第九話




 目も眩むような光の奔流が、たぶん一秒未満。

 どうにか目を開けた斉藤恵美が見た光景は――目を疑うようなものだった。


 だって、ドラゴンが吹っ飛ばされている。


 ボクサーの強烈な右ストレートを受けてどうしようもなく身体が後ろに弾かれています、という感じの、単純な力負けの結果が、眼前にあった。


 さらに――剣撃。

 誰か、誰かは判らないが、金髪の剣士が戦っている。

 体格からして、たぶん女性。


 彼女が持っているのは、恵美が使う両手剣より一回り小さい、片手半剣だろうか。刀身が青白く発光していて、動きに合わせて光を曳いている。彼女の剣撃は、まるで流星を叩き込んでいるような光景だった。


 光の流星が、さらに一、二、三連。

 あれほどの頑強さを誇っていたドラゴンが、強く握られた空き缶みたいにぐちゃぐちゃになっているのは――やはり、なにかの冗談みたいだ。


「……なに、これ」


 ぽつりと呟いた自分の声が、ちゃんと自分の声だったのに気づき、どうやら夢ではなさそうだと思い至る。

 千鶴などは居合いの構えのまま、刀の柄に手をやった姿勢で、光の剣士の戦いに見入ってしまっている。それは、まあ、気持ちも判るが。


 いや、だって……強すぎる。

 あのドラゴンはA級探索者の恵美と千鶴が二人がかりでも均衡状態を維持できたくらいの魔物だ。なのに剣を振る度に撃ち込まれる流星が、ドラゴンをみるみるうちに、ぐちゃぐちゃにしていくだなんて……。


「おおっ、すげぇ高そうなカメラだ。配信中か、これ?」


 ふと、男の声がした。

 呆然と突っ立っている恵美と千鶴の、少し後方。紗凪が使っていた配信用カメラを拾い上げて何事かを呟いていたのは、ワークパンツにTシャツの若い男だ。

 夏の工事現場からちょっと見学に来ました、みたいな軽装で、立ち姿には覇気がなく、むしろかなりな印象すらあった。


「えーっと……なんだ、はじめまして? あー……これ、落とし物っす」


 ものすごく気まずそうに歩いてきて、まだ呆然としている恵美と千鶴へ、そんなふうに言いながら、カメラを手渡してくる。

 恵美は片手で紗凪を抱えており、もう片手で両手剣の柄を握っていたので、ちょっと迷うようにしてからカメラは千鶴が受け取った。


「あ、はい。確かに。……ああ、確かに、配信中だな」


 カメラの背面モニターを確認して千鶴が呟いた。

 そうか、配信中だったのか――だとしたら、みんなにみっともないところを見せちゃったなぁ、と恵美は泣きたいような笑いたいような気分になった。けれどそんな気の緩みは、一瞬のこと。

 まだ、終わっていない。


 あの黒騎士が、アイリを捕らえたままだ。


「き、きみ――きみは、探索者ですか? ごめんなさい、初対面なのに……あっちに黒い騎士がいるはずで、私の仲間が、捕まってる……」


「あれか」


 縋るように――というよりは、実際に縋って助けを求めたら、ワークパンツの男が恵美なんてどうでもいいとばかりに向こうを見つめて呟いた。


 いつの間にか光の剣士とドラゴンの戦いは、大部屋の奥側へと移っている。流星みたいな剣撃がぶち当たるたびにドラゴンが後退しているせいだ。


 そのおかげというべきか、竜の影に隠れていた黒騎士の姿が見えた。

 すでにアイリは抱えていない。

 黒騎士の足下に転がっている。

 死んでいるか生きているかは判らないが……たぶん、あの光の剣士には人質として有効でないと判断したのだろう。

 あるいは、人質なんて荷物は邪魔だと判断したのか。


「ティアは……ちっ、まだ遊んでんのかよ。マジでドラゴン相手に余裕なのはいいんだけど、あいつ、熱中するタイプか? まあいいや。試してみるか……」


 ぶつぶつと呟きながら不機嫌そうに舌打ちして、一見して隙だらけな仕草で何歩か進み、恵美と千鶴を庇う位置に立った。


 が、どう見ても、その……弱そうだ。

 見れば判る。

 探索者としてはC級にも満たないだろう。身にまとう魔力や立ち姿に感じられる隙の有無、なによりも雰囲気が、違う。

 A級冒険者としての観察眼が――彼を弱者と認識してしまう。


 思わず縋ってしまったが、彼はもしかすると光の剣士の、付き添いみたいな役割なのではないか。だとすれば無茶振りしてしまったことになる。


 止めた方がいいだろうか。

 そう思って、左腕で抱えていた紗凪を床に下ろそうか迷った――次の瞬間。



 ――――



 ! と、全身が強烈な悪寒を訴えてくる。

 この場にいるだけで穢れてしまうような嫌悪感。

 この場で息をしているだけで肺が侵されるような忌避感。


 錯覚だ。

 いや、錯覚なのか?


 とてもそうは思えない。

 原因不明の悪寒が背筋を這い回り、まるで背骨の中で蛇が這いずっているような悍ましさが、あまりにも唐突に、顕れた。


 悪寒の元は、黒騎士――ではない。


 見れば、ワークパンツの男が、

 趣味の悪い奇術マジックみたいに。

 そんなものが手の平から出てくるわけがないのに。


 ずるずると引きずり出されるのは――赤黒い刀だ。


 赤と黒の不吉な刀身。鍔は黒く、柄もまた黒い。

 柄頭に着けられている長い飾り紐が、柄を握る男の右腕にぐるぐると巻きついている。つい一瞬前まで、そんな紐は巻きついていなかった。


 明らかに、左手から刀を引きずり出した。

 そう思った。それ以外に考えられなかった。いや、考えればもっとなにかあるのかも知れないが、実際に目にしてしまったからには、ただの事実だ。


 黒騎士が、動き出す。

 男の持つ赤黒い刀に危機感を覚えたかのように。


 そして、つい何秒か前まであんなにも弱そうだった彼は、左手から引きずり出した刀を、今は両手で握って頭の高さで保持し、刀身を地面と平行に寝かせている。


 刀使いの千鶴はあまりやらない型だが……霞の構え、だったか。

 隙など一欠片たりとも見当たらない、達人の型。


「なるほど、ね」


 どうしてか苦笑交じりに呟き――ゆるりと、刀が振られた。

 まだ黒騎士との距離があり、刀が届く間合いではない。


 なのに、こちらへ接近していたはずの黒騎士が、両断されていた。

 ガチャン! と、鎧が地面に転がる音がして……迷宮の魔物の宿命とばかりに『魔核』を残して消えてしまう。


「――妖刀『禍月カゲツ』か」


 他人事みたいに呟いた男の、握っていたはずの刀が……きらきらと赤い粒子をちらつかせながら、空間上に溶けていく。

 宙に残る赤い粒子を、男はうっとうしそうに右手を振って払い、恵美たちに振り返って、やや気まずそうに言った。


「あー……俺たち、迷子なんだけど……帰り道、判る?」





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