第七話




 配信アーカイブの画面は、早坂に貸与しているボディカメラからの映像だ。


 以前、河合咲穂が嫌がらせのような言いがかりをつけて以降、早坂が業務上必要であるという書類を市の方に直接提出し、結果としてスガイダンジョン支所に購入された、迷宮配信用ボディカメラである。

 咲穂としてはかなり癪だったが、申請が通ってカメラが支給された以上、早坂に貸与しないわけにはいかず、二年以上使わせ続けている。


 当時でさえ最新機器ではなかったが、それでもかなり映像のぶれを抑える機能が備わっており、魔導通信の強度も悪くない。携帯端末とリンクさせて誰でも簡単に配信が行える、というのが売り文句だったが、現代においてはごく普通の機能である。


『あー……っと、四時間三十二分。異音がする……ような気がする。きーん……みたいな、耳鳴りに似てる音。こっちの体調の問題で本当に耳鳴りかも知れない。違和感は違和感なので、報告しておく。コメントもしておくか』


 やる気というものを全く感じさせない声音が響き、わずかに画面が揺れる。配信チャットのリプレイ画面に『4:32:00』とだけ書き込まれ、操作はさらにもう少しだけ続いた。おそらく配信の概要にも同じ時間を追記したのだろう。


 しばらく画面の動きが止まり、沈黙が続く。

 それから、


『……これ、マイクに乗ってんのか……?』


 と、早坂が呟く。

 ここで佐渡山が動画を一時停止してキーボードを何度か鳴らし、一分前くらいまで動画を戻してから音量を最大まで引き上げた。


 再生を再開してみれば……確かに、きぃぃん、という耳鳴りのような音が、聞こえる……ような気がする。

 が、機材関係のノイズが音量を上げたせいで意識できるほど大きくなっているだけかも知れない。正直、咲穂にはよく判らなかった。


『……これ、マイクに乗ってんのか……?』


 先程の三倍くらいの音量で早坂が呟く。

 佐渡山はそこで動画を止め、咲穂に向き直った。


「――で、この日の早坂くんは、異常があったからと業務を引き上げ、河合ちゃんに報告して帰った。河合ちゃんは早坂くんの報告を気のせいだと考えて、自分のところで握り潰しちゃった、と。そういうことだね?」


 怒るでも怒鳴るでもない、むしろやわらかな口調。

 だからこそ、咲穂は正直に頷くしかなかった。

 たぶん、佐渡山は河合咲穂に対してなにも期待していない。叱責することでなにかが改善されるなんて、毛ほども思っていないのだ。


 実際そうなのだからぐうの音も出ないが、それでも心の何処から羞恥や屈辱感は湧き上がった。煮えたぎるほどでもない。

 でもちょっとだけ……悔しいし、恥ずかしい。


 早坂のやつが、変な報告なんてしなければ――。


 反射的にそう思って、自分の席の携帯端末に目をやってしまう。音声こそ切ってあるものの『アンセム』の配信は続いていて、咲穂としては一刻も早くこのつまらない時間を終わらせ、彼女たちの配信視聴に戻りたかった。


「で、早坂くんは翌日にも配信をしているね。今日は配信をしていない……おかしいな。ちょうど今頃、ライブ配信してるはずだけど……」


 咲穂を無視してぶつぶつと呟く佐渡山。

 そこでようやく、思い出した。


「あ、あの……課長。その、早坂さんのことですけど……」


「なんだい? なにか思い出した?」


「今日は出勤してません。ていうか……昨日、退勤してないです。ボディカメラの返却も、してないと思います……」


「――あ?」


 ほんのわずかに、けれどはっきりと怒気が洩れ、咲穂は失神しそうになった。

 元A級探索者が目の前にいるということは、ヒグマが目の前にいるよりも危険な状況なのだ。佐渡山がその気になれば、ほんの一瞬で咲穂の頭と胴体はサヨナラしてしまうだろう。そのことを、普段は意識させないでいてくれたのだ。


 そんなことを考えながら、いつの間にか床にへたり込んでいた咲穂を見て――佐渡山はいつものだらしないおっさんの仮面を被り直し、へらへらと笑った。


「いや、ははっ、ごめんごめん。ビビらせちゃったね。でも詳しく聞かせて」


「く、く、詳しくって言われても……そのままです。昨日は、いつも通りボディカメラを借りに来て、業務の開始を報告して……戻って来なかった」


「なんでその時点で報告しないの?」


「ど、どうせサボりだと、思いました。だって、あんな毎日迷宮に潜って上層の雑魚を倒し続けなくてもいいから……だから、そういうのに、今更になって気づいたのかなって……私だって、毎日あいつにカメラを渡したり返してもらったり……そんなの、勝手にやればいいじゃないですか。請負業務なんですから……!」


