第十三話




 満身創痍で笑いながら人を斬りまくる夢を視ている――という認識。

 明晰夢ではないのに、これが夢なのは判る。

 夢の中の『自分』をコントロールできないのは、それが自分ではないから。そういうことも、なんとなく判ってしまう。人を斬っているのは自分じゃないと理解できるのに、人を斬った感覚はあまりにもリアルで、はたして斬って笑っているのは、自分ではないのか、自分でないはずなのに曖昧になる。


 柄を握る手に伝わる、命を終わらせる感触。敵の刀を不細工にこちらの刀で受けてしまった衝撃。突き刺した刀が筋肉の収縮によって上手く抜けず、死体を蹴りつけて強引に刀を抜く、手足の感覚。

 どう動いたか、どう力を入れたか、どう呼吸をしたか――どう斬ったか。

 全部、伝わってくる。

 まるで自分で斬ったかのように。


 夢だ。夢だと判っているのに、なかなか夢が終わらない。

 何故なら朝が来ていないから。十人斬って、三十人斬って、そろそろ午前四時くらいだろうか。六十、八十、九十……もう少しで目が覚める。


 深い水の底から浮上するみたいに夢の残滓を掻き分け、トールは目を開けた。


「あっ、やっぱり起きた」


 文字通りの目と鼻の先に、外国人の女の顔があった。


 ひどく整っているのに壁を感じさせない、むしろ人懐っこい容姿。白に近い金色の髪が重力に従ってトールの顔をくすぐっている。


 聖剣に取り憑いた霊――ティアだ。

 昨夜トールが眠る前は受肉を解いてもらっていたはずが、いつの間にか受肉して、ベッドで寝入っているトールを至近距離から眺めていたらしい。


「……なんだよ、やっぱりって……」


 寝起きのせいで掠れた声で問いを浮かべ、トールは至近距離にあったティアの顔面を、手でぐっと押しのけてから身体を起こした。

 幼い頃に飼っていた犬が、こんなふうにトールの寝起きを察知して顔の近くに陣取っていたな、なんて遠い昔話を思い出す。小学生になった頃には死んでしまって、両親はその後、犬を飼わなかった。


「なんか夢から覚めそうな気配があったから、現界して観察してたんだ。ほら、見てよトール。改めて受肉するときは服装の自由が利くみたいなんだ」


 顔を手で押しのけられたティアは怒るでもなく、むしろ上機嫌に両手を広げ、くるりとその場でターンを決めた。


 確かに、昨日の軽鎧姿ではなくなっている。

 首の後ろで素っ気なく髪を括っているのは同じだが……なんというか、中世ファンタジーの村娘が着ているような衣服に変わってた。

 ゆったりした麻の服は七分丈くらいで、袖が広がってる。その上に、前を靴紐みたいに編んだベストを重ねており、下はやや丈の長いスカート。脛の下あたりからは肌が露出していて、靴下は履いていない。そのかわり、草履というかサンダルというか、植物を編んで造ったような靴を履いていた。


 ヨーデルとか歌ってそうだな、というのがトールの感想だった。

 普通に日本のオンボロアパートなので、靴は脱いで欲しかったが。


「どう? どうだいトール? ボクは鎧以外も着られるんだよ!」


 テンションの高いティアに、寝起きでぼんやりした頭のまま、トールはとりあえず頷いた。確かに村娘だか町娘ふうのティアはちょっと驚くほど可愛らしかったが、手の中に人殺しの感触が残っていたので、気分が全く上がらなかったのだ。


「あのさぁ、たぶんだけど、引っ張られてるんだと思うよ」


「……なにが?」


「夢、視てただろ。『禍月』だっけ。戦闘経験の塊みたいな呪具だよ、あれは。人を呪い殺そうって方向性の代物じゃないみたいだけど、真っ赤に焼けた鉄を触ったら、そりゃあ肉も爛れるってもんだからさ」


「あー……頭が回らなくてなに言ってるか全然判らない」


「使わない方がいいよ、って話。まあね、使えるかどうかを確かめておきたいのは理解できるよ。でも、キミにはボクがいるんだぜ。ボクと聖剣ライトブリンガーが」


 両手を腰にあててドヤ顔を見せてくるティアを、今度は普通に可愛いなと思った。寝起きの頭が動き始めてきたらしい。


「ミカは、夜中に帰ったのか?」


「うん。この建物、壁が薄いから、隣の家のドアが開いて閉まる音、はっきり聞こえるんだね。それでミカが『お母さんが帰って来たから戻る』って」


「ふぅん」


「いつも預かってるのかい?」


「ミカの母親が出勤のときで、ミカの気が向いたときはな。別に、邪魔にならないから勝手に来て勝手に帰っていいって言ってる」


 ふわぁ、と欠伸を洩らしてから携帯端末を眺めると、見事なほどにいつも通りの時間だった。いつもなら二十分で用意を済ませてスガイダンジョンで『掃除屋』の仕事をするが、今日はやらなくていい。

