが……」


「あぁ……どうも」


 かなり意外な展開だったので、トールの返事はおざなりだった。

 しかし考えてみれば当たり前の話だ。

 竜殺しに黒騎士殺しを成したとはいえ、免許を持たない者を迷宮の中層以降に同行させるのは『アンセム』の評判に関わる……というか、そもそも普通に犯罪である。国家の支援を受けた探索者クランのやることではない。

 確か、未成年かつ引率免許を持った探索者が同行する場合に限り、非探索者が迷宮に入って魔物を倒していい、ということになっているはず――というのがトールの知識だ。欠けや見落としがあるかも知れないが。


 即日に仮免許を発行したというのは権力との癒着……この場合はコネクションだろうが、そういうのを感じてしまうが、使えるコネなら使うというだけか。


 生きている世界が違うのだ。

 たぶん、自分たちの態度がトールを怒らせるだなんて思ってもいなかったのだろう。自分たちになら一般人は喜んで協力してくれる……そんな世界観で生きているやつらに、底辺の視点からなにをどう言ったところで通じるわけがない。


 はぁ、とトールは溜息を吐いた。


「判りました。とりあえずこれでしばらく生活には困らないし、免許も発行してくれたんで、最悪そいつに魔物狩りをさせて生きていける。俺みたいな働き蟻以下の底辺掃除屋でいいなら、同行しますよ」


「ボクがモンスター狩ってトールを食べさせるってこと? もちろん構わないよ?」


「ありがとうございます! それでは、配信の注意事項ですが……」


「ねえ、その卑屈な態度、やめなさいよ」


「早坂様! 早坂様と迷宮探索を一緒できるのは、大変光栄です!」


「……ごっちゃに喋るのやめてくんねーすかね」


 はぁ、とまたトールは溜息を吐いた。

 他にも吐き出したいものはいろいろあったのだが。



◇◇◇



 その後、配信の注意事項をあれこれ聞いているうちに、ホテルの上階に泊まっていた『アンセム』のメンバーが降りてきて、自己紹介する流れに。


 リーダーの斉藤恵美は、迷宮で助けられた感謝を改めてトールとティアに伝えてきて、今回はよろしくお願いしますと丁寧に頭を下げてきた。テニス部の部長、みたいな印象をトールは受けたが、もしかすると偏見かも知れない。


 治癒魔法使いの御堂アイリ――確か配信で『聖女』とか呼ばれている女は、トールたちに助けられた際には気を失っていたので、実感はないらしかったが、それでも普通に感謝を述べてきた。

 彼女に対しては、なんか大人しそうな女、という印象。


 それから撮影係の新宮紗凪だが、彼女は極端に声が小さく、トールからするとなんかぺこぺこ頭を下げてくるなぁ、というくらいの感想だった。見た目の印象としては、前髪ぱっつんの黒髪だったので、こけしを連想した。リーダーの恵美が「礼を言っているの」と解説してくれたが、別にどうでもよかった。


 今回の探索メンバーは、この三名に刀使いの神楽坂千鶴、S級探索者で高潔エルフのイルセリア・リュミエステルが加わり、現場ニキことトール……早坂透、竜殺しの女剣士ことティアが同行する形になる。マネージャーの浜松菜々美は迷宮には入らず、配信の調整やらを担当し、必要があればリアルタイムで指示を出すという。


 トールはそこそこ根に持つタイプではあるが、不機嫌をひけらかして他人の精神にストレスをかけるのは嫌いだ。怒りは見せたが、神楽坂千鶴の土下座で「もういい」と言ったのだから、不機嫌を表すのは違う。

 なので普通に応対したのだが――アンセムのメンバーに対する印象は、なんだか妙に幼くないか、というものだった。

 たぶんトールと同い年かひとつ下くらいだというのに、世間知らずというか。

 いや、世間知らずというならトールもそうなのだが。


 なんというか……悪気というよりは、悪意がない。

 斉藤恵美なんかはトールのことをちょっと苦手そうにしていたが、同時にそのことが申し訳ないな、という雰囲気があった。初対面のチンピラを苦手に思っても仕方ないとトールだって思うし、なんなら見下したり侮蔑したとしても、別におかしくはないとすら思う。十分にありえる。