 口から勝手にこぼれだす本音に、佐渡山はまるで興味を示さなかった。かわりに深い溜息を吐き、開いた掌を咲穂へ見せつけるようにした。

 黙れ、ということだ。

 もちろん咲穂は口を閉じた。

 ヒグマより恐ろしい相手に黙れと促されて話し続けるほど莫迦じゃない。


「まいったね。こりゃあちょっと……いや、とにかく昨日の配信を確認してみるか。河合ちゃん、早坂くんになにかあったら、さすがに覚悟してくれよ。俺、きみのこと庇うつもり、ないから」


 もはや咲穂に興味も関心も見せず、端末を操作する佐渡山。

 半ば呆然としたまま、ふらふらと立ち上がり、モニタに表示される配信画面へ目をやってしまう。早坂のボディカメラが写すスガイダンジョンの光景はいつもと変わらないが、よく見れば、走っているようだ。


 はぁ、はぁ、という荒い息も聞こえる。

 音量の設定が、マックスまで引き上げたままなのだろう。


「もうちょっと前、かな」


 呟き、佐渡山が配信の時間を少し遡った。

 退屈な迷宮の雑魚掃除を三倍速で流しているうちに、ふと早坂が立ち止まる。再生速度を通常へ戻す。


『……嘘だろ?』


 と、早坂が呟いた。彼にしては珍しく、焦っているような口調だ。


『三時間十四分。異音の場所で、人影を見つけた。人間なのか人型の魔物なのか判らない。魔物だとすればスガイダンジョンの上層にいるのはおかしい。『迷宮暴走』もしくは未知の異変の可能性がある……かも知れない。判らん』


 義務的な報告だが、カメラが写す迷宮通路の先には、なにも映ってはいない。

 人影なんて――ないのに。


『……確認する。確認だけして、逃げる』


 逡巡と決断があり、画面が動いた。

 早坂が歩き出したということだ。


『くっそ……これ、絶対拙いだろ。なんかあっても俺の責任になるよな……』


 苛立ち混じりの独言は、咲穂が聞いたことのない声音だった。咲穂が普段対応している早坂透は、ひたすらにやる気がなく、雑で義務的な喋り方をしていた。

 現場作業員が来ているような作業服も相まって、本当に底辺作業者、という印象で……だからこそ、咲穂は遠慮なく見下していた。


『あー……なんかあったら俺の責任。でも昨日はスガイダンジョンの支所に報告をした。支所は俺の報告をなかったことにして、調査をする素振りも見せなかった。ちょっとくらいは、役所にも責任を被せてもいいかもな』


 そんなことを呟きながら、やや急ぎ足で早坂は歩き続ける。画面には『人影』なんて映っていないのに、通路を右に左に折れながら進む歩調に迷いがない。


「カメラに写ってないってことは……精神干渉系の魔法か? だったら魔導通信機に若干の影響がありそうだが、その手のエフェクトもない、か……。それにしたって、自覚してるならきちんと引き返してくれよな」


 画面に向かってぼやく佐渡山は、それこそスポーツ中継にくだを巻くおっさんのようだったが、表情が真剣すぎた。

 心配している……のだろう。

 咲穂の将来なんて知ったことではないという態度だったのに。

 あんな底辺の掃除屋を。


『――は?』


 と、不意に早坂が変な声を出した。

 ちょうど長めの通路の真ん中あたりで、いきなり立ち止まり、何度か画面が通路の前と後ろを行ったり来たり。これは早坂が前後を確認しているということだ。


 少しの間、早坂が息を呑んでいるのが画面越しに伝わってきて……そして、まだ画面が動いた。歩き出したからだ。


 立ち止まっていた位置から十メートルかそこら進んだところでまた早坂は立ち止まり、何故か左手側の壁に、手を添えた。


 いや――手を突っ込んだ。

 壁の中に早坂の左手が、溶けていくみたいに……。


「おいおいおい! 嘘だろ!」

『おいおいおい……マジかよ』


 思わず口走った佐渡山と、配信画面の早坂の言葉が被った。

 そして早坂は多少の躊躇らしき間を挟んでから、壁の中に向かって歩を進めた。画面を見ているしかないこちらとしては、まるでホラー映画だ。


 なんだってD級ダンジョンの上層に、こんな隠し道が?

 そんなこと、咲穂に判るわけもない。


「おい、おい、おい……やめろ。引き返せってば……!」


 祈るように野次を飛ばす佐渡山の言葉は、もちろん配信アーカイブの早坂に届くわけもない。壁をすり抜けた先の細道を早坂はそのまま進み、突き当たった位置にある小部屋へ入った。本当に小さな部屋だ。


 その小さな部屋の、真正面の壁。

 額に入れられた絵かなにかが飾られている。


 なんだろう?