 もしかすると、今日からやらなくなる、のかも知れないが。


 ともあれ、トールは冷蔵庫からペットボトルのコーヒー飲料を取り出し、マグカップとガラスのコップに注ぎ、氷を入れ、マグカップの方をティアに渡してやった。


「なんだい、これ? 泥みたいな色してるけど」


 きょとん、と首を傾げてカップを見つめるティア。

 全く冗談の気配がなかったので、コーヒーそのものを知らないようだ。

 といっても、牛乳と砂糖をぶち込まれた泥のような飲み物ではあるのだが。


「あー……飲み物だ。甘くて苦い。朝は糖分を摂取することにしてる」


 言って、トールはコップの液体を一口飲んで見せた。ティアは半信半疑、というふうにマグカップのコーヒー飲料を犬や猫みたいにぺろりと舌で舐め、それこそ犬や猫が上機嫌を表すみたいに口角を上げ、ごくごくと液体を飲み始めた。


 嚥下のたびに動く喉がやたらなまめかしく感じて、思わず視線を逸らしてしまう。が、ティアは全く気にしなかった。


「これ! この泥、すごく美味しいね! こんなに甘い飲み物、王宮で出された紅茶くらいのものだよ! あれは作法が気になって味どころじゃなかったけどね」


「……ああ、そう」


 やっぱりこいつ――と、トールは泥のような液体を飲みながら考える。

 その感慨はティアもまた同様に抱いていたようで、飲み干したマグカップの中身を残念そうに眺めてから、迷うようにして口を開いた。


「あのさ……たぶん、ボクって、この世界の人間じゃないと思うんだよね」


「だろうな」


「だろうな!? 今、トール、『だろうな』って言った? ボクが気を遣って、わけの判らない鉄の乗り物とか、真四角の建物とか、町中に突き立ってる石の柱と柱同士を繋いでる線のこととか、そういう疑問を全部呑み込んでさ、ミカの相手もして、それでミカが帰った後は疲れてるだろうからなぁ、って思ってトールの睡眠を邪魔しないように現界を解いて、朝まで待ってたのに、きっと驚くだろうなぁって思いながら話してみたら――『だろうな』だって!?」


 思った以上に驚かれた――というか、ノンデリ野郎だと思われてしまった。

 軽くダメージを受けるトールだったが、しかし、そもそもティアは『世界融合』のことなど知らないのだと気づく。


「あー……落ち着け。理由がある。話す」


「落ち着け? ああ、いいだろうとも。ボクは落ち着くさ。このボク以上に落ち着いている生命体など存在するものか。ほら、どうだいトール。このボクの落ち着きぶりを見たまえよ! すごいだろう!」


「……いや生命体って。おまえ、霊だって言ってたろ。死んでるじゃん」


 それにおまえ俺の車の中では普通にうるさかっただろ、とトールは思ったが、それは言わなかった。結果的に無意味な気遣いだったが。


「はーぁ! はっはっは! これにはボクも参ったね! この落ち着き払ったボクともあろうものが、ほんのわずかな言い間違いを指摘されてしまったよ!」


 話が進みそうになかったので、トールはちょっと考えてからマグカップにコーヒー飲料のおかわりを注いでやった。

 ティアは黙ったし、落ち着いたようだった。ごっきゅごっきゅと喉を鳴らしてコーヒー飲料を一気飲みする落ち着きぶりだった。


 世界には平和が訪れた。

 ひとまず、この一瞬においては。



◇◇◇



「はへぇー……二十五年以上前の『世界融合』ねぇ……ボクからすればやって来たようなものだし、トールたちからすればやって来たようなものか」


 ざっくりと説明してやれば、ティアは思った以上に理解を示してくれた。

 実際に見たことも聞いたこともないような文化と文明を目にして、そこで生きているトールと話をしているのだから、信じざるを得ないのだろう。


「まあ、俺とかは『世界融合』後に生まれた、異世界世代ってやつだから、異世界は最初からあったんだけどな。学校では、もし『世界融合』がなければこうなってたかも知れない、みたいな未来予測も聞かされたけど、今ある現実はこっちだ」


「そうだね。今ある現実は、受け入れるしかない」


「ああ」


 理解があるオバケで助かったな、と思ったが、ノンデリポイントを加算したくなかったので言わなかった。手遅れかも知れないが。


「ところでトール。目の前の現実の話なんだけど……キミは聖剣と妖刀を手に入れたわけだけど、これからどうするんだい?」


「どう、っていうのは?」


「ボクはかつて聖剣の所有者だったんだよ? 聖剣ライトブリンガーは所有者の魂と接続する。所有者以外には使えない。……まあ、ボクは使えるんだけど、ボクも聖剣の一部ということで、そこはあまり気にしなくていいよ」


 とにかく他の人には使えない、とティア。

 トールは話の趣旨が上手く理解できなかったが、ティアの表情に真剣さを感じて、ひとまず頷くに留めておいた。ひとまず頷くことは誠実ではないのだが。


「で、言うまでもなくライトブリンガーは強力な武器だ。昨日は窮地に陥ってる人がいたから思わず助けてしまったけど――なんか、配信だっけ? たぶん大勢の人に目撃されたと思うんだよね」