 それなのに、トールに対する軽視がないのだ。

 浜松菜々美には、あった。


 エルフの女にもあったが、それはトールを特別に軽視しているというより、人というものを軽視している感じはする。冷静になってみればティアの言うとおり、エルフとはそういうものなのかも知れない。

 ……まあ、冷静になったからといってトールはなので、真正面からなにか言われれば真正面から言い返すだろうが。


 今のところ彼女たちに好感は抱けていないが、それでも――なるほど、と心の何処かで納得はできた。彼女たちは配信の視聴者のことだって、たぶん軽視していない。だからアイドル探索者なのだ。


「今更っすけど『アンセム』って女で固まってるクランっすよね。その配信に俺みたいなやつが混ざって大丈夫なんすか?」


 念のためにと菜々美に確認してみれば、大丈夫だと即答された。


「もちろん、急に他の男性配信者とコラボをしたりすれば荒れるでしょうけれど、早坂さんとティアさんは『アンセム』の救世主ですし……その、自覚があるかは判りませんが、現在ネット上では大変注目されている人物です。そんな二人に、配信上で視聴者があれこれ質問をするでしょう」


「はぁ……」


「全てに答える必要はありませんが、答えられる範囲で、視聴者の疑問に答えていただければと思います。『アンセム』とコラボしているという事実より、一般大衆の疑問を解消するという事実の方が、今回は重要になるでしょう」


 口ぶりが国家公務員のそれで、一般大衆であるトールとしては菜々美のことがあまり好きになれそうもなかった。


「えっと……ようするに、みんな、いろいろ知りたがってるってことなんですよ」


 苦笑交じりにフォローを入れてきたのは斉藤恵美で、陽キャ的な印象の人物なのに苦労性っぽく見えた。トールの完全な偏見である。


「それと、B級ダンジョンだったカミオカダンジョンの変異に関して確認するのも重要よ。そっちの女剣士はともかく、あなたの腕前には期待していないから、戦闘の際にはせいぜいサナギの後ろあたりで大人しくしていなさい」


 棘を隠しもしないイルセリアだったが、もういいと言ってしまったし、なにより金をもらったので怒りは全く湧かなかった。なんか吠えてるな、と犬を見るような気持ちにすらなった。耳元で吠えてくればムカつくだろうが。

 半歩引いてみれば、このエルフは下がっていろと言っているのであって、おまえが盾になって死ねと言っているわけではない。偉そうな権力者なら後者を述べるだろう――例の炎上している議員みたいに。

 実際、トールは昨日の時点ではD級未満の掃除屋だったのだ。聖剣と妖刀を手に入れる直前までは黒オーガから逃げ回るしかなかった。


 今は――たぶん、大丈夫。

 あの黒オーガなら『禍月』を使うまでもない、という奇妙な確信があった。


「早坂様、そう難しい話ではありません。基本的には恵美が場を回してくれますし、私も可能な限り、早坂様に助力する所存です」


 当然のように言ったのは神楽坂千鶴で、彼女の態度については少しだけ物申しておく必要があった。アイドル探索者のメンバーが、なんだか知らないが底辺掃除屋に『様』をつけて謙っているのだ。


「あー……その早坂様っての、やめて欲しいんすけど」


「なっ――何故、でしょうか?」


 そんな莫迦な、とばかりに驚く千鶴。恵美や菜々美は微妙な顔をしており、イルセリアはどういうわけかトールに軽蔑の眼差しを注いできたが、ともかく。


「いや、あんたらみたいにファンを抱えてるやつが、俺みたいなやつを『様』づけして呼んでたら、ファンがいい気しねぇだろ。俺だって居心地悪いし」


「で――では、なんとお呼びすれば……?」


「あー……まあ、普通はそんなに親しくない他人を呼ぶときは、名字に『さん』をつけるんじゃねーすか?」


「トールはトールでいいんじゃないの? ダメなの?」


 不思議そうに首を傾げるティア。

 千鶴は少し迷うようにしてから、


「ではトール殿で……」


 と、妥協してくれた。

 トールとしては、もうだいぶ帰りたかった。

 同行すると言ったので、同行はするのだけど。



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