 と、咲穂は思った。たぶん早坂もそう思って、確認しようと一歩を踏み出す。

 瞬間、画面が激しく乱れて――配信が途切れた。

 配信アーカイブの再生時間はここまでとなっている。


「魔導通信が切れた、のか。向こうから連絡がないってことは、連絡できる状況じゃないってことだな。捜索隊を出すにしても、説明もややこしければ状況もややこしいぞ。配信アーカイブの映像を確認して、あの隠し道の位置を割り当てるところまではいけるが……」


 脳天気に『次のオススメ動画』を表示する配信サイトの画面を睨んだまま、佐渡山はぶつぶつと呟き続けた。

 なにか具体的な対応を考えねばならないし、対応しなければならない、そういう立場に佐渡山はいるし、いざとなれば元A級探索者の佐渡山自身が出張るだろう。

 そして、咲穂にできることなど、なにもない。

 たぶんなにか責任を取らされるのだろうが、それは、仕方ない。


 ……死んだ、のだろうか。


 毎日見ていた、あのやる気のない顔を思い返す。

 でも、なにか感慨が湧いたりはしなかった。自責の念も、さほどない。私のせいで早坂が死んだ――というふうには、思えなかった。だって映像の中の早坂は、危険だと判っていて、自分の責任だとうそぶきながら動いていた。


 ……これから、どうなるのだろう?


 ぼんやりとそんなことを考えていた瞬間、電子音が響いた。

 これに佐渡山は舌打ちをして立ち上がると、スーツの内ポケットから携帯端末を取り出し、通話を始めた。


「はいよ。ああ、こっちはこっちで……は? それどころじゃない? どういう……なんだって? マジか。『アンセム』がユニークモンスターに襲われてる? おいおいおいおい! 冗談じゃないことばっかりじゃねぇか! 判った、現場に急行する。こっちの話は、道すがら話すことにする」


 通話を繋いだまま、佐渡山は咲穂へ視線を向けてきた。

 どうしようもなく――身を竦めてしまう。元A級探索者が、特に気遣いなく臨戦態勢になっている以上、咲穂には怯えることしかできないのだから。


「河合ちゃん。一旦この話は切り上げる。通常業務に戻ってくれ。念のために言っておくが、逃げるのはオススメしない。きみの重要度は割と低いから、あれこれ片付いてからの話になる。上手いこといけば減給、最悪でも免職ってところだな」


 言って、ひょいっ、と受付の中から外へジャンプして、自動ドアが開くのももどかしいとばかりに走り去っていく課長。

 たぶん、しばらくは開くこともない自動ドアをしばらく眺めてから、ふと咲穂は自分の席に置きっぱなしていた携帯端末が気になった。


「『アンセム』が襲われてる……とか言ってなかった……?」


 確かに言っていた。

 端末は『アンセム』の配信を映したままで、チャット欄の流れがすさまじいことになっている。切っていた音声を戻せば、女の子の悲鳴が響いた。


〈いやぁ! アイリ! アイリ!〉

〈落ち着けリーダー! 叫んでも仕方ないだろう! あのドラゴンと黒騎士を同時にさばくのは、私たちだけでは無理だ! サナギさんも気絶してるのだぞ!〉

〈だけどアイリが! 判ってるけど!〉

〈どうにか……一撃入れて御堂さんを救出し、脱出するしかないだろう。理性で言うなら御堂さんを見捨てるべきだが……くそっ、私も青いな。その選択肢は、選べそうもない。リーダー、おそらくここで私たちは死ぬぞ〉

〈ダメだよ! でも――見捨てるのもダメなんだ! 千鶴、お願い……ごめん、ごめんね千鶴。こんなリーダーで……〉

〈こんなリーダーだから私たちはここまで来れたのだ。胸を張れ〉


 なにか……よく判らないナニカが、進行していた。

 カメラは、大広間の天井あたりを写したまま動いていない。どうやらカメラマンが気絶して、カメラが放り出されているようだ。


“ヤバイヤバイヤバイ”

“これマジでおかしいぞ。B級ダンジョンの魔物じゃねー”

“ユニークにしても同時二体とか”

“逃げてくれ! 頼む!”

“メグちゃんのせいじゃない! 逃げろ! 全滅するぞ!”


 ぱっと目についたチャット欄のコメントが、阿鼻叫喚だった。平日の昼間から『アンセム』の配信を視聴しているのがどのような人たちなのかは判らないが、ゴールデンタイムの配信よりもずっと視聴者数が多い。

 おそらく――彼女たちの窮地が訪れた瞬間にはネットに情報が拡散され、爆発的に視聴数が伸びているのだろう。そしてそれは現在進行形だ。

 朝に『アンセム』が配信を始めたときには、同時視聴者数は千二百ほどだった。

 音声を戻した瞬間は、たぶん二万五千くらい。

 今は――三万を越えている。


 三万人以上の視聴者が、彼女たちの死を目撃しようとしている。


「……なに、これ……」


 今朝までは、いつもの毎日だったのに。

 どうしてこんなことに――。


 流れ続けるコメントと、動きのない画面。『アンセム』のメンバーが動き出したのが、音声だけで伝わってくる。


 そして――光。

 画面が真っ白になるくらいの眩しさ。

 次に、地響きみたいな轟音が響く。

 なにが起こったのか……。


〈おおっ、すげぇ高そうなカメラだ。配信中か、これ?〉


 不意に――いつも聞いていた、あのやる気のない声が響く。

 ついさっき映像の中で聞いた声だ。

 拾い上げられたカメラの先に、作業服の男が映る。


 早坂、透。





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