「あ――」


 忘れていた。完璧に忘れていた。

 スガイダンジョンの転移罠を踏んで、結果から考えるにカミオカダンジョンの隠し階層へ転移させられて、聖剣ライトブリンガーと妖刀『禍月』を手に入れた……そこはさすがに忘れていない、忘れようもない。もちろんアンセムのメンバーを結果的に助けたことだって、忘れたわけではない。


 アンセムの配信に自分が映っていたであろう事実を、忘れていたのだ。


「かつてボクが聖剣を使って人助けなんかをしてたら、あっという間に王家にバレたよ。そこから先は、しがらみに縛られることになった。力を持つ者の責任だなんだってね。ボクの世界では魔法による通信なんて一部の魔法使いくらいしかできなかったけど、こっちの世界では、みんなすごく簡単に通信できるんだろ?」


 というティアの言葉を半ば聞き流して、トールは部屋の通信端末を立ち上げた。いつもの十倍くらい起動が遅いような気がしたが、もちろん気のせいだ。


 すぐにネットのブラウザを開き、最大手SNSを開く。


「……マジか」


 トレンドワードには、当然のように『アンセム』が入っており、関連ワードには『迷宮変異』『竜殺しの女剣士』『妖刀カゲツ』が並んでいる。

 もちろん――というべきだろう――アンセムの配信に映っていたティアの様子やトールの様子も、切り抜きショート動画になって世界中で再生されていた。


「おー……これ、ボクじゃん。端から見たらこんな感じなんだね」


 竜殺しの女剣士、というワードから注目の動画を再生してみれば、ティアがちょっと楽しげに感想を述べた。


〈――妖刀『禍月』か――〉


 不幸にもというか、至極当然というか、あの黒騎士を『禍月』で両断したときのトールも、ばっちり切り抜かれてショート動画になっていた。

 おまけにトールが呑気にぐっすり寝ている間に、このコミュ障っぽい兄ちゃんはSNS上で「現場ニキ」呼ばわりされ、その呼び名がとっくに浸透しているらしい。


「確かに……作業着だったけども……っ!」


 探索者ではないし金もなかったので、探索者用の装備など身に着けず、ホームセンターで買った作業着で仕事をしていただけだ。

 スガイダンジョンの上層を徘徊している限り、それで十分だった。


「だからって『現場ニキ』はねぇだろ……! じゃあおまえ、ティアの方は聖剣ネキじゃねぇのかよ。竜殺しの女剣士じゃねぇか。竜殺しの女剣士と現場ニキ!」


 ぐおお、と唸ってみた。

 もちろん、なにも解決しないし気分も紛れない。


 こんなふうに自分の行いがネット上で拡散され、無関係な第三者が好き勝手言いまくる――バズる、という経験のないトールには、未知の感覚だった。

 なんというか、ネット上の「現場ニキ」が自分のことだという実感が湧かない。他人の話みたいに、自分の話がされている。


「……いや、待て。待て待て待て。俺のことより、アンセムの方が話題になってるはずだろ。バズなんて一瞬のことだ。そのうち誰も話題にしなくなる……」


「どうかなぁ。あの娘たち、なんか有名な冒険者――こっちでは探索者か。その、探索者なんでしょ? 雰囲気としては結構上澄みの方だよね。その娘たちでは全く歯が立たなかった魔物を圧倒しちゃったんだよ?」


「あのドラゴンをぶちのめしたのはおまえだろ。冗談みたいな光景だったもんな。剣を振ったら流れ星みたいに魔力衝撃がぶち込まれて、ドラゴンの巨体がどんどん押し込まれていった。あれは凄かった。俺よりおまえの方が目立ってた」


「ボクが目立ったら、キミが目立つのと一緒だろ。キミの魂を使って受肉してるんだよ、ボクは。ライトブリンガーの今の所有者、トールだよ?」


 気分の問題でバズの矛先をティアになすりつけようとしたが、正論で返された。

 それに――と、ティアは続ける。


「キミが『禍月』を振った映像……この、映像を配信するって文化、面白いね。ああ、いや、それはともかく、トールが『禍月』を振ってる映像、かなり怖いよ。映像から魔力も呪いも感じないのに、見ただけでヤバそうだって判るもん」


「……へっぴり腰のにーちゃんが素振りしてるだけだろ」


「達人の一閃だよ、これ。こんな映像が出回ってるんだったら、絶対に間違いなく目立つ。注目されないわけがないよ」


 生前は聖剣使いとして注目されまくっていた経験から来ているであろう、強めの確信がそこにはあった。

 このような事例に対し、大衆がどういう反応をするのか知っている――ような。


 そういうわけで、ティアの設問に戻るわけだ。

 どうするの――と。


「……判るわけがない」


 と、トールは言った。

 だよねぇ、とティアは同情するように微笑んでくれた。

 ちょっと救われたような気になったが、もちろん気のせいだった。





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